【15】サイコメトリスト



「ローラはさ、朝はタクシーで帰ると話していたんだけど、結局バスで……どちらにしろなんだけど、最初から車はおいていくつもりだったんだよね」


 僕は水咲と共にさらしな荘を後にしながら、改めて昨日の朝の状況を説明した。すると歩きながら、水咲が頷く。そのまま二人で朝の駐車場に入ると、藍円寺さんの車の隣に、火朽さんが立っていた。

「火朽さん! 迎えに来てくれたんですか?」
「――ええ。砂鳥くんが襲われているとローラから聞いて、半信半疑でここへ来たのですが……」

 それを聞いて、僕は吹きそうになった。慌てて首を振る。

「襲われそうになった所で、ローラが助けてくれたよ」
「なるほど」

 火朽さんは笑顔だったが、スっと目を細めて水咲を見た。すると水咲は、普段店で見せていたような、あまり感情が伺えない顔になった。昨日はよく笑っていたので、全然印象が異なる。だがこれは、火朽さんを恐れているからでは無さそうだった。どちらかといえば――人見知り……正確には、興味がない場合には冷たいといった感情が、僅かにではあるが伝わって来る。僕はあまり水咲の感情は、読めないんだけどね。火朽さんの感情も頑張らなければ読めないのではあるが……。

「それで砂鳥くん。彼は乗せて帰りますか? 置いていきますか」
「水咲もお願いします――あれ、火朽さんは、免許を持ってるんですか?」
「……何事も経験だとして、実を言えば形だけ、自動車学校に通って取得しました」

 驚きつつも、僕は頷いた。大学に行ってみるくらいなのだから、持っていたとしても不思議はない。

 こうして僕らは、藍円寺さんの車で、家まで帰ることとなった。
 帰宅した僕は、考える。
 ――もう、しばらくは、どこにも出かけたくない。だけど、楽しかった。

 このようにして……お化け屋敷(テーマパーク)へ行った一件は幕を閉じたのである。



 ただ、これを境に……僕と水咲は、前よりも少しだけ親しくなったかもしれない。
 水咲が来てくれる頻度が増加したのだ。
 その上、最近では緑茶と餡子――和から、外れた品も注文してくれるように変わった。

 だけど、これが、親しさからなのか……自画自賛するけれども、僕の腕前が向上したからなのかは、僕には分からない。僕は、自分でも思うが、腕が上がった。何せ、最近では、Cafe目的の人間のお客様も、妖のお客様も増えたからである。目に見えて成果があるから嬉しい。

 季節は――もうじき、クリスマスだ。

 僕は店内を見渡した。

「うーん」

 すると、カウンターに座っていたローラと、近くのソファに座っていた火朽さんが、それぞれ僕を見た。現在は閉店中だ。日中の部と深夜の部の境である。ローラは、本日は除霊のバイトがお休みらしい。しかし藍円寺さんは、本日は斗望くんと一番上のお兄さんの朝儀さんが来るから多忙だそうで、ローラとは会えないようだった。毎日会っていて、たまに会えないとしても、それって普通じゃないかと僕は思う。同棲でもしていない限り。火朽さんは、今日は紬くんが家の用事があるそうで、珍しく早く帰ってきた。火朽さんも最近は、紬くんと遅くまで一緒にいるから、ローラの同類だ。

「どうかしたのですか?」
「珍しいな、砂鳥が物憂げな顔をするなんて」

 二人の声に、僕はそれぞれを見た。

「もうすぐ十二月でしょう? クリスマスと言ったら、やっぱり喫茶店は、内装を飾り立てたりした方が良いかなと思って」

 ハロウィンの頃は、そこまで考えていなかった。来年は、ハロウィンも行いたい。そんな事を考えていると、二人が顔を見合わせた。

「砂鳥くんも、本格的に、マスターっぽくなってきましたね」
「おう、俺も火朽と同じ意見だ」
「それって、褒めてくれてるの? 二人共」

 僕が言うと、火朽さんが穏やかに笑い、ローラはわざとらしく頷いた。
 その後三人で、内装について話し合った。

 翌日僕は、クリスマスの特別メニューを考えつつ、ツリーの検討を開始した。シンプルに、本物の緑の木も良いし、人工的な電色の青や白のツリーも良いなと考えていた。この絢樫Cafeによく合うのは、やはり本物のツリーのような気もする。

 さてその日――扉が開いたのは、開店直後のことだった。朝だ。
 人間のお客様である。初めて見る顔をしていた。

「コーヒーを」

 その人は、メニューを見るでもなく、立ち上がった僕に言った。喫茶店だから珈琲があるだろうという判断だと思う。だが……珈琲にも、様々な種類があるのだ。

「どの珈琲になさいますか?」

 僕はメニューを開いて案内しながら、そう尋ねた。すると、入ってきた青年が、少し驚いた顔をした。

「――そうだな、暑い産地の豆が良い」
「でしたら、この三番目の――」
「ああ、それで頼む」

 少しだけ偉そうなお客様だった。最近Cafeにくる人間のお客様は、上品な人が多いというか、寧ろ過剰に店員の僕に気を遣う人が多かった。多分、店の雰囲気によるんだと思う。しかし、黒い髪に黒い瞳をした、背の高いこの人物は異なる。伝わって来る感情からも、『もてなされて当然だ』という色が読み取れた。

 ――別にそれが嫌なわけではない。ちょっと新鮮だっただけである。

「どうぞ」

 水出し珈琲以外も増えたのは最近だから、僕はちょっとドキドキしながらカップを差し出した。すると青年が、改めて僕を見た。

「ここは、絢樫Cafeだよなぁ?」
「そうです」
「――ローラという吸血鬼は、お前じゃないよなぁ? お前……妖怪?」

 その言葉に、僕は思わず息を飲んだ。目の前の青年からは、霊能力といったものは一切感じなかったからだ。どうしよう……ローラは、朝から本日は、藍円寺さんと除霊のバイトに出かけている。火朽さんも大学だ。

「……ええと……」
「あ、他意は無――くは、無いが、あの……悪いな、思わず口が。俺、結構率直でさ」

 青年は、僕の反応に苦笑した。僕は、全力で相手のプロフィールを読み取ることに決めた。名前は――兼貞北斗(カネサダホクト)と言うようだった。三十歳だという。この国の要の一つである、兼貞家の現在の当主であり……ん? 最近人気の俳優の、兼貞某の伯父……? いいや、それは不要な情報だろう。現在、内閣情報調査室庶務零課の課長? 何だろう、その、聞いた事のない部署は……。ええと……玲瓏院縲さんと藍円寺朝儀さんの元同僚? え?

 僕はそこまで読んで気がついた。余裕たっぷりに僕を見て、青年が笑っている。

「なるほど、覚かぁ」
「……わざと、読ませました?」
「仕事柄、こういうこともある。人の心を読む妖は、覚ほど専門的でなくとも多いからなぁ」

 それを聞いて、僕は青くなった。完全に、人間のペースだ。人間の言動に飲まれたのは、久方ぶりである。

「いくつか質問をしても良いかぁ?」
「え、ええ……」

 二人きりの店内で、兼貞北斗氏がカップを傾ける。

「六条彼方(ロクジョウカナタ)という名前を聞いたことはあるか?」
「ないです」
「――お。あいつ、上手くやったんだな」

 僕は、不意に、彼の心が読めなくなったことに気がついて、狼狽えた。

「夏瑪夜明を知っているか?」
「はい……」
「仲間かぁ?」
「え?」

 夏瑪先生には、ローラの紹介で会ったことがある。ローラのお友達なのだから、仲間か否かならば、仲間なのだろうか……? だけど、僕はあんまり詳しいことを知らない。

「なるほど、よく知らないのか」
「!」
「――人間だって、な。心を読める者は存在するんだぞ? 例えば俺のような、サイコメトリストといった能力者もいるんだよ」

 それを聞いて、僕は目を見開いた。兼貞北斗氏は、カップに触れているのだが……そこに通じている僕との間の空気から、何かを読み取っているのだと、ここで悟った。

「北斗で良い。兼貞っていうと、今じゃ俺の甥っ子の方が有名だからなぁ」
「え、あ……」

 僕はテレビも雑誌もWebも見ないから、残念ながら知らなかった。ただ、どうやら、お化け屋敷に撮影に行った俳優らしかった。藍円寺さんが恐れていた民家だ。

「話を戻すと、仲間というわけじゃねぇんだな、お前は」
「は、はい……」
「ふぅむ。実はな、ここだけの話だ」
「はぁ?」
「今、俺達は、夏瑪夜明を追いかけているんだ――玲瓏院家からの依頼もあってなぁ」
「え?」
「次期当主に近づいているらしい」
「紬くんに?」
「そ。ただ、近づいてるのは、ここの狐火も同じだろ?」
「ち、近づいているっていうか、火朽さん達は、お友達です」
「なるほど、なるほど。まぁ、それはそれとして――あのなぁ、夏瑪夜明をどうにかするとしたら、お前達三人が敵だと、非常に人間側は辛い思いをするんだなぁ。だから……『何もしない』と約束してもらえないか?」

 それを聞いて、僕は唇を震わせた。何を言っていいのか悩んだ。それから唾液を嚥下した後、恐る恐る言う。

「あ、あの……ローラは、藍円寺さんの、火朽さんは紬くんに……何かあったら、なにかしちゃうと思います」
「じゃ、お前は?」
「僕は……うーん」
「人間の心を読んで、その二人に言わないと約束できねぇか?」
「できないですよ。だって、北斗さんのことはよく知らない。夏瑪先生と同じくらい他人です。あの二人は、僕の家族のようなものです」

 正直に告げると、北斗さんは――笑顔になった。

「そうか。正直者なんだな、覚なのに」
「え?」
「俺が知る覚は嘘つきや揶揄するタイプが多い」
「僕以外にも覚を知っているんですか?」
「――ああ。大勢知っている。というより、ブラックベリーの霊能学で言うならば、覚というのは、妖の中のサイコメトリストのことであり、覚の本質は、別の妖怪であることが多い。だからお前も、本来は別の妖であり、その上でのサイコメトリストとしても良い」

 僕はそれを聞いて、目を見開いた。ブラックベリーというのは、ローラの筆名だ。霊能学研究をしているブラックベリーという名の存在が、ほかにいるとは思わない。だが、ローラは僕を、『お前は覚だ』としか言わなかった。

「え? じゃ、じゃあ、僕は別の妖怪なんですか?」
「さぁなぁ」
「教えてください」
「教えたら、何もしないと約束してくれるかぁ?」
「それは……」

 困ってしまった僕を見ると、北斗さんが柔和に微笑んだ。

「冗談だ。また来る――あ、俺がここにきたことは、内緒だぞ?」
「えっと……お客様の個人情報は守ってます」
「有難う」

 その後、珈琲を飲み干すと、北斗さんは帰っていった。
 僕は――彼の来訪を、帰ってきたローラには告げなかった。