【16】思わぬ再会



 だけど、北斗さんって、なんだったんだろう……?
何者、というのは正確ではないと思う。来訪自体が疑問だ。
 ローラというか、夏瑪先生に関心があるようだったけれど、接点がほとんど無い僕には、いまいちよく分からない。

 そんな事を考えつつ、本日は火朽さんは出かけているし、帰ってきてすぐにローラは、「これからすぐにまた出てくる」と言って藍円寺さんの所へと戻っていったから、僕はつかの間の休息時間を居住スペースでダラダラと過ごしていた。

 もう少しすると、夜の営業時間となる。自分用にいれたカプチーノを飲みながら、僕は本日のおすすめ品を考えていた。その後、店を開ける事にした。

「邪魔をする」

 この夜も訪れたお客様は、見るからに人間のお客様では無かった。いいや、外見は、人間だ。グレーのコート姿で、同色の帽子をかぶっている。ただ……その背中に、僕には巨大な黒い鎌が見えた。

「人ならざるものも入れる茶屋があると聞いた」
「ええ。どうぞ、おかけください」

 僕が席に案内すると、彼は、少しだけ周囲を気遣うようにして、椅子に座った。どうやら……死神らしい。深く帽子をかぶっているから顔は見えない。

「こちらがメニューです」

 僕がメニューを開くと、少しおどおどしたように死神さんは視線を向けた。

「甘いものを……コレを」
「かしこまりました」

 お客様がメニューを指す。頷いて僕が注文を取る間、死神さんはきょどきょどと周囲を見渡していた。その後僕は用意に向かい、ホットショコラを用意した。気配で死神だという事は分かるのだが――なんとなく僕は、その気配にどこか懐かしさを覚えて不思議な気分になっていた。

「どうぞ。ごゆっくり」

 ホットショコラを席に届けて僕が微笑しながらそう告げると、カップを見ながら、青年姿の死神が、何かを言いたそうに口ごもった。それから彼は、不意に帽子を取った。

「あ」

 そこに現れた顔を見て、思わず僕は声を上げた。強烈な既視感があったからだ。すると僕を見て、青年が大きな目を何度か瞬かせた。

「俺を、覚えているか?」
「……え? 死神になったの?」

 僕は、彼を覚えていた。いつか一緒に温泉に入った人間だ。残念ながら、名前は記憶をしていない。それは、彼が一度も僕に名乗った事が無いからだ。

「覚えていたのか。ああ、そうだ。天国に逝くのと、面白い仕事のどちらをするかと言われてさ」
「……また会えるとは思ってなかったです」
「俺も同じ思いだ。ついこの前、たまたま仕事の最中に、この店の話を聞いて、覚がいるというから、もしかしたらと思ったら――俺は、ずっと後悔していたんだ。お前の事を、きちんと聞かなかった事を。名前も知らなかった」
「あの頃の僕には名前がなかったから……僕も聞かなかったし」

 椿沼という土地での出来事が蘇る。懐かしいなと考えていると、彼がやっと笑みを見せた。

「俺は、紫信(しのぶ)と言うんだ」
「僕は、そのまんま、砂鳥です」
「砂鳥、か」

 こうして僕は、懐かしい(元)人間との再会を果たしたのだった。紫信さんは、黒い髪に、紫色の瞳をしている。昔は、瞳の色も黒かったと思う。

「ああ……仕事だ。もう行かなければならない」

 ホットショコラを飲み終えた時、紫信さんが黒い懐中時計を取り出した。それを見て僕が頷くと、静かに彼が立ち上がり、口元にだけぎこちない笑みを浮かべた。

「一目でいいから会いたかったんだ。それが叶って良かった」
「またいつでもお越しください」
「ああ……そうだな。有難う」

 小さく頷くと紫信さんが人間の紙幣を僕に差し出した。受け取り慌ててレジへと向かう。そしておつりを渡そうと振り返った時には――既に紫信さんの姿は無かった。

「……また来てくれるよね? その時に返そう」

 追いかけようにも、既にどこにも気配が無かったので、僕は一人そう呟いた。


 その後はしばらく一人で、店の各地の花の位置などを整えていた。色とりどりの菓子の配置も考える。最初こそ、誰もお客様がいないと寂しさと不安を覚えていたのだが、今ではこんなひと時も心地が良くなってきた。

 そうして時刻が、午前三時を回った頃――店の扉が開いた。

「俺は珈琲。藍円寺には今日のオススメな」

 入ってきたのは、ローラと藍円寺さんだった。ローラは猫のような瞳を楽しそうに、正確に言うならば嬉しそうに輝かせている。一方の藍円寺さんは、相変わらずこの世を滅ぼしそうなほどに険しい顔をしてはいるが、頭の中は幸せそうだ。

「かしこまりました」

 ローラは定位置のカウンターに座り、その隣に藍円寺さんも座る。最近では、この位置が藍円寺さんの定位置になりつつある。僕はカウンターの奥で、珈琲とハイビスカスティの準備に勤しんだ。すっかりこの二人のバイト姿は板についているように思う。

「はい、どうぞ」

 最初にローラに珈琲を出してから、僕は続いて藍円寺さんを見た。

「本日のおすすめはこちらです」
「そうか」

 品を見ると、心なしか藍円寺さんがホッとしているのが分かった。香りからして甘いからかもしれない。今でもたまに藍円寺さんは、飲み物の味が苦かったらと恐怖している場合があるのが面白い。

「今日は何を除霊してきたの?」

 何気なく僕がローラに聞くと、ニヤリとした笑みが帰ってきた。僕は小さく首をひねり、藍円寺さんを見る。するとこちらはカップに両手を添えて複雑そうな顔をしていた。

「今日は、藍円寺から、除霊の方法を教わっていたんだ。だよな? 藍円寺」
「あ、ああ……だが、本当に大丈夫なのか? 吸血鬼なのにお教を覚えて……」
「愛の力で乗り越えるから問題はない」

 なんだかよくわからないが、二人は本日も幸せそうだ。
 その後は、ローラが藍円寺さんと話したいようだったので、僕は奥に引き返した。

 しかし、冬の気配も色濃くなってきた。もうクリスマスまで、本当に僅かの期間しかない。そんな事を考えていると、ローラ達の話が耳に入ってきた。

「藍円寺、クリスマスはどうする?」
「どうって……仕事をその日は入れない予定だから……そ、その……」
「じゃあ一緒に過ごせるな」
「っ、ああ……ただ、日中は、ご隠居に除夜の鐘の件で話があると言われているから、夜から空けてやる。あ、だ、だから、空ける!」
「空けてくれるのか、嬉しいなぁ」

 他に予定を入れてなどいないのに、藍円寺さんは不器用な口を嘆いていた。しかしローラに気にした素振りはない。ローラは、どちらかというと、今の藍円寺さんの言葉の中だと、言い方よりも『ご隠居』という言葉に、内心で反応しているようだった。

 ……。

 ご隠居というのは、ローラと出会う前の、藍円寺さんにとっての藍円寺――肩こり解消装置というか、玲瓏院家で一番偉い人の事のようだ。現在の当主さんは別らしいけど。

 ローラ達が付き合う前も、藍円寺さんがご隠居さんの命令でお教を読みに出かけて、遅れて絢樫Cafeにやってきた日は、いつも以上にローラは険しい顔をしていた。なにせその後、藍円寺さんを愛のあまり監禁しちゃったほどなのだから。

 藍円寺さんを取られるような、自分以外を大切にされているような、そんな感覚がするらしく、力自体を問題視しているだとかではないというのが、読むまでもなくローラから伝わってくる。ローラの独占欲は、爆発しているようだ。

「寺が忙しいなら、俺の家に来るか?」
「え」
「――嫌そうだなぁ」
「……べ、別に、あ、あの……」
「この前もバイト終わりに一泊しただろう? 何もなかっただろう?」
「……」

 そういえば先日藍円寺さんが、泊まっていった事を僕は思い出した。風邪をひいた日と監禁の日々を抜くと、正式に訪れたのは初めてだったと言える。あの日は、僕はお店、火朽さんはゼミの友人と飲み明かすと言って帰ってこなかった。

「決まりだな」

 ローラの決定に、藍円寺さんは何も言い返す声が見つからないようだった。