【十一】アキラメナイ






 力が入らないらしい青海には、思考能力が残っていないように見えた。明楽が口づけると、たどたどしく舌を絡めてきた青海は、泣きながら辛そうだった。涙と欲情で濡れた青海の瞳に、明楽は遣る瀬無くなる。すぐに挿入し、キスを重ねながら、陰茎を動かす。明楽の肩に手を置き、必死で腰を動かす青海は、何度も声をあげながら、泣いている。本当に最悪のクスリだなというのが、明楽の率直な印象だ。

 ――何故、男娼を呼ばなかったのか。
 ――例えば、事情を知る見角大尉を呼んでも良かっただろうに。

 など、タクシーを拾って帰宅を急ぎながら、車内でそのどちらかが成されている可能性が大きいと考えていた明楽は、震えている青海がいじましく思えてたまらなくなった。だから何度も優しくキスをし、青海の体を楽にするように貫く。

「あ、あああああ!」

 明楽が放つと、絶叫してから、青海が気絶した。ガクリと倒れ込んできた青海を、両腕で明楽は抱きしめる。そうしながら、思わず呟いた。

「青い月は、絶対に許さない」



 その翌日は、明楽は出張の代わりの非番となり、体の状態から青海も安静となり、二人は揃って家で過ごした。目を覚ました青海が、我に返ったように明楽を見る。愛おしくなって抱き寄せながら、その頬に明楽は口づけた。

「大丈夫か?」
「あ、ああ……」
「そうか」

 微笑してみせた明楽は、暫くの間、優しく青海の髪を撫でていた。
 その後、熱は去った様子の青海が浴室に消えたため、明楽は天井を一人見上げた。
 本当は特異な転移能力を用いてしまいたいほどだったが、何かと使用には規則があるため、それは叶わなかった。

「……」

 今後に備えて許可を得ておくべきかと考えつつ、ふと出張中の事を思い出す。
 出張先は、拘置所だった。
――来道の尋問に立ち会ってきたのである。

 判明した事として、素顔をとらえたあの場にいたもう一人の青年は、安和という名で、組織の中核メンバーらしい。弟が一人いるという話で、どうやら弟の仕事の内容は、夜の仕事であるようだった。この市で夜勤の仕事をしている人間についても洗いなおすと決定した。なお来道は、着任直後に安和から接触を受けて、青い月に寝返っていたらしい。いつか敵は身近にいるのではと考えた事もあったなと、明楽は思い出した。

 暫しそうして出張の内容を思い返し、来道に対しては、沸々と改めて怒りを抱きながら、そろそろ起きようと、明楽もまた上半身を起こした。そして入浴を終えた青海と入れ違いに、シャワーを浴びた。

 手早く済ませて食事の用意をし、二人で食べる。
 すると日常が戻ってきたような心地になった。最近では、朝も二人で、揃って出勤する事が多い。その為、通常勤務に戻った次の日は、揃って家を出た。

 出張先での報告を、班全体に共有したのは、その火曜日の会議においてだった。
 見角大尉と束瑳大尉、そして眞岡と青海が、皆真剣に話を聞いていた。
 まずは安和という人物とその関係者を捜索する事が決定され、長い会議が終わる。

 すると眞岡が、青海を見た。

「大丈夫でした? なんか、体調不良だったとかと聞きましたけど」
「ああ……平気だ」

 ディスペンサーでコーヒーを購入しながら、遠目に明楽はそれを聞いていた。この自動販売機の商品の補填も、同じ部隊の者が行っている。

「それなら良かったです。しかし、愛ですね! 聞きましたよ、男娼を呼ばなかったって」

 それは朝、うっかり明楽が眞岡に惚気た台詞である。
 すると虚を突かれたような顔をした後、青海が珍しく瞳に苦笑を滲ませた。最近の青海は、職場でもマスクをしていない。

「所で、青海さんと明楽さんはいつから恋人同士になったんですか? 配偶者なのは聞いてますけど、空気が違いますよね」

 悪びれもない様子で、さらりと眞岡が述べた。何を聞いているんだよと、明楽は殴りたくもなったが、過去に一度だけ、ベッドの上で『好きだ』と言われた事を思い出し、少し興味がわいたので、助けに入ることはせずに見守る。同じ空間にいる見角大尉と束瑳大尉にも聞こえているはずだが、こちらの二人は知らんぷりで窓の方であったり、書類だったりに視線を向けている。

「その……ただの特殊人事という任務命令の結果と、俺の副作用の問題だ」

 すると青海が首を振ったのが見えた。

「別に明楽は俺を好きではない。俺がうっかりと捕らえられた結果、彼には悪いことをしていると思っている」
「ふぅん? じゃあ青海さんは、明楽さんをどう思ってるんですか?」
「っ、俺は……そ、その……」

 結果、青海の頬が僅かに朱くなった。それに気を良くしつつ、半面己の好意が伝わっていない点には苛立ちつつ、明楽は珈琲を飲む。

「……好きだ」

 しかし小声ではあったが、きちんと青海が眞岡に伝えたのを聞いて、明楽は胸が満たされた気持ちになった。飲み終えた珈琲のカップをダストボックスに投げ捨てる。そのまま青海が己のデスクに戻った後、眞岡が何気ない様子で明楽の法へと歩み寄ってきた。

「聞いてましたよね? そうなんですか?」
「そう、って?」
「明楽さんは、青海さんの事、好きじゃないんですか?」
「――あのな。このタイミングで俺が好きだ惚れたと口にしたら、向こうは副作用の負い目があるわけで、俺が任務で抱いていると思っているんだから、断れないだろ?」
「でも、青海さんは好きだって言ってますよ?」
「あいつの好きと俺の好きでは重さが違う。俺の方が愛してる」

 明楽も眞岡も小声だったので、二人のやりとりは、先程とは異なり周囲にも聞こえない。眞岡は何度か頷いてから、楽しそうに笑った。

「俺、応援してるんで。ちゃんと幸せになって下さいね! 双方ともに愛がある感じで」
「おう。お前って、本当に友達甲斐があるよな」
「今頃気づいちゃった感じですか?」
「いいや? ずっと信頼はしてる」

 そんなやりとりをした後、この日明楽は、外回りに出た。目的地は繁華街で、ラークという娼館の特別室で、界隈を牛耳る情報屋でもある流礼と待ち合わせをしていた。夜の仕事と聞いて、真っ先に花街の存在を、青海は思い出したので、心当たりがないか聞く約束をしていた。

 現地につくと、すぐに特別室に通され、一人掛けのソファに座していた流礼と対面した。

「いやぁ、ご無沙汰いたしております。最近は、当館に足を運んで下さらなくなった――というより、花街に全然来なくなられましたねぇ」
「ちょっとな」

 任務による結婚については、民間人に話す気はない。流礼も深くは追及してこなかったので、即座に明楽は本題を切り出す。

「安和という名に心当たりは無いか? その者には、弟がいて、弟が夜の時間帯に仕事をしているらしい。在宅ではなさそうだった」

 すると小さく流礼が息を呑んだ。

「――それこそ、うちの男娼の暮場には兄がいて、その名が安和だとは聞いていますが?」

 明楽もまた目を見開く。

「あとは、俺の仕事だ。流礼、動く必要はない」
「分かっておりますよ。こちらが、暮場の登録住所です」

 傍らにあったタブレットで、従業員のリストを表示させ、流礼が見せる。それを記録してから、すぐに明楽は立ち上がった。

 ――この日、本部に連絡を入れてすぐ、あっさりと安和の所在地も確認した。泳がせるという選択肢もあったが、青海に害をなした一人である以上、対策班において映像証拠もあった為、即拘束する事が決定され、そのまま安和を明楽は捕らえて、牢獄へと転移させた。以後の調べで、『丸アオ』として追いかけてきた相手が、安和だったと判明した。

 そこからは芋づる式に拠点の特定に成功し、秋は多忙だった。
 もう最後の満月が迫っている。次の満月を乗り切れば、青海の淫紋は消失する。
 そんな頃、その日は二人でクリームシチューを食べてから、青海と明楽はソファに並んで座っていた。最近購入した、横長のソファで、二人掛けだ。

「なぁ、青海」

 ソファの背に手をかけ、明楽が言う。

「青海は、俺の事が好きか?」

 さりげない問いかけに、目を丸くしてから、目に見えて頬に朱をさし、青海が顔を背けた。そして小さく頷いたのを、確かに明楽は見た。

「俺の何処が好きなんだ?」

 するといよいよ青海が赤面した。
 体に絆されたのか、快楽が良いのだろうかと、己の性技にそれなりに自信のある明楽は考えていた。それともまっとうに、日々の料理や性格を好いてもらえているのかと考える。意識されていないわけではないというのは、鈍くはないので明楽にもわかっている。明楽が見ている前で、青海が真っ赤になったままで俯いた。膝の上でギュッと手を握っている。

「顔だ」
「は?」

 予想外の言葉に、明楽は思わず聞き返した。

「顔が好きだった……」

 思わず吹き出しそうになったが、明楽は堪えた。思わずツッコミを入れたくなったが、本音なのだろうと理解し、それはそれで愛おしいから許そうという気になる。

「いつから?」
「……結婚する少し前から、明楽は整った顔をしているとは思っていた」
「お前、面食いだったのか」
「……今は、全部好きだ」
「そうか」

 喉で笑ってから、この夜も明楽は青海を、満月でもないのに抱き潰した。
無論、最後の満月の夜も、じっくりと抱いた。
 任務的には、最後となるその満月での交わりの後、青海が明楽に言った。

「――もう、明楽には俺を抱く理由はないな」

 何処かその寂しそうな言葉を聞いた時、青海は思わず抱きしめながら、言葉を探したが、その夜は何も言わなかった。



 青海の腹部からは、完全にストロベリームーンという媚薬の残存を示していた淫紋が消失し、副作用は消失した。端緒から半年が経過し、既に非合法なドラッグの残滓は、検査の結果を見ても、青海の中には何処にも無かった。

 明楽はこの日を待っていた。
 いつもと同じように帰宅し、夕食の料理を用意してから、明楽は青海の帰宅を待つ。
 媚薬の件で体を重ねるようになったのは事実であるが、結婚したのは特殊人事が理由であるし、任務は続行中である。だが、そういう話ではなく、明楽はもう決意していた。

 そこで、青海が帰宅してから、食事の席で切り出した。

「青海、話がある」
「なんだ? 今後は、性処理を外注に戻すという話か?」
「近くて遠い」
「?」
「俺は今後もお前を抱きたい。お前は、普通に俺に抱かれるのは無理か? 下、今もやれないと思うか?」

 単刀直入に明楽が尋ねると、青海が困惑したように瞳を揺らした。

「出来るとは思う。けど――明楽は別に、俺である必要は無いだろう?」
「いいや? 俺にはお前が必要だし、俺が抱きたいのはお前だけだけどな?」
「どうして……?」
「分かってないようだから、明確に伝える。好きだからだよ」
「え?」
「俺も青海が好きだから、だ。それだけだ。もっと言うならば、俺の好きの方が重いと俺は自負しているぞ」

 明楽が呆れたような目をして述べると、青海が驚いたように息を呑んだ。

「だから、任務は兎も角、言わせてくれ。青海、俺の配偶者になってくれ。任務が無かったとしても、きちんと、ずっと生涯そばにいてくれ」
「明楽……」
「答えは?」
「……嬉しい。だが、任務が変われば、離婚は自由なんだぞ? 本当に、俺で良いのか? お、俺は……そ、その……――明楽が好きだ。だから、本当に嬉しいし、俺だって、俺で良いのならば、そばにいたい」
「お前が良い。何があっても俺はお前を諦めない」
「名前は諦めろなのに……」
「いや、諦めないからな?」

 そんなやりとりをしてから、明楽は用意していた小箱を、テーブルの上に載せた。ヴェルベット張りの小箱の中には、ありていではあるが、給料の三か月分の額で購入したペアリングが入っている。サイズは、青海が眠っている時に、計測し、そうして用意した特注品だ。明楽の両親は昭和の生まれで、幼い頃散々聞かせられたプロポーズの一形態の思い出を、なぞった形である。

「これは?」
「俺と揃いの指輪は嫌か?」
「!」
「つけておけ。俺の独占欲の象徴だから、ずっと外すな」

 明楽の言葉に、小箱を開けた青海が目を見開いている。それから、不意に破顔した。

「嬉しい。有難う、明楽」

 こうしてこの夜、明確に明楽は、想いと伝えてプロポーズを果たし、きちんと初夜をやり直す理由を得た。やり直しの初夜において、青海の体をドロドロに蕩けさせるように愛した明楽は、満足感に浸りながら、寝入る青海の左手の薬指に光る指輪と、お揃いの己の指で光る指輪のそれぞれを、何度か見てから眠りについた。