【8】興味、関心




 キッチンのテーブルの上に、火朽は購入してきた食材を並べる。

 それから真新しい冷蔵庫を見た。ローラが気分で、新調したらしい。
 気分というのは、引越しらしい事をしたい、というような感覚だろう。

 野菜室にレタスなどをしまってから、一度、火朽は自室に戻る事にした。
 二階――火朽や砂鳥の私室があるフロアからも、店舗スペースに直通できる階段がある。
 その前を素通りし、火朽は奥の新しい部屋へと入った。

 綺麗に整理整頓されたその部屋は、誰が見ても大学生の部屋らしいだろう。

 講義で用いる教科書類も、ルーズリーフを挟んだファイルも、クローゼットに並ぶ男子学生が好みそうな私服も、卓上ライトや観葉植物といった小物まで――誰を呼んでも恥ずかしくない部屋だ。

 これまでにローラが、自分達……妖怪が暮らすこの家に、人間を招いた事は一度もないし、火朽とて、誰かを呼ぶ予定も特にはないが、今後は大学生として生活するのだからと、形から入った結果である。

「もっとも、僕が妖怪――狐火という現象であると気づくような人間なんて、いくら心霊大学とはいえ、一人もいないでしょうけどね」

 退屈そうに、ポツリと火朽が呟いた声は、室内で溶けていく。


 その後、形から入る主義の火朽は、住居スペースを見て回った。

 いつもの常であるが、地下一階、地上三階建てのこの洋館において、地下と三階は、全てがローラの専用の場所だ。そこにだけは、特に立ち入らない。何故ならば、そちらはローラの私室というよりも、『研究室』だからである。

 何を研究しているのか――過去に、火朽は尋ねた事がある。

「俺は、人間を研究してるんだよ」

 ローラは、そう答えた。その後何度か、砂鳥が同じ質問をした時も同様だった。
 その結果として、ローラは『研究室』に、ダーツやビリヤードを置いている。
 火朽はそれを知っていたが、別段興味もない。

 ――火朽が興味を抱いているのは、人間ではない。人間の学問だ。

 正直彼は、すぐに死んでしまう人間という生き物よりも、めったなことでは、『死』が訪れない自分達妖怪の方が、科学にしろ、どの分野においても、世界を進歩あるいは退化させる事が可能なのではないかと考えている。

 だからこそ、人間の学問に興味があるし、勉強をしてみたいと常々考えていたのである。

 その後、全てのスペースを確認し整えてから、火朽は、ローラと砂鳥の声がする店舗スペースへと向かう事に決めた。

 二階の自分や砂鳥の私室も既に万全であるし、一階のキッチンやリビングといった住居スペースにも問題がない以上、それを報告するのが適切だと判断した結果である。


 階段を降りていくと、階下から声が聞こえてきた。

「ねぇローラ。マッサージって何?」

 砂鳥の声に、彼もまた己と同じ疑問を抱いたのだと理解し、火朽は吹き出しそうになった。

「ここは、ほら、肩に弱い霊を乗っけているせいで、肩こり頭痛に悩まされている連中が多い土地でもあるから、パンパンって俺が叩くと治るわけだ。それを、ウリに、な」

 すると、ローラの楽しそうな声が響いてくる。

「資格とかあるの?」
「長生きしてるからな。大抵の資格はある」
「あ、そう」

 二人の会話がそこで一段落したようだったので、火朽はあえて足音を立てて、階段の一番下まで降りた。本来、人型を形作っていても、足音などは出ない。こういった部分には、気を遣って過ごさなければならないのが、少し難点であると火朽は考えている。

「住居の準備が終わりましたよ」

 火朽が声をかけると、二人の視線がそろって向いた。

「お疲れ様。じゃ、とりあえず飯にして、明日の開店からの打ち合わせをするか」

 ローラがそう言ったので、全員で、住居スペースの一階へと移動する事になった。
 向かった先は、ダイニングだ。
 リビングとキッチンの間に、食事用のテーブルがある。

 火朽はそれから、料理の準備にとりかかった。



 本来妖怪には必要のない食事であるが、人間の文化にも興味があるため、火朽は料理が好きだ。待っている二人は、はっきり言って生活能力が欠如しているので、手伝ってもらわない方が楽だったりもする。

 そのようにして、手早く料理を作り、火朽は料理をテーブルに並べていった。
 ローラも砂鳥も、目を輝かせて料理を見ている。

 それから食事を開始してすぐに、ローラが火朽に視線を向けた。

「で、大学に行く準備は出来たのか?」

 万全である。火朽は、シーザーサラダを皿に取りながら、静かに頷いた。

「ええ。三年生に編入という形で、明日からです。もう夏ですが、四月からいた風に暗示をかけてもらっているので、余裕です」

 現在は、六月だが、もうこの地域は暑い。妖怪は寒暖差に関しては、敏感なものと、そうではないものがいる。狐火である火朽にとっては、夏の方が過ごしやすい。

「おう。お前、民族学科だったか?」

 続けたローラに対し、火朽は頷いた。ローラもまた、サラダを食べている。

「そうですね。ローラが紹介してくれた、吸血鬼の教授――夏瑪先生に、既に何度かお会いしてお話を伺ってます」

 実際には、まだ一度も大学には足を踏み入れていない。だが、夏瑪に聞いた限り、多くの学生が既に『火朽と言う編入生が来た』と、認識しているという話だった。

「夏瑪なぁ。アイツも鬼畜だから、苛められたら俺に言え」
「――? ローラほどでは無さそうですが、肝に銘じます」

 その時、ローラが揶揄するように笑ったので、火朽はしらっとした瞳になった。
 何せ、ローラの性格の悪さを、散々身近で見てきたからだ。

 それから、ローラが砂鳥を一瞥した。今度は、骨付き肉を手に取っている。

「明日から、朝十一時開店の夜十時閉店だ。メインは、夕方から夜狙い」
「店番してろって事?」
「おう。人間の気配がしたら、俺は研究室から顔を出す」

 どうやら、実際にマッサージをする気――どころか、店舗スペースに常駐するつもりすら無いらしい。火朽は、少しだけ砂鳥が不憫になったので、苦笑交じりに声をかけた。

「頑張って下さいね、砂鳥くん。僕も可能な限りお手伝いしますので」
「火朽さん……有難うございます!」

 手伝う気は、実際にはあまりなかったが、砂鳥には、そんな火朽の内心に気付いた様子はない。高校生に見える砂鳥は、中身も十代後半の少年のように、非常に純粋だ。

 火朽は厚焼き卵を食べながら、明日から始まる大学生活について考える。
 彼は、これからの新生活に、相応に胸を躍らせていたのだった。