愛犬のレクを抱きしめたまま、手首に触れているライナス様の手も、俺はじっと見る。黒い手袋をしている。そのまま下を見て俺は、自分達が魔法陣の上にいると気がついた。
「「「おかえりなさいませ」」」
唱和した声に、驚いて顔を上げると、ライナス様に対して恭しく、沢山の人々が頭を下げていた。俺にとっての災害であるライナス様は、よほど若作りなのでなければ、二十代半ばくらいに見える。魔族と人間は、老け方も同じだという。
――最近代替わりしたのだろうか?
俺がそう考えた理由は、禿頭の老人からまだ二次性徴前の男の子までが等しく、ライナス様に頭を下げているからだ。魔術関連の本で読んだ魔術総府の派閥などはよく分からないが……人間の世界には年功序列という言葉があるらしく、歳をとると若者に頭を下げなくなると、別の本で読んだことがある。こちらの本は、文化について書いた本だったように思う。
「今日から一人、保護することになったんだ。場合によっては正式な弟子とする手続きをするけど、まずは少し話をする。研究塔の十三階の、俺の部屋に連れて行くから、しばらくみんなは立ち入らないように」
ライナス様はそういうと、不満そうな顔で腕を組んだ。その時初めて、俺から手が離れた。赤銅色の瞳を、ライナス様が、一度チラリと俺に向けた。
「魔族は確かに弱かったけど、きちんと調べなければ演技かもしれないっていうのに……何が真実の愛、だ。ああ、全員破門にしてやりたい。ベルがまともである事を祈るしかないけど……人間も魔族もあの場にいた連中は、完全に恋愛脳だった。何あれ」
ブツブツと呟いてからライナス様は、暗褐色の髪を揺らしてレクを見た。
「魔王国の犬……魔獣のはずだけど、人間の土地の犬に見える。それとも、変身魔術が使える魔族?」
「レクは普通の犬です。トール大陸に、犬はこれだけです。あ、犬種は色々だけど!」
「ふぅん、そうなんだ?」
「人間と魔族の土地で、犬の概念が違うなんて聞いたこともないし、すぐに違うって分かりそうなのに……」
思わず俺がいうと、レクの頭を撫でながら、ライナス様が言う。
「人間側には、魔王国がトール大陸の西にあることと、そこを治めているのが魔王、国民は魔族、動物は魔獣で、彼らは存在自体が害悪で恐しく強大な魔力を有しているという伝承しか、残っていなかったんだ」
それを聞いて、俺はぽかんと口を開けた。語弊がありすぎる。ま、まぁ魔族の場合は、生まれた時の色彩が人間に似ていたら、魔王国をひっそりと脱走して、戻ってきてもバレない。禁書庫の魔術書や、言葉を覚えるために使った辞書などは、そうした魔族達が持ち帰ったものだ。人間がこれまでやってこなかった理由は知らない。
「ベルには、色々聞きたいことができた。本来は捕らえた捕虜からの奴隷コースの魔族に尋ねるはずだったから、保護というのはちょっとまだ俺も困惑してるけど」
「奴隷コースだったとしたら、俺は今頃何をしていたんだ……?」
「敬語」
「な、何をしていたんでしょうか!?」
慌てて俺は言い直した。
「うん。従順で良いな。ええとね、危険で危ない仕事や重労働が、多かったんじゃないかな」
「例えば?」
「敬語」
「……俺、台風にも敬語なんて使ったことないのに」
「台風? 翻訳魔術、やっぱり必要なのかな……一応流暢に、ヴェルサリア語を話しているように聞こえるけど、ニュアンスや意味があっているとも限らないしなぁ……」
そう言うとライナス様が顎に手を添えた。
「翻訳魔術を使うか判断するために、ちょっと聞くよ。俺の髪の毛の長さは、長い? 短い?」
「え? なんとも言えないです。ふわふわですね」
「……俺の目の形を表現すると?」
「猫みたいです!」
「……」
少し考え込むようにしてから、ライナス様が再び腕を組んだ。
「俺の顔を、美醜で言うなら、どう思う?」
「普通!」
「……」
「平均! 平凡! 中間!」
「そこまで清々しく断言されたのは初めてだよ」
ライナス様はどうでも良さそうな声で言った。だが、その瞳がちょっとだけ、イラッとしたように細められたのを、俺は見逃さなかった。見上げる形で瞬時に俺は視線を向けたのだ。
俺は身長が172cmぴったりなのだが、ライナス様は俺よりも背が高い。ちなみに俺は厚底でごまかしていて、ライナス様の靴は平均的な人間の靴のようだ。靴を考慮すると186cmはありそうだ。
体型は、ローブが厚着なのでわからないが、細くもなく太くもなさそうだ。俺は、どっちかと言えば、筋肉質だと自負している。毎日腹筋をしているからだ。しかし誰も、俺がマッチョだとは褒めてくれない。周囲は「ちゃんとご飯食べてる?」と、俺の体躯が貧弱だと暗に言う。それに比べたら、平均的なライナス様の体型は、健康そうだ。
顔は、目が二つと、鼻が一つと、口が一つ。
こちらも平均的な数だ。
つまり、ライナス様のお顔は平均なのだ。
普通で平凡だ。
俺には人間の美醜概念があんまり分からないから、なんとも言えないが、普通と言われたら俺なら嬉しい。だから俺としては事実を述べて褒めたつもりでもあった。お世辞ではない、心からだ。
「そりゃあ、魔族で麗しいお顔の君から見たら、俺なんて平均的だろうな。これでも、顔の作りはこれまで褒められることが多い人生だったんだけど」
「え!?」
俺も褒めたのに! 伝わっていないと気付いて、俺は驚いた。するとライナス様が、ジロリと俺を睨む。
「なに? 俺が褒められたらおかしい?」
「い、いえ……」
言葉だけで俺を凍死させそうなほど冷たい声音が飛んできたので、俺は黙ることにした。
「とりあえず研究塔に行くよ。そこが今日からの生活スペースとなるから。犬も連れてきて構わないよ」
ライナス様がそう言って、再びレクの頭を撫でてから歩き出したので、俺は慌ててその後を追いかけた。