【5】お客様の幅



 こうして始まったカフェであるが、やはり実際にやってみると、足りない部分も見えてくるし、色々手を広げたくなるというか、欲も出てくる。だから僕は、ある日火朽さんに告げた。

「火朽さん、僕、ホットサンドが作りたいんです。それと、パンケーキ」
「――軽食を出すんですか?」
「できたら……それに、パスタとかも置きたくて」

 僕が言うと、吐息に笑みをのせて、火朽さんが優しく笑った。

「砂鳥くんは、料理が向いているかもしれませんね。最近では、お皿の洗い方も上達して、僕も助けてもらっていますし」

 我が家――僕とローラと火朽さんで暮らす、カフェに隣接した住居スペースにおいて、家事を担っているのは、火朽さんだ。ただ、最近では、僕も少しずつ手伝うようにしている。手伝えるようになったというのが正しい。

 以前であれば、やり方が分からなくて僕は逆に火朽さんの手を煩わせていた。例えばお皿を洗い直したり……けれど最近は、僕が洗ったお皿はきちんと使用可能だ。

 その後、僕は各種のパスタや、サラダ、スープ、野菜を挟んだパンケーキや、ホットサンドの作り方を覚えた。こちらも最初は搬入で良いのではないかと思ったのだが――より妖怪薬のエッセンスをスパイスとして加えやすかったから、簡単なものだし、自作する事に決めたのである。

 妖怪薬という名前だが、これは場所によって様々な名前がある。フェアリー・ミルクという名前だったり、ナーサリーライム・エッセンスと呼ばれたりもする。

 さて――そんなある日、藍円寺さんと共に除霊のバイトに出かけていたローラが、帰ってくると僕を見た。

「今日から営業時間を変えろ」
「え? 朝十時から夜八時じゃだめなの?」

 実際には、七時半を過ぎたらお客様の状況次第で閉店作業をしているのだが、僕は適切だと考えている。少しずつ、人間のお客様も増えてきた所だ。

「これからは、深夜二時から四時も開けろ」
「そんな時間にカフェにくるお客様っている? BARでもやるの?」
「違う。客層を広げるためだ」
「客層? 違うって……お客様が来ないのに?」
「人間以外が来やすいだろう? 丑三つ時の方が、何かと。この国では」

 ローラはそう言うと、僕が用意した夕食を見た。
 最近は火朽さんが大学の友達と食事をする日が増えたから、僕が作る事もある。

「俺達にとって、人間の取る睡眠の真似事は、娯楽だろう?」
「まぁね」

 二人で納豆おろしオムライスを食べながら、そんなやりとりをした。
 それにしても――人間以外、か。

 本来、妖怪薬は、妖のための品だから、人間ではないお客様の方が求めているかもしれないし、使用するのは適切だ。そう考えれば、客層が広がるというのは、少し楽しみだった。やはり、専用メニューも作った方が良いだろうか?

 こうして、僕の新たな試行錯誤が始まった。


 翌日、午前二時。
 僕はローラに言われた通り、絢樫Cafeの看板をopenに変えた。

 すると、十分ほどして、扉が開いた。

「あれ? 藍円寺さん」
「――こんな時間にも営業しているのか?」

 訪れたのは、藍円寺の住職の藍円寺享夜さんだった。
 ……妖ではない。

「その、お客様の幅を広げようと思って。藍円寺さんは、こんな時間にどうしたんですか?」

 僕が聞くと、藍円寺さんが咳払いをした。

「仕事の帰りだ」
「ああ、除霊のバイトですね!」
「……簡単に言えばそうなる」

 シャツにジャケット姿の藍円寺さんを見て、僕は頷いた。
 藍円寺さんは、『除霊のバイト』と知られるのがあまり好きではないらしい。
 あくまでも知られない限りは、きちんとした僧侶であるとして過ごしたいようだ。

「ローラは一緒じゃないんですか?」

 何気なく僕が聞くと、藍円寺さんが何度か頷いた。

「ああ。危険だからな。ローラには、まずは慣れるまでは簡単な仕事をと思って――俺は、この時間帯に元々頼まれる事が多かったから、今まで通り一人で請け負う場合は、深夜帯に働いているんだ」

 僕は……ローラにとって危険な仕事があるのか悩んだが、それは言わなかった。また、藍円寺さんが以前のように私服の理由にも納得した。藍円寺さんが僧服を着るのは、気合が入った除霊の時か、ローラの餌になる時だけらしい。

 ローラいわく、僧服姿の方が、力が強まり血が美味しくなるそうだ。
 ちなみに僕には、袈裟をつけている藍円寺さんを見ると、お教が聞こえる。
 袈裟に記憶されているからだ。僕はあれを自動お経再生装置と呼んでいる。

「何か飲んでいきますか?」
「――そうだな。オススメは?」

 最近、藍円寺さんは、『オススメは?』と、聞く。

 僕は藍円寺さんの心が読めるから、仏頂面の藍円寺さんが、いかにも珈琲を好みそうなのに、苦いものが苦手だと知っている。そのため、藍円寺さんが好きそうなものをオススメに出すので、藍円寺さんは、いつもオススメを聞くのだろう。

 これならば甘い甘いココアを飲んでいても、『オススメされたからだ』と言えるので、周囲の前で格好良い住職風でいたい藍円寺さんには最適らしい。

「ストロベリーローズティはどうですか?」
「それを貰う」

 藍円寺さんが頷いたので、僕はテーブル席へと促した。
 すると、階段が軋む音がした。

「よぉ、藍円寺」

 降りてきたのは、ローラである。猫のような瞳を細めてニヤリと笑うと、ローラは藍円寺さんの席のそばの、カウンターの椅子を引いた。そこはローラの専用席だ。ローラは椅子を引いて、横を向き、顔は藍円寺さんへと向けている。

「こんな時間にどうしたんだ?」

 分かっているのだろうが、僕と同じ問いをローラが放つ。
 すると藍円寺さんが、気まずそうな顔をした。