【*】朝儀と彼方による救出
彼方がハンドルに手をかけて車を発進させる隣で、窓から昼威達を一瞥した後、朝儀は膝の上に置いたアタッシュケースを広げていた。吸血鬼への対処には、特別な銀がいる。しかし――倒す必要は無い。あくまでも第一の目的は、縲の救出である。そのためにより効率が良い武器は何か、そう冷静に考えていた。だが、ただ一つだけ、朝儀には不安があった。
「ねぇ、彼方さん」
「なんだい?」
「俺が手を汚しても、嫌いにならない?」
すると驚いたように、彼方が息を呑んだ。それから吹き出すように笑う。
「朝儀さんは、俺が手を汚すと嫌いになるのかい?」
「ならないよ」
二人の間には、これから凶悪な吸血鬼を倒しに行くといった空気は無かった。これは別段、夏瑪夜明を侮っているからではない。朝儀は純粋に心配していて、彼方もまたそれを理解していただけだ。
近隣の駐車場に車を止めて、二人で外に出る。朝儀が黒い手袋をはめ直した。それを一瞥しながら、彼方は内ポケットの中の呪符を確認する。二人は互が霊的な現象を相手にした仕事をしている事こそ知ってはいたが、ともに戦うのは初めてだ。
強固な結界がある事を想定して、彼方は裂く準備をしていた。一方の朝儀の方には、目立つ変化は無い。
こうして――ローラに教えてもらった雑居ビルの地下までエレベーターで降りて、その後は、ダミーの飲食店の扉を勝手に開けて、奥の螺旋階段を進む。こうして、目的地の扉の前に立った時だった。二人が扉を開けるよりも一歩早く、自然と扉が開いたのである。
「縲!」
出てきた人物を見て、朝儀が声を上げる。すると――玲瓏院縲は熱い息を零した。
「やめ……触らないで、あ、ああああ」
「縲?」
「やられた、刻印された。辛い、体が辛い。うあ、あ、朝儀、もうこれ無理」
「――っ、相手は?」
「夏瑪夜明だ。う……あ、ぁ」
倒れ込んできた縲を、朝儀が抱きとめる。だがその感触だけでも辛いらしく、ボロボロと縲が泣いている。
「どこにいるの?」
「昨日から戻ってこないんだ。鎖が緩んでいたから、自力で逃げ出そうとして――そうしたら、君達の気配がして……っ……熱」
そう言ったのを最後に、縲が意識を手放した。朝儀は抱き抱えながら、彼方を見る。
「昨日ということは、絢樫Cafeは無関係かな?」
「朝儀さん、それは分からないが――刻印をする事が目的だったのならば、それを果たしたから、安全な場所に退避した可能性もある」
そのまま朝儀の腕の中で、縲が意識を落とした。彼方は無人の室内を一瞥してから、朝儀に向かって首を振る。
「中には気配がない」
「……縲を連れて戻ろう」
こうして、二人は無事に縲を連れて駐車場まで戻った。そして後部座席に縲を乗せ、隣に朝儀が座る。運転席に乗り込んだ彼方は、エンジンをかけながら振り返った。
「玲瓏院本家と藍円寺のどちらに行く?」
「藍円寺では何も対処ができないし、仮に夏瑪夜明が奪い返しにくるといった事があったら困る……けど、玲瓏院結界をどうにかしろという脅しが目的で、縲を痛めつけたのなら、玲瓏院には伝えない方が良いかもしれないよね。ご隠居には伝えるべきだけど、その他の人々には動揺が走るはずだから」
朝儀が思案するように言うと、小さく彼方が頷いた。
「玲瓏院に行こう。動揺が走ったとしても、熱を出していると適当にフェイクを言えば良い。藍円寺では、危険すぎる」
「なるほど、そうだね」
このようにして、無事に――想定よりも容易に縲を救出し、二人は玲瓏院家へと、縲を連れて向かったのだった。
◆◇◆
「――そうか。分かった」
縲を救出したという一報を受け、通話を切りながら、昼威は深々と息を吐いた。
「縲さんが無事……ではないようだが、命に別状はなく救出されたそうだ」
昼威の言葉に、侑眞が顔を上げた。それから満面の笑みを浮かべる。
「良かったですね――俺、結局何もしてないなぁ」
「まったくだな……――が、この後を考えると……」
……忙しくなるのは、侑眞だ。夏瑪夜明の討伐を侑眞が担うとは限らないが、ほかにも多くの妖が、現在討伐の対象となっているのである。いつもならば、役立たずとでも言っただろうに、昼威は上手く言葉が出てこなかった。
「先生ってさ、変なところで心配性だよね」
「どういう意味だ?」
「御遼神社の担当は基本的に避難誘導に近いと話さなかったっけ?」
「それは、特定のごく一部に対してだけだろう?」
「その『ごく一部』の方が、この新南津市には多いんだよ?」
「――お前が前に、また一緒に粥を食べて菊を見られるのかなんて言ったんだろうが」
昼威が目を細めると、侑眞が喉で笑った。
「それは、先生がいなくなる不安からだって」
「……」
「けどね、もう俺は決めました。俺が守るので、今年も一緒にいられます」
「バカが」
そんなやりとりをしてから、二人はキスをした。そのぬくもりが愛おしくて、昼威は嘆息する。今ならば、侑眞に何を言われても許してしまえそうな気分になるから不思議だ。