【4】好き避け



 その後俺は、毎日cafe絢樫&マッサージに通い――た、かったのだが、無理だった。

 ローラとの本当の行為の感覚が生々しすぎて、嬉しすぎて、思い出すだけでのたうち回る。

 多分、ローラの顔を見たら、それが笑顔だったりしたら、俺は死んでしまう。
 キュン死だ。そんな死因は存在しないと分かっているが……。

 二十七歳の、どちらかといえば身長もあるし、体格もごく平均的な、オッサンに片足をつっこんでいる――あるいは、もうすでにおっさんと言える俺の中身は、完全に恋する乙女だ。

 我ながら気持ちが悪い……きっと、ローラにこんな感情を知られたら、絶対に嫌われるだろう。それとも、ローラは、愛情を持って食料を育てる、牧場主のような感性を持っているだろうか……?

 指示通り――というよりは、ローラとの事を現実として忘れたくないので、俺は念入りに袈裟や念珠を身につけている。

 そしてほぼ毎日、バイト帰りであってもそうでなくても、絢樫cafeの前まで行ってみるのだが……チラッと覗いて窓越しにローラの姿が見えたりすると、もうそれだけで恥ずかしくなって、早足で遠ざかってしまう。

 意識しすぎて辛い。

 本日も俺は、一人真っ赤になりながら、寺へと戻る足を早めた。

 いつもなら、近寄ってくる黒い街猫に手を伸ばすのだが、そんな余裕もなく、まっすぐに帰る。ローラに死ぬほど会いたいし、顔を見たいのだが、一緒にいたらドキドキしすぎて体が持たないような気がするのだ。

 これが、好き避けというやつか……。
 それを一週間ほど繰り返し――ついに、俺は決意して、ローラに会いにいく事にした。
 会いにって、俺……もう、目的が変わっている……。

 これは、肩こりが限界だったという物理的な理由もあるのだが。

 少し早く終わった除霊のバイトの帰り、俺は早く日が落ちるようになった道を歩き、cafe絢樫&マッサージという看板を見た。

 一度大きく深呼吸をしてから、中へと入る。

「いらっしゃいませ!」

 すると砂鳥くんが、満面の笑みで出迎えてくれた。
 俺は、内心のローラに対するドキドキが露見しないように、必死で顔を引き締める。

「えっと、マッサージですよね!?」
「……いや、cafeで。珈琲を頼む」

 いつもよりもどこか砂鳥くんは、ビクっとしているように思えたが、俺の顔が怖かったのだろうか? 首を傾げつつも、俺は心の準備をするために、今日もカフェ側に向かった。

「ん?」

 そして椅子に腰を下ろした時、マッサージスペースに、誰も待っている人がいない事に気づいた。いつもは込み合っているが、今日は客が少ないから、砂鳥くんは、俺にマッサージかと尋ねたのだろうか? 何かあったのだろうか?

 何かあったのならば、ローラが心配だ……。

 そう考えていると、不意に隣で気配がした。
 珈琲が運ばれてきたのかと思って顔を上げると、そこには、ローラが立っていた。

 ローラは笑っている。
 だが――その瞳を見て、俺は体を強ばらせた。
 俺は久方ぶりに、初めてローラと出会った時のような恐怖を感じていた。

「こんばんは、藍円寺さん」
「……」

 惹きつけられて目が離せないのだが、死ぬほど怖い。笑っているし、その顔が愛おしい事は間違いないのだが、ローラが非常に怖い瞳をしている。

 気づくと俺は、壁に立てかけておいた錫杖を片手で握り締めていた。
 反射的な、あるいは本能的な行動だったと思う。

「――最近、お見えにならなかったので、どうなさったのかなと思っていたんですよ、俺」

 ローラの声に、俺は震えを押し殺した。改めて見れば、それほど怖くないようにも思えてきて、気づくと思わず息を吐いていた。

「マッサージ店は、ここ以外にもいくつもあるからな」

 無論、ここ以外には行かないが、俺は思わずそう言っていた。
 この地方の方言のような返しである。多分。

「へぇ。なるほど」
「ああ。俺は、別にこの店に来なくても構わないんだ」

 マッサージだけならば、他もある。下手だけど。
 ただ、ローラに会うには、ここに来るしかない。
 けれど、そんな事は、照れるので絶対にバレたくない。

 ――そう考えた次の瞬間、いきなりズドンと右肩が重くなった。

「っ」

 俺は思わず呻いて、錫杖を握っていない方の手で肩を押さえる。

「そうでしたら、何よりですね。マッサージの必要がないのが一番ですから」

 ローラの明るい声がした。視線を上げると、天使のような笑みを浮かべたローラが見えた。だが、あんまりにも肩がいきなり重くなり、半ば激痛が走ったため、俺の呼吸が苦しくなる。

 いつもならば、以前であれば、ローラにマッサージを大至急して欲しいと懇願したレベル――以上の肩こりが、急に襲ってきた。え?

「……ッ」

 どんどんそれが辛くなっていくものだから、俺は思わず錫杖を取り落とし、椅子の上で前に屈んだ。空いた手で、口を押さえる。痛い。鈍いどころか、普通に痛い。重い。うあ、なんだこれ。

「藍円寺さん? どうかなさいましたか?」
「……肩が……」
「――俺で良ければマッサージしましょうか? それとも、他のお店に行きますか?」

 どこか揶揄するようなローラの声に、俺は眼差しを険しくした。

「ああ、頼む……」

 もう肩が限界だった。ここまで酷い肩こりは、本当に久しぶりだ。

「では、あちらのマッサージスペースへ。ちょっと、お話したい事もありますし」
「あ、ああ……」

 珈琲はまだ届いていなかったが、これはやばい。そんな場合じゃない。

 そう思って、俺は立ち上がったのだが、椅子から足をついてすぐに、その場にしゃがみこんだ。まずい、辛すぎて、歩けない。息が苦しい。

「っ……」
「――藍円寺さん?」

 目を伏せ、片手で口を覆っていると、ローラが俺の前に立つ気配がした。

「――ちょっと多すぎたか」

 そう言って、ローラが俺の肩に軽く触れた。

「っ、は」

 すると急に呼吸が楽になり、肩の痛みが消えた。重い程度に変わった。
 急激な体の変化に、激しい動悸がする。頭がクラクラした。

「藍円寺、今お前は貧血で立ちくらみがした。『そうだろ?』」

 ローラの声がしたので、俺は無意識に首を振った。

「いいや。俺は肩こりが酷すぎて、しゃがんだんだ。貧血じゃない」

 だから頼むから早くマッサージをしてくれと、内心では思っていた。
 だが、俺の言葉に、あからさまにローラが息を飲んだ。
 しかし俺は、あまりそれを気にとめずに続けた。

「第一、貧血なんて、今、お前に血を吸われたわけではもないのに――っ」

 その場に冷たい気配が溢れかえったのは、その時の事だった。
 硬直し、俺は身動きが出来なくなった。

「藍円寺、それはどういう意味だ?」

 そして、非常に冷ややかな、ローラの声が響いてきた。