【3】




 ――僕としては、既に僕と話す事で、二度と使用する気が起きない程度には、幻滅されているだろうと感じていた。そして僕の中では、取り付く島も無い他人は、『いけ好かない』と世間において評判を得るという考えがあった。

「皇帝という立場に俺は、満足している。例えば今回のように、口の堅い魔術武器連盟の役員から、自分が信望する魔術武器製作者の住所を聞き出す事が可能な程度の私腹も肥やせるからな」
「魔術武器連盟の役員に聞くべきだったのは、ここの住所ではなく、最先端にいる、最優秀武器製作者の名前の間違いだったんじゃないのか」

 僕は、自分のために新しいアイスコーヒーを出現させた。これは、転移魔術の応用だ。同時に、皇帝陛下と身分を明かした青年の前にも、グラスを出現させた。僕は人間が嫌いであり、他人が嫌いだ。けれど人間が定めた規則を嫌っているわけではない。その範囲で、尊ばれる皇帝という存在を前に、礼儀を欠く事を信念としているわけでも無い。皇帝であっても好きになれないだけで、それは皇帝を敬わないという意味合いではないのだ。

「聞かずとも、俺は多くの魔術武器製作者を知っている。勿論、新しい暁の砦に携わる魔術武器製作者は、お前一人では無い。その中には、現在の魔術武器製作の世界において最先端にいると言われる者もいれば、歴史の生き証人として扱われているような玄人もいる。様々だ。ただ――俺が、直接声をかけ、こうして依頼をしているのは、お前一人だ」
「僕はもう老いているんだ。それこそ、その歴史の生き証人よりも、恐らくずっと。最先端や最前線といった場所からは程遠く、製作するための道具にすら触らない日々を送っている。僕は、このまま僕という存在が忘れられていくことを、切に願っている。話を聞く限り、僕は不要だ。他の者に安心して任せれば良い」

 僕が言葉を続けると、彼はアイスコーヒーのグラスに指先で触れた。

「皇帝だと名乗ったら飲み物が出てきた。ならば、命令だと口にすれば、従ってもらえるのか?」
「極刑にでもすれば良い。僕が属する国ではないけれど、不敬罪でも適用して引渡しを連盟に請求すれば良いだろう」
「冗談だ。所で、お前、名は何と言う? 魔術武器には、いずれも『銘・ライオネル』とあったが、正式には?」
「リオ=ライオネルだ。ライオネルは、師の名を継いだ」
「俺は、ワイルメルカ=コールレイド=ニューグリールと言う。正式名称はもっと長いが、葬儀でもなければそこまで名乗る事は無い。近しい者は、ワイルと呼ぶ。そう呼んでくれ」「ワイルメルカ皇帝陛下、僕は決して近しい者ではないし、今後も近づく事は無い」

 首を振って僕が言うと、彼は思案するような瞳でこちらを見た。

「何故他者を遠ざけているんだ?」
「遠ざけても遠ざけても近寄ってくる心境を逆に尋ねたい」
「お前に興味があるからだ」
「僕には無い」
「無いと判断する前に、もう少し俺について知ってもらう事は出来ないか?」

 そう口にすると、彼が立ち上がった。僕は片目を細める。

「その必要性を感じない」
「俺には必要性がある」
「それはそうだろう、砦の依頼に来たのだろうから――……」

 眉を顰めたままで、僕は近づいてきた彼を見ていた。しかしその距離があまりにも近すぎて、途中で僕は言葉を止めた。僕の横に立った彼は、屈んでじっと僕を見る。近づいてくる端正な顔ばせに、僕は狼狽えた。本当に、距離が近すぎる。

「どいてくれ」
「――別に、砦が理由ではない」

 近づいてきた唇が動くのを、僕は硬直したまま見ていた。

「元々憧れていた相手に対面したところ、そこに望外に好みの容姿の麗人がいて、その人物の何かに怯えるように周囲を拒絶しようと強がっている姿を見てしまったら、俺は守ってやりたいと感じる。俺の手で」

 言われた意味を考えている内に、掠め取るように唇を奪われた。瞠目した僕が後ろに逃れようとしたら、背中に彼の腕が回った。そして今度は、触れるだけではなく、深いキスをされた。狼狽えた僕は、抵抗する事も忘れて呆然としていた。絡め取られた舌が自分のものではないように感じる。

「っ」

 ようやく唇が離れた時、僕は肩で息をしながら、彼の胸元に倒れ込んでいた。

「その上、無防備極まりない。家の扉までが厳重すぎたとも言えるが――とても放ってはおけない」
「余計なお世話だ、離せ――ッ」
「じっくりと俺の事を知ってもらう」

 僕はそのまま、抱き上げられた。そして――気づくと場所が、二階の僕の寝室に変わっていた。人を伴っての転移魔術は、並大抵の魔力量では出来ない。それをいともあっさりやってのけた人物に、僕は一時気を取られた。純粋に尊敬してしまったのだ。しかし、そんな場合では無かった。気づくと僕は、寝台に押し倒されていたのである。

「俺がどんな人間か教えてやる」

 僕の服を剥ぎながら、彼が言った。指が、僕の鎖骨に触れた時、思わずびくりとした。人嫌いな僕は、他者から遠ざかって以後――当然、誰かと皮膚接触した事なんて無い。自分と異なる温度がそこにある。それだけで、僕が動揺するには十分だった。

「頼む……から……止めてくれ……」

 気づくと僕は泣いていた。すると、彼の動きが止まった。

「この状況で、そんな風に綺麗に泣いたら、逆効果だぞ? もっと虐めたくなる」

 そうは言いつつも、彼は僕の目元を指先で拭い、僕の髪を撫でながら、小さく吐息して微苦笑した。それから寝台に上がり、僕の隣に横になった。そして、僕を抱き寄せて囁いた。

「酷い事をしたな。もう今宵は、酷い事をしない。だからせめて、こうしていさせてくれ」

 反射的に僕は頷いていた。後になって冷静に考えた時には、この時行為を止めた彼は決して優しいわけではなく、そもそも合意なく僕を押し倒した時点で酷い人物であるのだが、その瞬間において僕は、彼の腕の温もりに飲まれ、優しさを感じていた。彼が野宿を回避し、寝台まで確保した事実に気が回る事も無かった。

 そのまま、彼は眠ってしまった。腕の中で、僕は気疲れからぐったりしつつ、まだ僕にとっては寝起きに等しい時間であるため、困惑していた。腕の力は強くて、独力では逃れられそうにもない。しかし寝てしまった彼は、起きる気配が無い。その内に、大嫌いな他人の――これまで長らく忘れていた体温を、僕は意識するようになった。緊張状態だった僕は、少しずつ体の力を抜いた。抜けていったが正しい。

 朝日が昇る頃には、僕もうとうとしていた。他者の体温に吸い寄せられるようにして、微睡みが込み上げてきた。気づくと眠っていた僕は、次に目を覚ました時、真正面に端正な青年の顔があったため、びくりとした。

「目が覚めたか?」
「……は、離してくれ」
「起こさないように、このままにしていたんだが」

 そう言って彼は僕を、より強く抱きしめた。後頭部に手を回され、額を胸に押し付けられる。

「怖い事は、何も起きなかっただろう?」
「……」
「俺がそばにいる限り、安全だ。何も心配する必要は無い。守ってやる」
「――自分を棚に上げるな。今、僕からすれば、僕は危険人物の腕の中にいて、非常に恐怖を覚えている」
「その割に、すやすやと寝ていたな」
「っ」
「眠っているお前を強引に連れて転移する事は、容易かった――しかし、そうしなかったのは、誠意だ。決して俺は、悪人では無い。付け入る隙があるからと言って、必ず付け入ったりもしない」

 僕が言葉を探していると、彼が続けた。

「多くの人間は、俺と同じように善良であるか、そうでなければ無関心に立ち去る。その中で、関心を集める己の腕前を誇ると良い。世界には、声が大きい人間がそう多いわけではない。良くも悪くも、声を大きくさせる魔術武器を、その数ほど、お前は製作してきた――そういう事だ」
「つまり、やめればもう、声は聞こえない。僕はそれを望む」
「させない」
「制限される覚えはない」
「しかし頑なだな。そんなにも、嫌な思いをしたのか?」

 僕は答えなかった。答えられなかったのかもしれない。思い出す事すら嫌だからだ。僕が潰れていくのを楽しんでみていた人間だって多かった。

「魔術武器に携わる者で、ライオネルの名を知らぬ者は少ないが、リオというその名を知る人はもっと少ない。素性を隠して構わない。それに、安心できる、信頼できる人間とだけ、付き合えば良い。好きな人間とだけ、付き合ったらどうだ?」
「どちらも過去に試みて失敗している」
「では、俺とだけ付き合えば良い。俺の事だけを好きになれば良い」

 その言葉に、僕は顔を顰めたが、胸に額を押し付けているから、見てはもらえなかっただろう。他人に自分の表情を見てもらいたいと考えたのなど、いつ以来か不明だった。

「――何故僕が、皇帝陛下を好きにならなければならないんだ?」
「ワイルと呼んでくれ」
「……」
「決まっている。俺がお前を好きだからだ」

 世の中には、好かれて迷惑に思うわけがないという考えを抱く者が、一定数いる。その中に、これだけ好きなのだから、何をしても自分は良いと考えてしまうのだろう者がいる。自分が特別であるという勘違い、自分だけはその者の味方だという誤った信念。多くの場合、それはただの気のせいだ。

「そんなに僕の魔術武器は、陛下にとって高評価だったのか?」
「それもあるが、俺は、お前の魔術武器ではなく、『お前自身』が好きになった」
「は?」
「今後虐げられたならば、俺が癒そう。俺と共に来てくれ。そして俺について深く知りながら、暁の砦の建設について、検討して欲しい」

 僕には疑念しかない。

「好きになった……? 何が理由で?」
「思えば最初から、眼差し一つ、声音、その全てに魅了されていた。出会う前から才能に惚れ込んでいた。ただ、今は、この腕からお前を離したくない。腕の中にいるリオの温度が心地良い。眠っているお前を見て、愛おしいと感じた。守ってやりたくなった。恋に、理由が必要なのか? 理由なく好きになってはいけないのか?」
「面白味に欠ける冗談だな」
「本気だ。ここを出る準備をしてくれ」

 そう言うと、ようやく僕から腕を緩め、僕の額に彼がキスをした。
 びくりとした僕に微苦笑してから、先に彼が寝台から降りる。

「途中購入可能な衣類や食料は不要だ。今後、一切を俺が養う。一時間後には、ここを出たい。魔術武器の製作に必要な工房や品は、連盟の品ならば全て揃えられる。リオが個人的に必要とする製作道具のみ、持参してくれ」

 拒否しようとした僕は、直後じっと見据えられて、声を飲み込んだ。
 あまりにも真剣な瞳が、僕を見ていた。

「崖の上に置いてきた愛馬が、餓死する。頼む」