【七】氷点下






 それからエデルに連れられて歩きながら、俺はそれとなく会場を見た。まだ上手く事態が飲み込めてはいないが、協力プレイが出来そうだ……――ん? と、考えていた思考が途切れたのは、先ほどと同じ場所にいる、魔王を見た瞬間だった。

 頭の上には、ハートマークが出現している。
 好感度――……マイナス2802……? 色は青だ。

 え? 好感度ってマイナスなんてあったのか? しかも100以上の数字もあるのか?俺が知っている乙女ゲームは、ピンク色のハートで0から100までだったけどな?

「……」

 視覚的に、自分が嫌われていると知るのは、結構辛い。だが、考えてみれば、神子という存在は、魔王討伐のために来るのだろうか、俺の正体をあちらは知っているわけで、好感度も下がるか。ま、まぁ、上がるよりは良いだろうか。

 思わずそちらを凝視していると、不意に魔王が顔を上げた。そして目を細めたのだが、その瞬間、俺は射抜かれた気分になった。室温が一気に下がった気がする。俺には吹雪の幻影が見えた。怖い……。威圧感が半端ない。

「リュート様、大切なお願いがあります」
「ん?」

 俺が真っ青な顔で固まっていると、小声でエデルが言った。

「アルトバルン卿には、近づかないで下さい」
「うん。俺も怖いから全力で遠ざかりたい。けど、最終的にはみんなで協力して、魔王を倒すんだろ?」
「……いえ。既に魔王国とは和解しておりますし、アルトバルン卿を倒す事はありません」
「そ、そうなのか。そ、そっか。う、うん。お前らがそれで良いなら、良いと思うぞ」

 震えながら、俺は漸く魔王から視線を離す事ができた。まだ睨まれているのが分かったが、全力で気づかないふりをする。魔王の正面では、アロイスが引きつった顔で笑っている。

 その後は、エデルが取ってきてくれた鶏肉のトマト煮込みを食べながら、俺は気分を切り替える事に決めた。乙女ゲーム世界ではあるが、同性からによるナチュラルなセクハラは受けないと決定したのだ。とすると、俺の当初の野望通り、俺は望む異世界へと来たのだ! 剣と魔法のファンタジーだ! 元々のゲームにRPG要素は無かったが、魔物がいるようだし、戦っても構わないだろう。

「なぁエデル。俺、明日から魔術や剣の訓練がしたい!」
「明日からは祭儀まで礼儀作法のお勉強という名目で軟禁予定――っげほ、失礼しました」
「?」
「ええと」

 エデルが咳払いしてから、ワインを一口飲んだ。そしてじっと俺を見る。

「魔術や剣ですか?」
「だって協力して倒すわけだからな!」
「……なるほど」

 何度か頷いてから、エデルが会場の奥を見た。何故なのか、好感度が2下がった。つられてそちらを見ると、そこには宮廷魔術師長であるロイドの姿があった。ロイドの事が嫌いなのか?

「聞いてみましょう」
「うん」

 俺達は二人で、ロイドの所へと向かった。そしてエデルが事情を説明した。
 すると、ロイドが死ぬほど嫌そうな顔に変わった。好感度は0だ。しかし魔王のマイナスを見た後なので、インパクトはない。0は最低値ではないようなのだから……。

「神子の言葉は……注意しなければならないという伝承があるからな……」
「余計なことを言い出したと思ってる顔ですね」
「エデル。俺は言葉には出さなかった。お前は言葉に出して全てを台無しにしたな?」

 見守っている俺の前で、二人がボソボソと喋っている。それからエデルが俺を見て、柔和に微笑んだ。

「明日の朝、十時から宮廷魔術師の師団本部で、魔力の測定から開始しましょうね。リュート様、頑張りましょう!」

 こうしてこの夜は、明日に備えて、早めに切り上げる事になった。
 部屋に戻ると、エデルが言った。

「この特別な神子のための部屋には、外鍵しかついていないので、夜間の外出はお控え願いますね。明日の朝、起こしに来ますので」
「ん? ああ」

 頷き俺は、その日は眠る事にしたのだった。


 翌日の朝食は、ふわふわのスクランブルエッグだった。美味しいなぁと思いながら朝ごはんを食べた俺は、エデルが持参したローブを手渡され、それを羽織った。俺の持ち物の黒いローブは洗濯中なのだという。

 清々しい朝だ。窓の外を見ると、この世界はどうやら現在、冬のようだった。窓が冷たく凍っていた。

「雪は降るのか?」
「ええ。先日初雪が降りました。ただ、すぐに融けましたけどね」
「そっか」

 桃恋世界にも、四季があった。季節限定のシナリオイベントなどが配信されていたような記憶がある。その後俺は気合いを入れ直し、エデルと共に、宮廷魔術師の師団本部へと向かった。そこでは、苛立つように目を据わらせているロイドが、杖で肩を叩きながら、黄色の球体を見ていた。そして俺達の姿に気づくと、顎でその球体を示した。

「手を載せれば、魔力の測定ができます」
「頑張ります!」

 早速俺は手を載せてみる事にした。何せ俺は神子だ。人に分け与えるほどの力があるのだ。きっと魔力だってあるだろう。俺は疑っていなかった。球体が、半透明の光を放ち始める。ドキドキしながら見守っていると、ロイドが目を見開いた。

「素晴らしい……!」
「え?」
「魔力の素質0! 綺麗さっぱり0! 見事に魔力が0! つまり宮廷魔術師が面倒を見る必要はない。騎士団でこれからは剣の稽古をすると良いだろう!」

 初めて見せる高テンションで、ロイドがやはり初めてとなる笑顔を俺に見せて、向けてきた。非常に良い笑顔だ……。好感度も3上がった……。

「神子様ならきっと騎士団も歓迎するだろう」

 ロイドと宮廷魔術師の人々は、歓迎していなかったというのがよく伝わってきた。

「では騎士団の鍛練場へと行きましょうか」

 エデルはいつも通りの優しい笑顔だ。
 俺はとりあえず、ロイドに測定してくれたお礼を述べてから、エデルの後について、その場を後にした。続いて向かった騎士団の本部では、明るい笑顔のアロイスが立っていた。手には木刀を持っている。

「おはよう、神子様。今日も可愛いなぁ」
「……」

 アロイスの好感度は、0である。上辺だけだと分かった現在、怖気は走らなくなったが、明るく見える分、アロイスの腹黒さがちょっと恐ろしい。

「よし。まずは剣の素養を確認しよう。この木刀を俺に向かって振り下ろしてくれ」
「え?」

 木刀といえど、そんな事をしたら怪我をしてしまうのではないのだろうか。困惑しながら木刀を受け取ると、俺の前でアロイスが目を閉じた。

「さ、早く」
「……え? でも」
「剣の稽古をする前に、この騎士団では必ずやらせる事なんだ」

 それを聞いて、俺は唾液を飲みこでから、一歩前へと出た。木刀なんて、体育の授業で持ったっきりであるが、気合を入れて握ってみる。いや、体育は竹刀だったな。これは剣の模造品だ。

「行きます!」
「どうぞ」

 俺は思いっきり剣を振り上げる。そして振り下ろそうとした。だが、アロイスが微動だにしないため、このままでは頭を殴りつけてしまうと恐怖し、木刀を結局横側の床に振り下ろしたのだった。

「うーん。優しいんだな、神子様は」

 アロイスが目を開けた。好感度が5上がった。苦笑したアロイスは、それから腕を組む。

「しかし優しくちゃ、守るものを守れない場合も多い。神子様は、剣の稽古をするんじゃなく、既に手練の騎士に護衛を任せた方が良い。特にこれからの二ヶ月間は、俺が護衛をするために時間を確保済みだ。俺とエデルがいれば、神子様に怖いものはない。安心していい。俺が守るから。昨日もそう話しただろ?」

 諭された俺は、小さく頷いた。確かに考えてみると、お魚でさえ捌けない俺には、魔物を切るなんて無理だろう……。

「分かった」

 俺が頷くと、何故かエデルの好感度が7もあがり、結果エデルの好感度が35になった。エデルは、ロイドはあんまり好きじゃなく、アロイスが好きなのだろうか? なんか違う気もするな……。考えてみると、俺が大人しくしていると言ったら好感度があがって……昨日稽古をしたいといったら下がって……もしや、戦って欲しくない? いやいや、お力を貸してくれといったのは、エデルだ。考えすぎだな、きっと俺の。

「今日はこの辺で終わりとしましょう」

 エデルがポンポンと手を叩いた。こうして俺は、魔術の修行も剣の稽古もしない事に決まったのだった……。