【10】幸せとは、長くは続かないようだ……。



 悩み抜いて、僕は、次の大奥総取締を、雛菊に任命した。雛菊は、表の政を司る名門α排出武家でもある摩銀藩の類縁の方で、現在の家老の塔崎様の従弟でもある。塔崎様というのは、家森様と幼少時より共に育ったαであるそうで、絶大なる政治的な権力を盛っているお人だ。僕にも良くしてくれている。僕は、長男の行く末を考えて、各地でプラスの影響をもたらしてくれるだろう雛菊を選んだのである。僕専属の御中臈だったからというのも、無論理由の一つだった。雛菊は、僕にも息子達にも良くしてくれる、素敵なΩである。こうして悩みも消えて、僕は再び幸せに浸り始めた。



 そして――数年が経った。
 長男の武千代が八歳、次男の生松が七歳……この年……上様が病に伏した。
 江戸城は元より、街――国全土に、流行病が襲いかかったのだ。

 僕が知る現代知識で言うならば、新型インフルエンザである。
 しかし……僕は、新型インフルエンザへの対抗策等、何も知らない。
 子供達二人は、安全な場所に隔離された。僕は、最初はそちらにいたが、この頃にはもう既に家森様が愛おしすぎたため、付きっきりで看病をした。伝染ったって構わないという心境で、子供の事は、雛菊達に任せ、寝ずに濡れた布を取り替える。

「このままでは水季の方様が倒れてしまいます……!」

 そう言われた翌日……僕の願いも虚しく、家森様は、帰らぬ人となった……。
 呼吸をしていない家森様を目にした時、僕は涙ではなく、空虚感が押し寄せてきたから驚いた。目の前が真っ暗になってしまった。家森様がいない世界で、果たして僕は、生きていけるのだろうか……無理そうだ……。

「水季様! しっかり!! 次期将軍の武千代様のためにも!!」
「いかにも! 塔崎様の仰る通りです!」

 茫然自失としていた僕を、右から塔崎様、左から雛菊が励ましてくれた。
 これにより、僕はギリギリの所で我を取り戻す事が出来た。

 葬儀と並行して、僕の長男は――徳川家音様として、即位した。

 同時に僕は落飾し、水章院と名を変えた。別に髪を剃る等は無かった。
 ひと段落した頃には、息子の即位が嬉しくも……非常に不安になっていた。
 実はここまでの間、まだ小さい体と自分の中で言い訳してきたり、個性だと考えるようにしてきていたのだが……八歳にして将軍に即位した家音様……何というか、僕から見ても、明らかにΩなのである……。逆に言うと、次男の七歳である生松が大人顔向けの事を何かと披露する――あからさまにα臭が漂う存在である、とも、言える……。

 家音様は頑張って頑張って頑張って、やっと一個、漢詩を暗記する。
 生松は、チラ見したら二秒後には諳んじている……。
 家音様は、非常に頑張っている。そして――生松もまた「兄上を支えるんだ!」と言いながら頑張る……。見ていてちょっと不憫になる……家音も、将軍になると聞いた時「本当に僕が?」と、困惑していた程である。子育てって、難しい。僕は別に、αだろうがΩだろうが気にならないし、子供は出来ようが出来なかろうが可愛いが……――世間もそうとは限らない。

 それでも――二人の成長期までは、誰も表立って家音の悪口を口にしたりはしなかった。大奥では雛菊も目を光らせていたし、表では塔崎様もいた。

 事態が急展開を迎えたのは、家音が十四歳間近、生松が十三歳になった歳である。
 ――二人揃って、α・β・Ωの判別紙を試す事になったのだ。

 本来であれば、家音は昨年のはずだったのだが、風邪として延期されていたのである。僕は、来てしまったこの日に、内心で震えていた。いいや、まだ分からない。生松が僕に似て、α風Ωの可能性もある。二人共αの場合もあるだろうし、二人共Ωの可能性もある。

 だが内心では……多分家音がΩで、生松がαだろうなと、正直思っていた。
 それは、周囲も同様だったらしい……。
 果たして結果は――誰の予想を裏切る事も無かった……。

 家音は、Ωだったのである。つまり、現在の大奥では、対処できない。Ωばかりの大奥は宿返しされると決まり、αの番候補が集められる事に決まった。このことから、塔崎様は大老に任じられた。家音の補佐を、これまでよりも密にするためだという。また、家音様にαの後継者が生まれるまでは、生松が次期将軍として教育されると内々に決まった。生まれなければ、家音が将軍をしていると民衆には伝えつつ、内側では、弟である生松が将軍職をこなすらしい……。逆に雛菊は宿下りとして、大奥を去った……。

 溜息しか出てこない。幸せとは、長くは続かないようだ……。

 さて――新生大奥において……僕は、僕の部屋を用意されている。
 しかし、そこから出る事は――許されなくなった。
 理由は一つだ。僕以外、全員αだからである。家音のために集められたαだ。

 更に僕は、前将軍の側室だった存在である。

 万が一、発情期に見舞われたら大変だ。それは僕にもよく分かっていた。既に家森様もいないのだし、僕はきっと発情期に耐えられないし……。という事で、僕の食事に、発情期抑制薬であるわたあめが復活した。

 誰とも会えないので、僕は時々訪ねてきてくれる塔崎様と、家森様を偲んで話す事だけが楽しみになっていった。子供達は別で、生松はαだから家族といえど万が一が無いようにと会えないが、家音は頻繁に顔を出してくれる。小柄な家音は、非常に愛らしい。早く幸せになって欲しい……。

 そう考えつつ引きこもって過ごしていたせいで、僕は気づくのに遅れた。
 ――僕と塔崎様が、あらぬ噂をたてられているという事実を。