俺がひっそりと禁書庫で読んだ魔術書もそこのものなのだが、人間の魔術流派はひとつきりだ。それがトール大陸の東のはずれにある、魔術総府ヴェルサリアの魔術である。
魔術総府は、完全実力主義で、最も力の強い一名が、トップに君臨するらしい。一度一人が就任すると、その者が死ぬまでは、もっと強い魔術師が現れても、代替わりはないそうだ。
だから代替わりの際は、過激な派閥争い等々を経て、それを黙らせる実力者が頂点に立つらしい。
現在の魔術総府のトップであり、ヴェルサリア魔術派の頂点にいるのが、このライナスという魔術師だと言う。そりゃあ強いはずだ……そして、特に怖い人間というわけだ。指揮官すらも敬意を払う存在のようだ。
「保護って、まさか俺にも、ヴェルサリアの魔術師達にも、魔族を一人保護しろって言ってるの?」
「……あ、魔族の数はそう多くはないので、ライナス様は、ライナス様とその側近の皆様、お弟子さん達で、一名を保護として頂いても……!」
指揮官の口調が丁寧になった。
それを聞いたライナス様とやらは、目を細めて腕を組んだ。そして隣にいる、弟子らしき人物を見た。
「レジェル、誰が良いと思う?」
「俺は、ミストを嫁にします!」
「は?」
ライナス様が半眼になった。レジェルと呼ばれた弟子は、俺の同僚であるミストという魔族と手をつないでいる。ミストの頬も桜色に染まっている。繋いでいる二人の指には、お揃いの指輪がはまっていた。完全に、恋が完成している……!
いやいやいや、ミスト、お前はチョロすぎるだろう!
俺は叫び出したい衝動に駆られたが、黙っておいた。ミストは前々から恋人募集中だったし……幸せなら良いだろう。
ちなみに、俺とミストの仕事は、魔王城の掃除だった。掃除係だ。窓を拭いたり、床を磨いたり。俺はその帰り道に、魔王国図書館へと出かけていたのである。魔王城に勤務していると、禁書庫には自由に入れた。
「ライナス様も、これを機にぜひ恋人を! じゃなかった、保護を! 弟子として、祈ってますんで!!」
「……何を言ってるのかちょっとうまく飲み込めないな。ところで、レジェル。その魔族は、何か取り柄があるの? 保護対象に選んだ理由は?」
「愛です!」
「破門を検討したいけど、それで? 他には?」
「……魔王城に勤務していただけはあり、莫大な魔力を持っています」
それを聞いたライナス様は、しらっとした顔をした。
「俺よりも強い魔力?」
「まさか。ライナス様より強い魔力の持ち主なんて、この大陸にはゼロです」
「……」
ライナス様が沈黙した。実際、魔王様の百倍は強い魔力を持っていそうである。
「その魔族一人きりを保護するというのもちょっとね……弱ったな……というより、ヴェルサリア派の魔術師達がこんなに恋に飢えていたとは……」
そう言って、ライナス様は面倒臭そうに周囲を見渡した。釣られて俺も見渡す。各地では、一目惚れが大量発生しているようだった。魔族を口説いている人間が大量にいる。人間は……剣士も魔術師も弓師も銃術師も医術師も無関係に、魔族に対して愛を囁いている。
そもそも、魔族と人間は言葉が違ったのだが、魔族を口説くために、人間達が言語翻訳魔術をこの場に展開しているようだった。元々勉強していた俺には、最初から言葉がわかったが、今は初めて人間の言葉を聞く者達も、好きだと言われて陥落している。可愛い綺麗格好良い、魔族はこうして褒められて、照れて、次々と人間に惚れてしまっているようだった。確かに魔族って、文化的にあまり愛を囁かないから、甘い言葉を紡がれるのは、ある意味新しい。
「ライナス様は、何か条件は?」
レジェルの言葉に、ライナス様がスッと目を細めた。気づくと怖さのあまり、俺は心の中で、ライナス様をライナス様と呼んでいた。いつの間にか、人間相手に『様』なんてつけていた。
人間相手、というのは、俺にとって人間の襲撃は、台風みたいな災害感覚だったからだ。俺は過去に、台風を様付けで呼んだことはない。
「俺が引き取って保護するというのは、基本的に弟子にするのと同じことだよ。そうだな……最低限、ヴェルサリア派の魔術師の弟子入り初期のように、雑用や俺の身の回りの世話、研究塔の家事はしてもらうことになる」
「つまり家庭的、と!」
「黙って。それとも、俺の手で永遠に黙る?」
「ライナス様、他には?」
慣れているのか、弟子は物ともしていない。しかし俺は、ライナス様の声に震えてしまった。
「……魔術を教えることになるかもしれないから、というより、教えないと魔術総府での生活はきついから、それなりの魔力と、素直に俺から教えを学ぶ性格」
「魔力が強い従順な子ですね!」
「俺と君の間にも翻訳魔術が必要だったりする感じ?」
「ライナス様、次は?」
「……そもそも、翻訳魔術なんてなしでも、一人くらい人間の言語や文化に興味を持っている魔族っていなかったの? 俺はそういう好奇心旺盛な存在がいいし、自発的に人間の魔術を学んでいたくらいの姿勢が望ましいね」
それを聞いて俺は青くなった。俺に該当している部分がある。そして俺は知っている。図書館はいつも無人で、魔術製図書カードには、常に俺の名前しかなかった。誰も人間の本なんて読んでいなかった……。
俺の該当箇所は、言語が分かること、魔王城で働ける程度の魔力量を持っていること……魔族比較だとこれは多い方だ……他には、雑用ができること……掃除で慣れているし……最後に、人間の魔術を興味本位でちょっとだけ学んでしまった部分だ。持って生まれなければ良かった、好奇心!
しかし……俺は素直で従順な性格ではない。
黙っていようと俺は誓った。