そもそも目の前の怖い相手に、保護なんかされたくない。ライナス様に保護されたら、恐怖で心臓が止まりそうだ。魔族の体は、人間と作りがほぼ同じである。違いは、魔族の場合、色彩が豊かで髪や目の色が様々な部分だけだろう。
「誰か、該当する魔族を知ってる?」
ライナス様がそう言うと、周囲が俺の方を見たので、俺は真横を見た。
「え」
すると俺の隣に立っていた、同僚のエルスが声をあげた。それから焦ったように、俺とライナス様を交互に見た。しかし俺は、エルスの方をずっと見ていた。みんなが見ているのは、掃除の同僚のエルスであるかのように、彼をじっと見た。
この魔王国には、男しかいない。ただ、人間の世界も魔術汚染の影響で、今は男しかいないと聞いたことがある。女の人は、お伽話ではよく見る。ちなみに子供は、魔術で生まれる。これは魔族も人間も変わらない。俺は詳しくは知らないが。
「エルスは魔王城の掃除係の中で、一番家事が得意だよな!」
ボソッと俺は呟いてから、笑顔を取り繕った。エルスが目を見開いている。そして再び、俺とライナス様を交互に眺め始めた。俺の図書館通いを、エルスは知っている。彼の父親が館長さんだからだ。
「……君、人間に興味はある?」
ライナス様が歩み寄ってきた。エルスがびくりとしている。俺はじっとエルスを見た。
「何せお父様が図書館長! 人間の知識も一番ありそうなイメージだ!」
あくまでもイメージだ。俺は嘘は言ってない。そんな俺を見て、エルスが困ったような顔をした。俺の斜め後ろには、ライナス様が立っている気配がする。
「今から、少し、思考チェックテストをする。ヴェルサリア魔術派の決まりだから」
「良かったな、エルス!」
俺は駄目押しのように、エルスの名を繰り返した。完全にエルスが呆れ顔になった。
「……」
しかしエルスは無言だ。彼は押しに比較的弱いというか、面倒なことはしないので、反論がだるいのだろう。従順な性格というに相応しい! 押し付けてごめん! だけど俺はバレたくないし、エルスも本当に嫌な時はいつも声をあげるから、そこまで嫌ではないのだろう……と思わせてくれ!
「どうして、人間の言葉がわかるのに黙ってるの?」
ライナス様が言った。答えは簡単だ。俺はライナス様が怖いからで、エルスは言葉がわからないからだ。
「なるほど、俺が怖い、と」
「そう、本当にそれ。ヴェルサリア魔術古典派攻撃魔術初級アースクエイク一発で、魔王国の半分が消し飛んだけど、怪我人はゼロの精度……怖すぎる。俺でもあれは……ん?」
「君今、ヴェルサリア語喋ってるけど、自覚ある?」
「っ」
「で、俺でも、何? 確かにあれはアースクエイクという名前の魔術だけど、ずいぶん詳しいなぁ」
「え、あ、いや、その」
「今度は、ラーク語かぁ」
俺は今、自分がどの人間の言語を使っているか分からなくなってきた。
「それで? だからさぁ……俺でも、あれは、何?」
冷たく怖いライナス様の声が響いてくる。俺は涙ぐみそうになった。俺が言いたかったのは、率直に言って、「俺でも防げない」だ。
……。
俺は、妄想するのが好きだ。大好きだ。好きすぎる。そのため、いつか人間が攻めてきたときに備えて、数々の結界魔術を発案し、空想の中で、格好良く魔王国を救う自分を想像しては、ニヤニヤしてきたのだ。俺の唯一の趣味だ。
実際に攻めてきた今回、結界を構築する時間もなく、俺は何もできないまま、モップを持って震えていたのだが、もし精度がもう少し悪くてライナス様の魔術構築が遅かったなら……俺も対抗するための魔術を使う時間があったかもしれない……と、考えてしまったのだ。
「なるほど。魔族の魔術には興味がある。それと結界か……それも自作」
「あ……」
そこで俺はやっと、改めて理解した。思考チェックテストをされているのは、エルスではなく、完全に俺である。
……ということは、想像の中で格好良く戦っている自分を妄想している俺の頭の中を、ライナス様は知ってしまったということか。
無理だ、恥ずかしくて死ねる……!
「お願いします、誰にも言わないで下さい!」
「どうしようかなぁ」
「なんでもします!」
「じゃあまずは、そこの図書館長のご子息に謝ってみたら? それと、その恋人らしき何かになった、俺の二番目の弟子のダイルにも、一応」
ライナス様の声に顔を上げると、そこにはエルスを抱きしめている、ライナス様の別の弟子の姿があった。ダイルと呼ばれた弟子は、俺をみて、怖い顔で笑っている。エルスは表情を変えていないが……耳が赤く、頬も若干赤い。
「申し訳ございませんでした……」
俺が深々と頭を下げると、ライナス様がポツリと言った。
「俺の言葉に従順だ。残る条件は、家事や世話だけど、これは? できる?」
できます! 「できません!」
俺は掃除係でした! 「無理です!」
…………。
俺の思考と口は、完全に別の動きをした。そんな俺を、残念そうに周囲が見ている。
「ええと、君は、名前は?」
「あ、の……」 ベルです!
答えたくないのに、俺は心の中で素直に名前を思い浮かべていた。ああ、もう……。
「ベル、ね。俺は、ライナス=ヒストリエ。今日から君を保護しなければならなくなった不幸な人間で、魔術師だ。不幸なだけで、決して俺は怖くないよ。俺がいかに不幸かを一言で説明すると、周囲が無能すぎてね。ただ……その無能達よりさらに無能の集団が魔族と知って、今日は非常に驚いている。無能というのは表現が悪いな……ええと、か弱いだったっけ?」
ツラツラとそういうと、ライナス様が腕を組んだ。
「なんだか疲れた。俺は人間の義務になったらしいし、このベルという魔族をきちんと保護するから、他のみんなは好きにやってくれ。帰るね」
そう言ってから、ライナス様が俺の手首を握った。
「行くよ、ベル。転移魔術で帰るから」
「え!? ディスリア独立派式の上級魔術のエアロですか!?」
「……俺の弟子より詳しかったりしそうで怖いな」
そう呟いたライナス様の声が終わった時には、俺は見知らぬ場所にいた。