【十】理由と距離
新月の夜の性交渉――理由なく、明楽が自分を抱く事は無いと判断しつつも、顔にこそ出さなかったが青海は相応に緊張していた。入浴しながら、いつもより念入りに体を洗ってしまう。満月の日もこれは同じだが、現在は性欲が落ち着いている為、これからの交わりを想像すると、些か怖い。理性と記憶と感情が正常な状態で、抱かれるというのは、初めての経験となる。
入浴を終えて髪を乾かしてから、体をこわばらせつつ、本日出来たという寝室に、青海は入った。そこでは既にシャワーを終えていた明楽が、ベッドに座っていた。
「早く来い」
「あ、ああ……」
ぎこちなく頷いてから明楽の前に立ち、自分で服を脱ぐべきだろうと考えて、青海は服に手をかけようとした。するとその手首を掠め取るように握られて、強く腕を引かれ、寝台の上に縫い付けるようにされた。ギシリとベッドが軋んだ音を立てる。
いつもは快楽に飲まれているから、明楽の表情をじっと見る余裕はない。だが、本日は違う。青海は、明楽の黒い瞳に獰猛な色が宿っているのを確かに見た。その視線に惹きつけられて目を丸くした時、唇に触れるだけのキスをされた。
「ん、ぅ」
次第にキスは深くなり、その後は歯列をなぞられ、口腔を貪られる。理性ある状態での初めての明楽とのキスに、青海は緊張をより強めた――が、体がキスの齎す快楽を覚えているようで、次第に全身が温かくなり始め、体から力が抜け始める。
そうしながら気づけば明楽に服を開けられていた。手際よく脱がされた後、左手で乳頭を指に挟まれ、振動させられる。明楽はローションに濡れた右の指は、すぐに青海の菊門へと挿入した。
「っ……」
いつもは散々声を出す青海だが、それは催淫効果の結果である。理性がある状態では、羞恥に駆られて、嬌声を思わず飲み込む。右手で己の唇を覆いながら、青海は再び緊張した。もしかしたら、本来は勃起しないという話だったし、自分の声を聴いたら明楽は萎えてしまうかもしれない――そんな不安も抱く。
「……ぁァ」
だが既に青海の体を熟知している明楽は、容赦なく前立腺を刺激した。するとゾクゾクと熱が込み上げてきて、青海の陰茎が反応を見せ始める。解すように指先を動かされ、そうしてまた前立腺を強めに嬲られると、すぐに青海は射精したくなった。記憶はおぼろげであっても、体がもう快楽を覚えてしまっている。
「あ!」
それまで乳首を嬲っていた左手で、明楽が青海の陰茎を握った。
そして陰茎を扱きながら、内部では前立腺を指で強く刺激する。
「あ、ああ……っ」
結果、呆気なく青海は放った。肩で必死に息をしながら、果てると伝える間もなく出してしまった事を不甲斐なく思う。明楽の引き締まっているよく筋肉のついた腹部を、青海の出した白液が汚している。
「挿れるぞ」
青海の呼吸が落ち着いたのを見計らうかのようにして、明楽が宣言して陰茎を挿入した。押し広げられる感覚はあったが、進んでくる硬い熱が触れる内壁が、すぐに快楽を訴え始める。
「っ、ぅ……ンん……ぁ、あ……あア……」
腰を咄嗟に引こうとした青海の太股を、逃さないというかのように右手で持ち上げて、明楽が斜めに貫く。深々と最奥まで巨大で長い肉茎を進めた明楽が、それから左手で青海の腰を掴んだ。
「もっと声、出せよ」
「う……ぁ、あ……ああッ……で、でも」
「でも?」
「萎えないか?」
「あ?」
「それに、は、恥ずかしいし――っ、ひ! ああああ!」
素直に青海が気持ちを述べようとした瞬間、激しく明楽が動き始めた。肌と肌がぶつかる音が、静かな室内に響き渡る。ローションが立てる水音と、それが混じる。思わず青海は、明楽の体に両腕をまわした。もう、声を堪えるのは無理だった。
「あ、あ、あ」
明楽の屹立した陰茎が打ち付ける度に、青海は声を零す。淫紋は薄れているというのに、快楽が確かにある。それもいつもとは異なり、理解可能な状態であるから、次第に昂められていくのも分かる。それでも、理性も飛びかけるくらい、気持ちが良い。媚薬の熱とは全然違う悦楽がそこにはあった。
「ああ、あ……明楽、ぁ……好きだ」
思わず青海が口走ると、明楽が短く息を呑んでから、一際大きく動いた。
そして内部に放たれたのを認識したのとほぼ同時に、青海もまた射精した。
そのまま、青海はいつもと同じように、寝入ってしまった。次に目を覚ますと、もう朝の四時の手前であったから、慌てて位置確認の準備をする。明楽はすでに起きていて、片手で青海を抱き寄せながら、もう一方の手でスマートフォンを持っていた。
「一緒にいるって、見角大尉には俺が言う。問題はないよな?」
「あ、ああ。そうか。助かる」
「だから、もう少し眠っていても良いぞ」
そう述べて明楽が優しく青海の髪を撫でた。すると眠気が再燃し、すぐに再び青海は微睡んだ。
この日を契機に、青海と明楽は満月の日で無くとも体を重ねるようになった。同じ寝台に入ると、ごく自然に明楽がのしかかってくるのだが、仕事熱心なのだなとしか青海は考えていなかった。そういう所も、好きだなと青海は考える。
――その明楽に、出張任務が入ったのは、満月の三日前の事だった。満月の日には戻れるように、事情を知る見角大尉や束瑳大尉が手配をしてくれた結果、決定された日時である。幸い、週末と被ったので、満月の前日から青海は、家にこもっていた。そして明楽に頼まれた品をネットスーパーで手配する。受け取りは満月後とした。
食事は明楽が置いていった作り置きと、束瑳大尉が気をまわして用意してくれたお裾分けの肉じゃがだった。もう秋だ。
「明楽も上手だけど、束瑳大尉の料理もホッとするな」
随分と健康的な食生活になったなと考えつつ、青海は明楽の出張の帰りを待っていた。そして満月当日を迎えて……帰宅が遅くなるという連絡を貰った。既に、ツキンと淫紋が疼き始めていたが、なんでもない素振りでトークアプリのメッセージに返信をする。
「……」
唾液を嚥下し、熱い吐息を飲み込み、二人の寝室のベッドの上で、膝を立てて両手で押さえながら座り、青海は待っていた。
しかしその日、運悪く青い月が電車の運行を遅延させる事件が発生し、明楽は返ってこなかった。兎に角体が熱く、その知らせを目にはしたが、その頃には、青海は震える事しか出来なくなっていた。必死で襲い掛かってくる容赦ない残酷な快楽の熱に耐える。息が上がり、気づくと涙を零していた。注射をされていた時の記憶が過ぎる。どんどん思考が蝕まれていく。早く欲しい、それしか考えられない。
万が一に備えて、娼館から男娼を招く事は、問題は無い。
だが――青海は、嫌だった。明楽でなければ、嫌だと思った。
指を組んで額に押し当て、ギュッと目を閉じる。熱い、全身が辛い。
「――み、青海!」
「っ」
気づくと、朝の光が差し込んでいた。そして焦るように名を呼ぶ明楽が寝室へと入ってきた所だと視覚的には理解した。
「お前、一人で耐えていたのか?」
「あ……」
プツン、と。
青海の理性が途切れた。それは明楽が抱きしめたのと、ほぼ同じ瞬間だった。