【7】試しに言ってみた結果
「そろそろ俺、帰りますね」
「――泊まっていかないか?」
夕食が近くなった頃、立ち上がりかけた俺は、宰相閣下の言葉に動きを止めた。散々、告白らしき言葉をかけられた現状で、泊まっていくというのは――つまりは、そういう……夜のお誘いだろうか?
素朴な疑問なのだが、俺には男同士の場合の性的な知識として、挿れる方と挿れられる方がいるという程度のものしかないとはいえ――それは一体どうやって決めるのだろうか?
「宰相閣下は上ですか? 下ですか?」
「上の経験しかないし、今後もその予定だ――が、いや、まぁ下心が無いわけではなく、むしろそれは常にあるが、きちんと客間があるし、純粋にもう少し話がしたいと思っただけだ」
微苦笑した宰相閣下を見た途端、俺は自分の考えすぎだったと気づいて、真っ赤になってしまった。恥ずかしい。
「無論、抱いて良いというのならば、今すぐにでもリュクスが欲しい」
「だ、ダメだ! ダメ! ダメです!」
「――では、そろそろその敬語をやめてくれ」
「……はぁ」
「それと名前も、イルゼと呼んで欲しい」
「ちょっと希望、多すぎません?」
「言って損は無い。顔が赤いな。やっと少しは俺を意識してくれたのか?」
「そりゃするだろう……」
性的な接触を他者ともった事の無い俺には、非常に現在は小っ恥ずかしい状態だ。童貞特有のエロ直結思考を披露してしまったようで、今すぐ走り去りたい。
「もっと俺の事を知って、もっと意識をしてくれ」
「……」
「まずは客間に案内する」
「はい」
あ。気づいたら俺は、泊まる事に同意してしまっていた。半ば無意識だった。
「レンドリアバーツ侯爵家には、こちらから連絡をしておく。文献の手配もついでにしてくるから、少し待っていてくれ」
慌てて断ろうとした俺をよそに、上機嫌で宰相閣下は部屋を出て行ってしまった。完全に流された。
「……」
俺は指を組み、膝の間に手を置く。
まぁ……下心はあるらしいが手を出す予定は無い(?)との事なので、一泊くらい構わないだろうか。そう考えながら待っていると、宰相閣下はすぐに戻ってきた。
「よし、案内する」
「有難うございます」
「敬語になっているぞ」
「……」
俺が口ごもっていると、宰相閣下が俺の手を取った。そのまま腕を引かれて、慌てて俺は立ち上がる。転ぶかと思った。宰相閣下は俺の手を握り直すと、嬉しそうな顔でこちらを見た。あまり笑顔を見ないため、不意打ちに思えてドキリとした。
「リュクスは思ったよりも体温が低いな」
「心が温かい証拠だって言われる」
「それも間違ってはいないだろうが」
「――宰相閣下」
「イルゼと呼んで欲しいと伝えたと思うが?」
「イルゼは……俺の事知らないだろう? 中身とか、そんなに」
「常にもっと知りたいと願っている」
こうして俺は客間まで案内された。良い香りのする青い花が飾られている部屋で、大きな窓が見える。俺は奥の寝台を一瞥した。意識しない方が無理である。余裕で二人どころか四・五人は眠れそうだ。その時、宰相閣下が扉を閉めた。その音が妙に大きく響いて聞こえた気がして、俺は身を固くする。
「ただ、知らなくても惹かれるという事もあると、俺は思うが」
「知らなくても?」
「ああ。そばにいるだけで、俺はお前に惹かれる」
聞いていると恥ずかしい言葉の嵐に思えて、俺は赤面した。俺の隣に歩み寄ってきた宰相閣下は、そんな俺をじっと見た。
「お前も、俺の事を好きになってくれ」
「……」
雰囲気にのまれそうになって困る。やはりファーストキス効果は残存しているのかもしれなかったし、この場所が職場の王宮で無いというのも、二人きりであるというのも、意識してしまう理由なのかもしれない。何やら俺の心臓が先ほどから煩いほどに早鐘を打ち始めている。
「なんなら、試しに言うだけ言ってみてくれ」
「へ?」
「好きだ、と」
「どうして?」
「口に出して繰り返していると、そう思い込む場合があるらしい」
「……あ、はい」
「嫌か? 俺は聞きたい。お前の口から、俺の事が好きだと。頼む、とりあえず一回だけで良い」
それを聞いて、俺は逡巡した。一回くらいなら、本当に試しに、口に出してみても良いだろうか。宰相閣下を喜ばせる事が出来るのならば、ちょっと言ってみるくらい良いのではないのか?
「えっと……イルゼが好きだ」
「!」
小声で俺が言うと、宰相閣下が目を見開いた。その表情を見ていたら一気に照れくさくなって、俺は思わず顔を背けた――その時だった。派手な音がして、扉が大きく開け放たれた。
「おめでとうございます、イルゼラード様!」
「なんだってリュクス、結局好きだったのかい!?」
驚いて振り返ると、そこには俺を案内してくれたクロス侯爵家の執事の姿と、何故か叔父の姿があった。
「てっきり人の良いリュクスの貞操の危機だと判断して、駆けつけてきて損をした……よ、よろこばしいとはいえ……ええ……」
「義父上? え?」
「私目は、レンドリアバーツ侯爵様がお越しになったので、お知らせに参りました。そうですか、ようやく思いが実ったのですね!」
ま、まずい。何故か執事は感動したように震えながら顔を輝かせているし、叔父は赤面しつつ困ったように笑っている。俺は呆気に取られた。彼らがどこから聞いていたのかは知らないが、恐らく俺の言葉しか聞いていなかったように思う。試しに言ったのだと彼らは気づいている様子がない……!
「ちょっと待ってくれ、あ、あの――」
「レンドリアバーツ侯爵、リュクスを正式に婚約者としたい」
「え、宰相閣下!?」
「渡りに船だ。鍵をかけなくて良かった。鍵をかけたら手を出さない自信が無かったせいだが、天は俺を見捨てなかった」
「リュクスの気持ちも固まっているならば、叔父として義父としてなんの異論もありませんよ、宰相閣下」
「え? え? 待ってくれ、義父上?」
「本当に良かったですね、ご主人様」
先ほどまで二人きりだった室内であるが、四人になった途端、一気に騒がしくなった。第一、俺はどのようにしてこの誤解をとけば良いというのだろう? 俺はひきつった顔でとりあえず笑う事にした。ちょっとだけ、体が震えてしまった。