【10】帰り際




 最初の絶叫マシンは、あまり混んでいなかったが、それでも一時間ほど並んだ。そして現在、このテーマパークの目玉だというビッグラジエルの列に――僕達は、もう三時間も並んでいる。だというのに目の前には、『ここから後二時間』と書いてある。乗り終えた頃には、他を回る時間は、ほとんど残っていなさそうだ。

 僕の前に、斗望くんと芹架くんがいる。
 僕の横には、水咲がいる。

 並んでいても、正面の二人は暇では無いようだった。斗望くんが学校の話や、最近流行しているアニメや玩具、ゲームの話をするのを、芹架くんが楽しそうに聞いている。後ろから見ていると、弟の話を聞くお兄ちゃんのように見えるが、彼らは同級生で間違いない。

 隣を一瞥すると、水咲も無表情だが、興味深そうに斗望くんの話に耳を傾けていた。人間の文化に僕はそこまで興味がない。ただ、楽しそうに語る斗望くんを眺めていると、それだけで僕も楽しい気持ちになる。

「砂鳥」

 その時、不意に水咲が僕を見た。

「ん?」
「陽が強い。飲み物を買ってくる」

 それを聞いて、僕は上を見上げた。確かに、持参した飲み物は、先ほど飲みきってしまった。既に秋だけれど、並んでいると不思議と喉が渇くし、日差しも厳しい。

「あ、僕も行く」

 すると斗望くんが振り返った。全員が抜けてはまずいなと思っていると、芹架くんが斗望くんの腕に触れた。

「俺が行くから、斗望は並んでいてくれ」
「芹架くん、良いの?」

 ――確かに、水咲は芹架くんの護衛(?)なのだから、その組み合わせの方が良いだろう。ただ、芹架くんの心を読むと、『斗望が倒れそうになっている』と読み取る事が出来て、僕は驚いた。どうやら水咲も、芹架くんのそんな心情に気づいて、提案したようだった。斗望くんは表情からでは全然分からないが、心なしかふらついている。心を読める僕こそが気がつかなかった。なにせ、斗望くんも、その事実を意識していないからだ。

「ああ、待っていてくれ」

 芹架くんはそう言うと、水咲さんと共に列からそれた。僕はそれを見送り、後ろから斗望くんの背を支える。

「大丈夫? 斗望くん」
「う、うん。僕、具合が悪そう?」
「そうは見えないけど、ほ、ほら! 芹架くんは、斗望くんに詳しいんじゃないかな?」
「芹架くんは、僕の博士だったのか……」

 斗望くんはそう言うと、一人で吹き出した。僕は適当に頷いておいた。実際、親しい間柄の人間は、相手の些細な変化に気づくと聞いた(読んだ)事がある。

 その時、斗望くんが、目を丸くして僕を引っ張った。

「あ、享夜くんが、ローラさんと手をつないでる! 享夜くんが引っ張ってる!」

 それを聞いて僕もまた視線を向けると、藍円寺さんが、バッと勢いよくローラの手を振りほどいたのが見て取れた。楽しそうに、ニヤニヤ笑っているローラが、僕達に歩み寄ってきた。

「砂鳥も楽しそうだなぁ。斗望くんと」

 ローラはそう言うと、僅かに顎を持ち上げて、視線を周囲に走らせた。それから改めて僕を見る。

「俺はてっきりあの妖狐と遊んでるのかと思ったが」

 何か含みがある口調で言われて、僕は呆れそうになった。自分と藍円寺さん、火朽さんと紬くんが、幸せだから――『砂鳥にもやっと春が来たのかと思ったのに』と考えているのが伝わって来る。残念ながら、僕は妖ながらにして、どちらかといえば、異性が好きだ。しかしそういう問題ではない。僕と水咲の場合、本日は完全に保護者役であり、偶発的にここにいるだけで、デートに来たわけではないのだ。

「水咲さんは、芹架くんとジュースを買いに行ってくれてるんだよ。ローラこそ、藍円寺さんを連れ回して楽しそうじゃん」

 ローラ達とは違うのだという気持ちを込めて、僕はそう告げて笑った。すると藍円寺さんが目に見えて赤面したが、僕は気にしない事にした。

「まぁな。火朽達は?」
「火朽さんと紬くんは、お茶を飲んでるみたい。荷物を預かってもらってるよ」
「へぇ。じゃ、俺と藍円寺も少し休んでくる。じゃあな」

 ――ホテルに行ってくるから、朝帰りらしい。僕は、朝のタクシーでの会話を思い出しながら、ローラの思考を読んでいた。改めて手を繋いだローラに引っ張られて、こちらこそ熱中症のごとく真っ赤な藍円寺さんを見ていると、思わず吹き出しそうになった。


 その後、ジュースを買って戻ってきた芹架くんと水咲と共に、僕らは雑談をしながら、順番を待った。無事に乗ったジェットコースターは――中々に刺激が強かった。

 それから閉園までの間は、遅い昼食として買い食いをしたり、並ばなくて良いアトラクションを楽しんだりした。閉園時間が近づいてきた頃には、すっかり日が落ちようとしていた。

「あ、車がきたみたいだ」

 合流してすぐに、紬くんが言った。藍円寺さんとローラの不在に関しては、先ほど火朽さんが「少し休んでいるらしい」と説明していたからなのか、誰も何も言わない。斗望くんも、「享夜くんが一緒なら大丈夫だと思う」と口にしていた。斗望くんの中では、ローラの保護者が、藍円寺さんらしい。斗望くんを見ていると、僕は楽しい。

「御遼芹架を頼む」

 玲瓏院家の車が到着した時、静かな声で水咲が言った。驚いて僕は顔を上げた。

「水咲は乗らないの?」
「――玲瓏院の結界下に、御遼の神通力が不用意に交わるのは、得策ではない」

 僕にはよく分からなかった。僕は、『人間』と『それ以外』という大別した力は、なんとなく分かる。そしてそれらには類似した部分や重なる事も分かる。だが、各宗教ごとに細分化した力、というような分類は、さっぱり不明だ。ただ、考えてみると、玲瓏院家はお寺であり、御遼神社は、八百万の神々を祀っているのだろう。

「火朽さん、斗望くんと芹架くんをお願いしても良いですか?」
「ええ」

 火朽さんが、僕の声に笑顔で頷いた。火朽さんは、玲瓏院家の結界とやらは、問題がないのだろうか? 無さそうだし、多分僕にも問題はない――というより、水咲の場合もただの配慮だろうけれど。同じ土地で暮らしていると、何か人間じみた柵が、妖にも生まれるのかもしれない。

「俺は一人でも大丈夫だ。気にするな」

 そんな僕らの横で、驚いたように水咲が言った。僕は苦笑した。

「だけどこの車、運転手さんを別にしたら、四人しか乗れないし」

 何も僕は、水咲が心配というわけではない。人型を象っている以上、物理的に、乗車が難しいと判断したのだ。それならば、水咲が残るのなら、僕も連れ帰ってもらおうと決めたのである。

「……そうだな」

 水咲が頷いたのを見てから、僕達は揃って、玲瓏院家の車を見送った。場合によっては、明日の朝、ローラと藍円寺さんの車に乗せてもらっても良いだろう。漠然とそう考えていた時――横を、大きなバスが通り過ぎるのを見た。

「ん?」

 僕は、そこで笑っているローラを見た。あれ? 目が合うと、吹き出された気がした。
 奥には藍円寺さんの姿も見えた。なぜ二人は、バスに乗っているのだろう?
 車は一体どうしたんだろう?

「……」

 混乱しながら、僕は駐車場の気配を探った。藍円寺さんの車は、ある。

「どうかしたのか?」

 そんな僕に水咲が気づいたので、思わず呟くように僕は答える。

「あのさ、朝ね――ローラが、車がどうのと……」
「ああ、藍円寺享夜の車か。俺は、彼らが帰る時に同乗させてもらおうと思っていたんだ――これが、ここにあるというのも問題でな」
「あ」

 見ると、水咲がポケットから車の鍵を取り出した所だった。

「朝、荷物を下ろす際に鍵を受け取ったままだったんだ」
「返すのもあって、水咲はここに残っていたんだ?」
「それもある。ただ、事実として、藍円寺享夜の車と玲瓏院の車では、結界の有無が違う」
「――今、バスで藍円寺さんとローラ、帰っちゃった気がするんだけど、水咲って運転は出来る? 僕は免許を持ってないんだよね」

 僕がそう口にすると、ハッとしたように水咲が、遠ざかっていくバスを見た。

「まさか……っ――あの、藍円寺享夜が、藍円寺斗望の帰路について心配する事もなく、さらには駐車場の料金の心配をせずに、車を残していくなんて」

 それを聞いて、僕は咽せた。確かに藍円寺さんなら、駐車場代を気にしそうだ。光熱水費が理由でローラの暗示を破った事すらあるのだから、非常にまっとうな推測だと思う。ただ――だからこそ、最近、ローラは藍円寺さんに対して、使用する場合は非常に気づかれにくく、暗示をかけるのだ。

「多分、ローラは本気で、疲れている藍円寺さんに運転をさせたくなかったんだよ」
「疲れている? この遊園地は、藍円寺享夜に、それほどまでに肉体的疲労をもたらしたのか?」
「テーマパークがというよりは、ローラが、かな」
「……そうか」

 僕の言葉に、少しの間沈黙してから、水咲が頷いた。

「――俺も、運転は出来ない」
「だよね。普通の妖は、出来ないよね」

 出来る上に免許を取得している、ローラや火朽さんの方が、一般から外れているのである。まぁ駐車場代はローラがどうにかするだろうし、車だってローラが悪いのだから、ローラが取りに来ると信じよう。

「だけどもう閉園だし、どうする?」

 僕の言葉に、水咲が腕を組んで、空を見上げた。逢魔が時の空を、一羽の黒い鴉が横切っていく。

「少し休んでいくか」
「え? どこで?」
「近くに、この一帯の開発から難を逃れた宿場があるんだ」

 そう言って水咲が歩き始めたので、僕は慌てて後を追いかける事にした。