【7】インテリジェンス・デザイン――本選・初日――
さて、この日は皆が燕尾服を着ることになった。
正装はクローゼットに入っていた。事前に身体測定が行われたのはこのためかと時野は考えていた。着替えてから、一同は招待された5階へと向かった。
「……」
そこに広がる光景に、時野は呆気にとられた。
やはりここは船だったらしい。全面吹き抜けの硝子の向こうには、海中が広がっている。
窓の外のライトが、深海の様子を照らし出していた。
会場自体は、立食式だ。様々な国の上品な料理が並んでいる。
総勢20名の回答者を、50名以上の給仕の人々が囲んていた。他には、テレビ局のクルー達がいる。他にも、招待されたらしき人々が30名ほどいた。中には時野が知っている顔もあった。例えば、国際的に有名なオペラ歌手などがいたのである。
「美味そー」
相が呟き、皿を手に取った。辺りを見回してから、彼は堂々と進んでいく。
「お待ちなさい」
縁もその後を追いかけていった。要はと言えば、豊富な種類があるジュースの前に立っている。所在なく、時野は壁際に立っていた。あまり食欲がわかない。いきなりの事態に理解が追いつかないと言うこともある。だからぼんやりと窓の外へと視線を向けた。
「何? 壁の華を気取ってるのかい?」
そこへ声がかけられた。顔を上げると、何かとライバル扱いされる日向が立っていた。日向は時野の一つ年上だ。茶色に染めた髪が揺れている。瞳も同色だ。カラーコンタクトだろう。
「そういうわけじゃないけど」
大体それは普通女性に向ける言葉じゃないのかと思案した。すると時野の隣に立ち、日向がニヤリと笑った。
「今回の月9、俺が主役だ」
「ああ。らしいな」
一応知識としては知っていた。実はそのオーディションの話しが、時野にもあったからだ。しかしドラマなど出来る気がしなくて、時野は断った。
「必ずヒットする」
「頑張れよ」
「それは嫌味か?」
「え?」
「いい気になるなよ、深山。俺の方が、実力があるんだからな。お友達の力でここにただ来られたお前と俺は、天性の才能が違う」
「はぁ……?」
「すぐに泣かせて帰国させてやるよ」
日向はそういうと嘲笑するような顔をした。時野はと言えば、唐突に嫌味(?)を言われたことに戸惑っていた。何かと周囲に対立を煽られてはいるが、別段個人的には好きも嫌いもなかったからだ。
「みっともないんじゃない、棒読み」
その時、高い声がした。視線を向けると、天才子役の梓馬がスペアリブを手にこちらを見ていた。
「だ、誰が棒読みだって?」
日向の眉がつり上がる。
「わかってるんでしょ? 自覚あるんだ」
「お前、図に乗るなよ」
「芸歴は僕の方が長いよ。先輩に対して、その言い方ってどうなの?」
子役の迫力に、日向が黙った。それから舌打ちして歩き去る。こ、怖い。時野は顔が引きつりそうになった。
「ねぇ、時野さん」
「は、はい?」
「なんで敬語なの? 別に僕、先輩とか後輩とか気にしないよ」
先ほどとは百八十度違う梓馬少年の声に、時野はふるえを押し殺しながら、曖昧に笑って頷いた。
「それよりさ、2KHの立体パズルを解いた人がいるって、本当?」
「あ、ああ。俺の同級生が」
「へぇ」
頷いた梓馬が周囲を見渡した。そして皿を置くと、まじまじと時野を見た。
「どの人? 紹介して」
「ああ、そこのジュースの――」
時野が言いかけた時だった。不意に、会場の照明が落ちた。
「お待たせ致しました、皆様。これから、本戦第一日目、第一問を開催します」
中央のステージに、燕尾服の青年が歩み出た。彼は、フリーアナウンサーの高瀬奉だった。
直後ドライアイスの煙がステージを包み、ゆっくりとピエロが姿を現す。
道化師の赤い鼻に、時野の視線は釘付けとなった。第一問? 急すぎる。
「これより、オペラ歌手の美咲優さんと、日本音楽Y大のオペラ科学生により、歌を披露して頂きます。どちらが、美咲さんか当てて下さい」
高瀬の声に呼応するように、左右にそれぞれ、五つずつのブースが現れた。
順に1から10までの数字がふってある。
「不正解の皆様には、今夜、この会場にて食事の提供はありません」
アナウンサーは朗らかに言う。そう言うルールなのかと考えていると、時野に梓馬が言った。
「お互い頑張ろうね。今度、改めて紹介して」
「おぅ」
二人はそうして別れた。時野は、それとなく自分の組である6番を目指す。自然と相と縁、要と合流した。あまり広くはないブースの前段に時野と縁、後段に相と要が座る。歌が始まったのはすぐのことだった。時野は……どっちも似たり寄ったりだとしか思えなかった。まず声の質もそっくりだったからだ。
「全く分かんねぇ。どう違うんだ?」
相の小声が響いてくる。要は何も言わない。すると呆れたように縁が笑った。
「明白ではありませんか」
自信たっぷりに告げ、縁は全面にある電子パネルに、大きく『1』と書いた。
1と2、正解だと思う方の数字を書くというルールだった。
他の参加者の回答は見えない。一斉に発表されるのだ。
「それでは、発表致します。各チームの答えは、こちら!」
中央に向いた側面にあるらしいパネルに、回答が表示されたらしかった。それは、アナウンサーがいる中央の上部のモニターにも表示されている。見上げて時野は、全ての班が『1』を選んだことを確認した。
「ご名答。正解は、『1』です」
高瀬が言う。会場に拍手が起きた。外した組は一つもない。
「続いて、第二問。今から、美咲さんが、オリジナル曲を演奏して下さいます。それを、ヴァイオリンで正確に再現して下さい」
今度は会場中に緊張感が溢れた。確かに美咲優は、オペラ歌手であると同時に、世界的なヴァイオリニストだ。皆が見守る中、美咲は微笑を湛えて、ヴァイオリンを手に中央に立った。
その後真剣な表情に代わり、そして、情熱的な演奏を始めた。
演奏が終わるとアナウンサーが言った。
「本日のために、特別に作曲して頂いた曲です。それでは公平を期するために、くじ引きを行います」
荘厳な演奏に浸っていた会場内が、にわかに騒がしくなった。
ヴァ、ヴァイオリンの演奏……? それも今初めて聴いた曲を? 無茶ぶりである。
「俺、ヴァイオリンなんて弾けないぞ」
相がポツリと言った。振り返って時野も大きく頷いた。触ったことすらない。要は目を細めている。すると縁が唇の両端を持ち上げた。
「全く情けのない人たちですね。このような事、実に簡単ではありませんか」
その声に、時野は息を飲んだ。
「とっととくじ引きにいってきて下さい」
縁にバシンと肩を叩かれ、時野は通路に出た。このくじ引きは、後の奏者の方が有利であるため行われるのだろう。おそるおそる棒を弾くと、3番だった。ブースに戻り、時野がそれを見せる。すると縁が鼻で笑った。
「せっかくなのですから、1番をひいてくれば良かったものを。運も実力のうち。貴方には才能があまり無いようですね」
言いがかりである。しかし本当にひけるのか。時野は不安な気持ちでいっぱいだった。
1番目は、『県立八坂勾玉高校チーム』だった。
前に出たのは顔面蒼白の眼鏡の生徒だ。彼は、「開始」という合図と共に、ヴァイオリンを弾いたのだが、辺りには、ただのギギギギギギという音が漏れただけだった。初めて弾いたのだろう。周囲が残念なものを見るような顔をした。時野は、不憫に思った。
2番目は、『国立T大学チーム』だった。見守っていると、前に進み出た学生がきっぱりと宣言した。
「我々には再現不可能です。リタイアします」
想定していなかった言葉に、時野は大きく瞬きをした。
さて……3番目、自分たちの番である。時野は不安げに縁を見た。しかし自信たっぷりに縁は前へと出た。そして実に自然な動作でヴァイオリンを構える。
「始めて下さい」
高瀬がそう言うと、一呼吸置いてから、縁が微笑した。周囲の目を惹き付ける、高潔な笑顔だった。そして真剣な表情に代わり、スッと目を細める。それからゆっくりと、次の瞬間には激しく、縁は手を動かす。
その場に、華麗な調べが漏れた。誰もが圧倒されて何も言えない。
縁が演奏した五分間は、すぐに過ぎた。余韻を残して弾き終わった後、縁は再び笑った。瞬間、会場中に拍手が漏れた。縁は、完璧に再現していた。どころか、あるいはオリジナルの演奏よりも、それは素晴らしかった。
ポカンとした顔で、時野は戻ってきた縁を迎えた。
「すごいな……」
「この程度、当然です」
断言した縁を見て、要が呟く。
「縁さんて、絶対音感とかあるの?」
「ええ。もっとも私は、ヴァイオリンよりもピアノの方が得意なのですが」
「小さい頃は、国際コンクールとか出てたもんな」
そこへ相が声を挟んだ。すると自慢そうに縁が頷く。時野はその声に首を傾げた。
「二人は昔から知り合いなのか?」
確か相は中等部からの外部入学生だ。その割には、幼少時を知っているのは珍しい。
「まぁ、幼なじみだからな」
相の返答に、時野は納得したのだった。ならば縁の濃い性格にも耐性があるのだろうと理解したのだ。
その後他の組も演奏したのだが、再現できたのは3組だけであり、中でも完璧だったのは時野達だけだった。
よって7つの組は、そのままブースに残され、料理が食べられなくなった。
3つの組12名は、最初の通り、ホールに向かうことを許された。
「やっぱり美味ぇ」
相が惚れ惚れするように言った。縁も微笑している。要は無表情だが、どことなく満足している雰囲気を醸し出していた。時野はローストビーフを食べながら、それとなくブースの方を見た。日向が不機嫌そうな顔をしていた。目があったので顔を背けた。
そこへデザートが配られた。
「はい! ここで第三問」
全員が受け取った直後、不意にそんな声がかかった。高瀬が高々とマイクを持っている。
「今配った皿の左右、片方はパリの三つ星レストランのパティシエの作です。もう一方は、俺のお手製です。さぁ、どっちが三つ星でしょうか!」
時野は目を伏せ硬直した。何せ見た目はどちらも代わらない。ジェラートだ。
溜息を堪えながら目を開けると、相と要が見比べながら首を傾げていた。
「愚問です」
しかし自信たっぷりに縁が言った。
「右が三つ星に決まっているではありませんか」
結果。
縁の言ったとおりだった。お金持ちってすごい。時野がそんな風に思った夜だった。