【5】俺の血の価値……。
慌てて俺は、床に落ちていた錫杖を右手で握り、なんとかそれを手にしながら、ローラを見る。しかし腰が引けてしまい、俺は座り込んでいた。
立っているローラは、俺を見下ろすようにして、瞳を細めている。非常に不愉快そうに見える表情だ。答えなければ、殺されるような気がした。
「……ローラは……吸血鬼なんだろう?」
声が震えるのをなんとか制御し、俺は努めて普通に聞いた。聞いたというより、確信を持って告げた。こういった事に関して、ご隠居が間違うとは思えないからだ。
すると、ローラが虚をつかれたような顔をした。目を丸くしている。
「……いつから気づいていたんだ? それで最近来なかったのか? いいや、違うな。今日は来たしな」
少し間を置いてから、ローラが俺を睨めつけるようにしながら言った。俺は必死で彼の顔を見上げながら、首を振る。単純に好き避けをしていただけだが、とても言える気配ではない。
「まぁ――なら、分かってるだろうけどなぁ、俺は非常に空腹だ」
それを聞いて、俺は息を飲んだ。それから、俺以外の誰かを、この一週間、ローラは食べていたのだろうかと考える。それは、嫌だ。ちょっと考えれば、わかった事のはずなのに。
「今日ここへ来た理由は? 不味い珈琲目的か?」
「ち、違う。その――この集落を守る住職として、お前が街の住民に無闇に手を出さないように、監視する義務があると考えてここへ来ただけだ」
俺は、これは我ながら上手い言い訳である気がした。
これならば、俺はローラが他の人々とエロ行為に及ぶのを、理由をつけて阻止できるし、恋心もバレないだろう。
「へぇ」
だが、ローラの声は一層冷ややかになり、眼光は鋭くなり、逆に口元にだけ浮かんでいる笑顔が非常に恐ろしいものに見えた。しかし、俺は必死に続ける。
「この集落の住民に手を出すな」
「――そう言われてもな。俺も喰うためにここにいる。で? 藍円寺の住職さんは、俺から地域の人々を、単独で守れると考えているのか? この、俺から? お前が? 一人で?」
それが無理なのは、正直俺自身がよく知っている。
現在、俺は視線だけで射殺されそうな心境でもある。
「……俺に、その力は無い」
素直に答えると、馬鹿にするようにローラが笑った。その残忍な表情を見て、苦しくなる。しかし、俺の目的は、ローラを倒す事ではない。ローラが、俺以外と何もしない事だ。
「だから――今後は、俺の血だけを取れ」
必死に俺は、そう提案した。
するとローラが、小さく息を飲んだ。
そしてまじまじと俺を見た。それから、ゆっくりと唇の両端で弧を描く。
「へぇ。人間という生き物で、頻繁に見られる自己犠牲という精神か。さすがは僧侶、ご立派な事だな」
内心は、煩悩まみれであるが、それはバレたくない。
「だがな、お前、自分の血にその価値があると思ってんのか?」
その時響いた、ローラの嘲笑するような声音に、俺は硬直した。
「お前ごときの血、に、ねぇ。マッサージ店が数多くあるのと同じで、極上の血の持ち主なら、大勢いる。別に俺だって、藍円寺の血である必要はない。お前のそんな一方的な命令を聞く義務も、俺には無ぇよ」
確かに、俺には……そんな価値はないだろう。
霊力が強いほうが良いならば、それこそご隠居だっているし、玲瓏院の本家の人々がずば抜けている。他にも、この新南津市には、大勢いる。
それが宿る血液や精液だって、まずもって、二十七歳のそこそこガタイの良い男の俺より、もっと可愛くて綺麗な女の子とかの方が良いだろうな……。
惨めな気持ちになるなという方が無理だ。だが、俺は必死に続けた。
「どうすれば――その、俺からだけ、血をとってくれる?」
「それは交渉か? あー、そうだなぁ、最低限、毎日ここに顔を出せよ。そうして、俺に血を供給しろ。それ以外も、俺のありとあらゆる命令を聞け。暗示の有無に関わらず」
「それは無理だ。例えば俺は、人を殺せと命令されても、それはできない」
「――人間の法律に抵触するような命令はしねぇよ。で? じゃ、ああ、そうだな。顔を出して餌になれよ。まずはそれからだな。お前がきちんとそれを守れるなら、検討してやる」
面倒くさそうな顔で、ローラがそういった。俺は小さく頷いた。
「とりあえず、そこに座れ。まずは今日の分の血を貰う」
ローラの声に、慌てて俺は立ち上がり、元々いた椅子に座った。
夢の中でも吸われた記憶がほぼないため、俺は、どんな事がこれから起こるのか、今更ながらに不安になってきた。自分が『吸ってくれ』と口走っていた記憶はあるのだが、噛まれた記憶はない。だからこそ、吸血鬼だなんて思ってもいなかったというのもある。
固唾を飲んで見守る俺へと、一歩二歩とローラが歩み寄ってくる。
彼の片手が俺の肩に置かれた。力が込められ、指が食い込んでくる。
――供給する、以上、自分から服を脱いだ方が良いのだろうか?
そう考えて、俺は僧服の合わせ目に手を添えた。
自分でも分かるほど、指が震えている。
するとローラが、俺の指先をそっと握った。
狼狽えて顔を上げると、ニッと笑った彼が、乱暴に俺の着物をはだけた。
「っ」
そして屈むと、手つきとは裏腹に、優しく俺の首筋に唇を落とした。
ローラにそうされている幸福感よりも、恐怖を伴う緊張が強い。
それからローラが――噛みついてきた。