【十三】放置






 朝起きると、既にアルトの姿は無かった。テーブルの上に書き置きがあって、本日も魔物の討伐に行くと書いてあった。

 ……。
 昨夜の事が夢のような気分になっちゃったよ、俺は。本当にアルトは、俺の事を……? そう思うと、なんだか嬉しい。男に好かれても嬉しくはないはずだったのだが、みんなの好感度があんまりにも低くて、自分は嫌われている気がし……いや、事実好かれていなかったから、一人でも俺を好きっぽい人がいると、勇気が出る。わーい!

 その後運ばれてきた朝食を食べてから、俺は本日もぬりえをする事にした。一枚一枚丹精込めて塗っているが……やっぱり俺の作業って遅いよな? どうしようかな。何かこうもっと簡単なお守りはないのかな。それを聞きたいけど、知ってそうなエデルもいないわけだしなぁ。

 しかしながら俺には他に出来る事はないので、頑張って今日も塗り絵をした。色鉛筆を動かしながら考える。今夜も、アルトはやってくるのだろうか?

「俺の気は変わらないぞ……後ろの穴は死守しないとな……」

 と、呟きつつ、俺は最初の夜にキスをして、出してしまった時の事を思い出した。正直気持ち良かった。きっとSEXは、もっと気持ちが良いのだろう。俺だって、好奇心はある……。クラスのパリピ共が童貞を捨てた話をする度に、俺は羨ましかった。が、俺が捨てたいのは童貞であり、決して後ろじゃない……。ヒロインポジの俺は、きっと突っ込まれる側だろうという推測は、今も変わってない。

 そんな事を考えながら日中を過ごし、夜になった。俺はそわそわしていたのだが、この夜アルトは来なかった……。

 なお、翌日も、その翌日も来なかった……。
 食事を運んでくれる魔族以外、誰も俺の部屋には来ない。だからひたすら塗り絵をしながら、俺は唸っていた。

 コンコンと部屋の扉がノックされたのは、ここへ来てから丁度二週間が経過した時の事だった。最初は空耳かと思ってしまった……。最近俺、誰とも話してなかった……。

「ど、どうぞ!」
「失礼する」

 扉を開けながらそう言ったのは、アルトだった。その顔を見たら、俺は無性にホッとしてしまった。多分、誰も来ないから、寂しかったんだと思う。

「今日は討伐が早く終わったんだ。少し話がしたい」
「ああ、いいぞ」

 俺は塗り絵をする手を止めた。すると俺の隣にアルトが座った。そしてチラリとそれを見た。

「これは?」
「お守りだそう」
「お守り? なんの力も感じないが……?」

 その言葉に俺は息を飲んだ。そして眉根を下げた。

「もしかして、ただ色を塗るだけじゃダメなのか? 俺、力の渡し方がわからなかったんだし、本当はほかに何か、塗る以外にもしたほうが良かったのか?」
「誰がこれを用意したんだ?」
「エデルが塗って待ってるようにって。大切な仕事だからって」
「……」
「まだ三枚しか完成してないんだけどな……」

 アルトは何も言わずに、手ずからお茶の用意をした。そして俺と自分の前にカップを置くと、ゆっくりと瞬きをした。

「神子の扱いには、皆苦労していたからな」
「俺の前にも神子がいたって事なんだよな? サラさんの事じゃなく」
「ああ」
「その人達は、どこに行ったんだ?」
「――神官長が、元の世界に強制送還したようだな」
「え!? 俺、帰りたくないんだけど、もしかして帰されちゃうのか!?」

 思わず叫ぶと、アルトが俺に向き直った。

「いいや。祭儀を行ったら、この国に生涯いてもらう事となる」
「……そ、そっか」
「逆に、帰りたいとは思わないのか?」
「うん。俺は剣と魔法の世界で冒険がしたいし、働きたくないんだ!」
「俺としては、貴様が帰ったら失恋となるから、永劫ここに留まって欲しいが」

 不意打ちの『失恋』なんて言葉に、俺は思わず照れてしまった。アルトは本当に俺を好きなのか……? それはそうと、気になる事があった。祭儀、だ。エデルは時期が近づいたら話してくれると言っていたが、以前聞いた話だと、あと一ヶ月と一週間で祭儀だ。

「祭儀って何なんだ?」
「グリュテノフ王国の行事だから、俺は関知していない。詳細は知らない」
「そっか」
「ただ、類似の儀式が魔王国にも存在する。そちらは、神子である事は推奨されているが、過去、神子が不在でも成功しているから、別段リュートの力を借りなくても大丈夫だ」

 それを聞いて、俺は何度か頷いた。そうして紅茶を一口飲むと、とっても美味しかった。

「アルトはお茶を淹れるのがうまいんだな」
「そうか?」
「うん」
「毎日、茶の時間に用意してやりたいが――俺も多忙だからな」
「討伐、今日は落ち着いてるんだろ? ちょっとは雑談出来るか?」
「俺と話がしたいのか?」
「……その」

 正直アルトでなくともいい。一人が孤独すぎて辛かっただけだ。俺が俯くと、アルトが俺の頬に触れた。驚いてアルトを見ると、首を傾げていた。

「なにか不便でもあるのか? この城に滞在中は、困り事がないように配慮したいんだが」
「いや、ないよ? たださ……毎日塗り絵だから……大切な仕事だって分かってはいるけど」
「――他には何をしているんだ?」
「ご飯食べたり、寝たり」
「何? 一日中これを塗っているのか?」
「うん」
「……神官長はそれで良いと?」
「二週間、ご飯を運ぶ人以外、誰も来てないんだ。エデルとかアロイスは元気なのか?」

 俺が尋ねると、アルトが息を呑んだ。そして哀れむような顔をして、俺をじっと見据えた。え? なんで?

「ずっと一人だったのか?」
「そうだけど? 別に子供じゃないし、ひとりでもいられる」
「……すまなかったな。俺も会いに来たかったんだが、帰還時間が遅いから、起こすのは悪いと思ってな。出立も、リュートの起床よりも早かったんだ、いつも。何度か手紙を書いただろう?」
「え? 手紙? きてないぞ」
「何? 執事に渡したのだが――……渡さなかったのか、あいつは。神子との恋愛を一番反対しているしな……」

 それを聞いて、俺は目を丸くした。

「手紙、書いてくれてたのか?」
「ああ、毎日書いた」
「俺のこと、覚えてたんだな、ちゃんと」
「当たり前だろう」

 アルトはそう言うと、俺の腕を引いた。体勢を崩した俺は、そのまま抱きしめられた。久しぶりに他者の存在感を覚えたら、なんだか胸がズキズキした。やっぱり俺、寂しかったみたいだ……。

 男に抱きしめられても嬉しくないはずだったのだが、今は無性に安心する。
 そのまま俺は、暫しの間、抱きしめられていたのだった。