【9】Ω類憐みの令……?



 翌年、冬が終わる頃、僕はお世継ぎを産んだ。天井から下がっている布の紐を引っ張って、口にも布を噛んで、気合いを入れて産んだ。女の人って凄い……僕はやり直せるなら、やはり男として、かつ今度はΩ以外に生まれたい……。

 生まれてきた我が子がαなのかΩなのか、はたまたβなのかは、例え将軍家といえど、二次性徴頃まで分からないのだという……。不安だったが、僕は忘れた。

 産後一ヶ月くらいして――もう大丈夫だと言われた。何がなのか聞き返そうとした僕の前で、瀧春様が拳を握った。満面の笑みだ。

「上様との閨です」

 え。
 僕は硬直した。一人産んだら、言葉は悪いが、もう終わりだと思っていたのだ。え?
 ――その翌日の夜から、僕は再び閨に呼ばれるようになった。

「この一年、本当に寂しかった……!」

 僕は、ひきつった笑顔を浮かべた。僕を抱きしめて、家森様が愛を語り出す。
 他にも側室候補は沢山いたはずなのだが……僕の懐妊中も、誰にも手がつかなかったのだ……。運命の番は僕なのだからほかは不要だと家森様は言ったらしいが……重荷すぎる。考えたくもないが、もし僕の子供に何かあったら、将軍家はどうなるのだろうか……。

 ただ、こうやって愛されると、嬉しい気もしてくるから不可思議だ。
 閨では無かったが、この一年間、多忙の合間を縫い、ちょくちょく家森様は僕のもとに顔を出してくれたし、贈り物や手紙も絶えなかった。第一印象では意地悪そうだと思ったのだが、話してみると悪い人でもない。

 何より、浮気をするでもなく――一年間、僕の事を待っていただなんて……!
 僕は、ちょっとだけ絆された。
 どの程度かというと、近づいてくる唇を、目を閉じて受け入れる程度には、である。

 久方ぶりにキスをしてから、僕は押し倒された。


 ――この年、僕は二人目を懐妊した。僕達は、仲睦まじい将軍夫婦として、人々に受け入れられるようになった。瓦版に、幸せな僕達の家族生活の記事が出ると、いつもより売れ行きが良いらしい。

 そうして第二子も無事に産み、僕は、将軍の側室として、磐石の地位を築き始めた。
 瀧春様が、奥下がりを申し出てきたのは、僕の長男が四歳、次男が三歳になった年の事である。

「実は予てより惚れていた歌舞伎役者と幸いにも結婚できる運びとなりまして」

 麗しい顔で微笑み、瀧春様は大奥を去った。
 結果――瀧春様派だった大奥のΩが、ごそっとそのまんまそっくり、僕派になった。
 え。これは、誤算だった……!

 すっかり忘れていたのだが、御台所様と蓬莱院様は、どうしているのだろうか……?
 僕は、毎朝我が子を抱いて挨拶する時以外、話した事が、実は一度も無い。
 うっかり毒でも盛られては困るからとして、これまで瀧春様も非常に強くガードしてくれていた。

 ……ど、どうするんだろう、これから。
 僕は不安になってしまった。思案していたある日、この日は珍しく、閨で家森様も溜息を零した。僕は首を傾げた。

「どうかなさったんですか?」
「――聖父が、ちょっとな」

 聖父というのは、蓬莱院様の事だ。僕にとっての義父といえる相手の名前だ……。

「Ω類憐みの令なるものを出してはどうかと煩くてな」
「は?」

 僕はポカンとした。な、なんだって?

「えっと、それ、何ですか?」
「――Ωの事も、人間……つまり、βのように扱うべきであるという、一見すれば悪法とは言えぬ新しいお触れなのだが……事細かに、聖父の定めたがっている事柄を見ていくと、ΩをΩ様として扱わなければならないように読み取る事が出来てな……確かにΩといえど、水季のように運命的な存在はいるし、余にとって運命の相手でなくとも、他のいずれかのαにとっては運命の番たるΩがこの大奥には沢山いるのかも知れない……が……士農工商の制度すら崩壊しかねないような仔細が盛り込まれていて、弱っているんだ」

 僕は生暖かい笑みを浮かべてしまった自信がある。

「迷ったら、やらないという選択肢もあります」
「う、うむ、そうだな。やはり表で政を司るαのように、水季は頼りになる」

 家森様が僕を抱きしめた。僕は歴史の成績の低さを振り返りつつも、そんな僕であっても頼りにされるチートとは、本当に素晴らしきものであると再確認させられた。以降、僕は時々、なけなしの歴史知識を引っ張り出して、上様の相談に乗るようになった。

 するといつしか――蓬莱院様よりも、実は表の政にも関わっている……! と、噂を立てられるようになった。噂というか、多分、事実だろう……。最近など、話が聞いてもらえないと拗ねてしまったようで、蓬莱院様は、部屋に引きこもって出てこないそうだ。さらに、僕の権力が揺るがないと判断したらしく、御台所様や秋名の方様は、僕に死ぬほど腰が低くなり、非常に優しくなり、僕を立ててやまない……。そこまでしてもらわなくても……。僕、何もしないのに……。

 もう、毎朝の僕は、傅くだけではない。上様のそばを歩いているのである……。

 この幸せは、いつまで続くのだろうか……?
 正直それが、怖かった。

 さて、瀧春様がいなくなったので、暫くは、瀧春派の筆頭だった美波様に大奥総取締をお願いしていた。美波様は、大奥で上から数えたほうが早いご老人であり、派閥をまたいでそこそこ慕われてもいた。が、寄る年の波には勝てないわけであり……ご本人から、次の大奥総取締の選定を頼むと、僕は内密に伝えられた。

 元々は、僕が目指していたポジションである。
 そして、よほどのことがない限り、僕の子供が将軍職に就いた頃も大奥総取締をしているであろう人物となるので――……勿論、簡単には、決められない。大奥の人員入れ替えは、先代で廃止されていると、御右筆時代に読んだのだ。まぁ、復活させるのも自由だろうが……。

 こうして、大奥総取締を目指していたはずの僕は、大奥総取締を誰にするか、悩む事になったのである。世間とは、分からないものだとしか言えない。