【6】素直になれる妖怪薬


「――散歩の帰りだ」

 藍円寺さんは僕に聞こえないようにと声を小さくしながら、ローラに嘘をついた。

「風流だな。初冬の夜中に、散歩か。月でも見ていたのか?」
「まぁそんな所だ」
「バイトには一人で行かず、俺を連れて行くと約束したと思うんだけどな、まさかバイトじゃないよな?」
「……」

 藍円寺さんは顔には出ない。いつも肉食獣のような、俺様風の外見だ。しかしながら、言葉に詰まっているし、慣れてくると、動揺している時、視線が泳ぐのが分かる。

 ローラが藍円寺さんを心配しているのは、いくつかの理由からだが、一番の理由は、『刻印』をしたからだ。自分の餌であるという印をつけたのである。具体的には、血を吸うのではなく、ローラの血を一部藍円寺さんに流して混ぜたのだ。

 結果的に、藍円寺さんは、人間で言うところの霊能力が、中の下から上の中くらいまで強くなってしまった。なので、いきなり見えなかったものが見えだしたので、時折危ない事故にあう。例えば、繰り返し轢かれている女の子の幽霊を、最近初めて目撃し、先日は助けに入って――幽霊なので庇う事ができず、藍円寺さんがトラックにはねられた。

 奇跡的にかすり傷だったが、三日も目を覚まさなかったものだから、ローラは責任を感じたらしい。救命救急でバイトをしていた昼威先生が、もしそこにいなかったら、あるいは危なかったかもしれない。一応僕は、強制覚醒用の妖怪薬を用意していた。

 僕にとっても、藍円寺さんは大切なお客様だ。
 僕にとっては、お客様だけど、ローラにとっては、多分特別だ。
 二人で仕事をするというのは、そういう事じゃないかなと思う。

 僕とローラや、火朽さんとの関係と、人間である藍円寺さんとの関係は、また少し異なる。直ぐに死んでしまう人間という生き物を大切にしているローラを見ているのは、語り部である僕としては、非常に楽しい。なにせ、ローラは僕にとっての主人公なのだから。

「藍円寺、約束したよな?」
「……で、でもな、俺としては、いきなりハードな仕事をして、もしローラに何かあったらと考えると……砂鳥くんだって悲しむだろうしな……」

 藍円寺さんは、僕の見た目から、僕が十代後半だと信じているらしい。

 外見年齢はそうだけど、実際の僕は、ちょんまげこそ見ていないが、数百年は生きている。江戸の頃には、多分もういた――が、最初は人の形をしていなかったし、人の視覚がなかったから、ちょんまげを見ていないのだろう。

 だから、 鳥山石燕という偉い人が描いた今昔画図続百鬼にも出てくる妖怪……覚と呼ばれる存在は、僕ではないだろう。僕が今の形になったのは、百数十年前だ。最初は人間の子供の姿になった。そしてちょっとだけ嫌な思いをしていたら、ローラと出会って、名前をもらったのである。

 ……キラキラネームが流行る前から、ローラの命名はキラキラしていたのである。

「藍円寺に何かあったら、俺が悲しむ。砂鳥も悲しむ。お前の家族も悲しむ。それは良いっていうのか?」
「……」
「一蓮托生だ。万が一の場合は、二人で危険な目に遭おう。ただな、安心しろ、俺にとっての危険は、特にない。俺はこれまでの妖としての人生の中で、危険だと思った記憶は、ほぼない。俺が、必ずお前を守ってやる。信じろ。心配するな。不要だよ」

 ローラの言葉は、真実だ。裏打ちされた自信から来ている。
 僕がローラと共に暮らす理由は、ローラだけが心を読めないからではない。
 ローラはそもそも、心をわざと僕に読ませがちだ。
 そこも主人公として面白いのだが。

 話を戻すと、人間に迫害されたちょっと嫌な記憶がある僕は、ローラの庇護下にあるのである。ローラは、人間にも妖にも負けない。

「俺がいれば安全だ。藍円寺一人じゃ無駄に危険だ。無駄な危険だ。無駄すぎる危険だ」

 ローラが繰り返すと、藍円寺さんが俯いたまま、小さく頷いた。


 僕は、ストロベリーローズティの用意が終わったので、そこを見計らってお茶を運ぶ。
 付け合せにサービスでスコーンをつけた。僕のお手製だ。

 フレイバーティの方には、安心して他者を頼れる気持ちに――素直になれる妖怪薬を、スコーンには、本心を自由に伝えられる開放感を得る……こちらも素直になれるエッセンスを入れた。

「ありがとう」

 藍円寺さんは受け取ると、顔を上げて小さく笑った。最近藍円寺さんは、たまに笑う。ローラの前には珈琲を置き、僕は下がった。

「――ローラ、そうだな。俺が悪かった」

 ガラスのカップを傾けると、藍円寺さんが言った。

「ローラを信じていないわけじゃないんだ。ただ、ローラに何かあったらと思うと怖いんだ。除霊の場には、心霊協会がバッティングを阻止しているとは言え、霊能力者が俺以外にも来る時がある。もし――ローラが退治されてしまったらと思うと、その……」
「安心しろ。俺は退治なんかされない」

 本当に二人は仲良しだなぁと僕は思った。
 その時、コンコンと窓をノックする音が響いた。

 見れば――妖精がそこにいた。フェアリーは、妖怪の訳語でもあるが、日本においては、小さな羽の生えた妖精が妖として一つ生息している。

 ……妖を生み出すのは、人間だ。人間の想像力が、妖を生むのだと、霊能学では言われている。その第一人者のブラックベリー博士というのは、ローラの筆名だ。人間の霊能力を上中下に分類したのもローラだ。ローラは、人間の研究が趣味らしい。火朽さんは、元々はその方面で、ローラに弟子入りしたそうだ。僕がローラと出会った時には、既に隣に火朽さんがいたものである。

 窓を開けて、僕は妖精の小さな女の子を招き入れた。緑色のワンピースを着ていて、背中には、ピンク色の羽根がある。ミルクを入れた小さな皿を差し出してから、僕は扉を見た。すると扉の窓からこちらを覗いている灰色の猫が見えた。だから続いて扉を開ける。

 花想猫(カソウネコ)という妖だった。見た目は、サイベリアンフォレストキャットの子猫だが、この妖は、花を主食としていて、食べた花びらの色に模様が変わる生き物だ。

「どうしたの?」

 お客様なので、抱き上げて僕は尋ねた。そのままテーブル席の、藍円寺さん達とは一番遠いソファに運ぶと、心の中で、花想猫が答えた。

「尻尾が二本になっちゃったの……」
「ああ、猫又に進化するんだね」
「猫又?」
「うん。猫の妖だよ。三本狐が九尾の狐になるようなものだから、心配しなくて大丈夫」

 僕は微笑しそう告げてから、その仔には色とりどりの薔薇を皿に飾って差し出した。
 花びらを食べるたびに、猫の毛色が淡いピンクや白、青、緑と変化していく。

「――分かった。明日からは一緒に行こう」

 その時、ローラと藍円寺さんの話がまとまったらしく、藍円寺さんがそう言った。

「砂鳥、俺は藍円寺を送ってくる」
「――ごちそうさま。精算を頼む」

 こうして、ローラと藍円寺さんは出ていった。僕はレジの前でお会計をしてからは、妖精の女の子や、猫の妖と歓談していた。人間のお客様よりも気楽だが、必ずしも言葉を話せるとは限らないから、こういう時、僕は自分が、心を読める妖怪で良かったなと感じる。

 その後、朝の四時になったので、二人(?)には、お帰り願った。

「また来てね」

 僕がそう声をかけると、それぞれが心の中で、人間で言う笑顔を浮かべていると、読み取れた。中々良い初日だった。明日からも頑張ろうと僕は誓う。そうして朝まで、僕は妖怪薬や軽食の仕込みをし、搬入されてきたマリアージュのケーキを受け取ったのだった。