【17】選り好み……?
その後、ローラが藍円寺さんを送っていってから、この日は珍しく絢樫Cafeに戻ってきた。最近では、そのまま寺に泊まってくる事が多いから珍しい。
「どうかしたの? ローラ」
何気なく僕が聞くと、カウンターに座り直したローラが、まじまじと僕を見ながら、パチンと指を鳴らした。するとローラの前には、薔薇のような香りがする赤い酒が現れた。ワインとも違う、薔薇蜜酒という甘いウォッカのような酒らしい。
「お前こそ、どうかしたんじゃないのか?」
「え? 僕?」
心当たりが特に無かったので、首を傾げながら、自分用の珈琲を用意する。
「なんだか店の気配が、混沌としてるぞ」
「そう?」
「誰でも客として受け入れるのは公平で俺は悪いとは思わんが、少しは選り好みしてもいいんじゃないか?」
「例えばどういう基準で?」
「それはマスターのお前の判断だろ」
ローラはそう言うと、ロックグラスを傾けた。僕はティカップを静かに動かす。
「疲れた藍円寺をここに連れてきた時に、和む店である事を期待しているんだよ、俺は」
「あ、そういう意味?」
「そ。藍円寺が、扉を開ける前に、今日なんてビクビクしていたぞ」
「そう言われてもなぁ――あ、死神のお客様が来たからかな?」
「さぁ?」
「だけどお釣りを忘れていったから、また待ってるんだ」
「ふぅん」
あまりローラは、僕の話には興味が無さそうだ。ローラの、興味がないものに対する無関心は、いっそ潔い。そのローラの興味の対象なんて、今は藍円寺さんだけだろう。そして僕は、そちらにも興味がある。
「藍円寺さんとは、うまくいってるの?」
「おう。今なら、火朽と、玲瓏院紬の二人と、いい勝負が出来ると考えてる」
「何を勝負するの?」
「え? んー、俺もほら、藍円寺が何を望んでるか分かるようになっちゃったっていうか」
唐突に惚気が始まった。ニッヤニヤしているローラは、嬉しそうに顔を緩めている。 それから朝まで、僕はローラの惚気を聞いていた。
途切れたのは、朝になって火朽さんが帰ってきた時だ。
「ああ、ちょうど良かった。来週、クリスマスに紬くんと泊まりに出かける事になったので、数日間家を空けますね」
僕は火朽さんにミルクティを差し出しながら頷いた。ローラがそれを聞いて腕を組む。
「お前らはいつから行くんだ?」
「現地で合流する事になりそうで、まだホテルをおさえていないんです。紬くんも忙しいようで――やはり、玲瓏院家はお寺ですし、年末は何かと……――とは、思うのですが、ローラ、少々良いですか?」
「ん?」
「最近、寺に、昼威先生は帰ってきていますか?」
「いいや。俺がいると帰ってこない。神社にいるんだろ?」
「ええ、そのようで、今夜の飲み会にも神社で巫女のバイトをしているゼミの友人がいたのですが――まるで、何かの準備をしているようだと噂していました」
火朽さんの言葉に、ローラが唇を手で撫でた。
「何のだ? 除夜の鐘と初詣か?」
「おそらくはそうなのでしょうが――どこか、含みがあるように思えまして」
「それは、あれじゃないのか? 神主と藍円寺昼威がデキてるってバレてる」
「そちらもうとっくにバレているようでした」
「妖(アヤカシ)だけじゃなく、マイノリティにも大らかな土地なんだな」
僕はその言葉に吹き出した。マイノリティにも大らかって……。しかしまぁ、見ていたら分かるだろう。昼威先生も顔には出ない方だが、神主の御遼侑眞さんの方の溺愛っぷりは、ちょっと親しい後輩という枠組みは超えている。
「夏瑪は、何か言っていたのか?」
「教授は、既に大学のテスト期間に入っていて、自分の担当分が終わっているので、今は研究室に詰めておられますよ。年明けに、環太平洋地域の独自研究の旅行に出かけるそうで、院生が手伝っているようです」
「あー、例のあいつの趣味か。長生きしてると、考古学は結構暇つぶしになるしな」
「仔細は知りませんが、そういうわけで、昨日の打ち上げにも顔はなく。まぁ何事もないのであれば、どうでも良いですが、僕と紬くんのクリスマスが潰れる事だけは避けたくて」
「うん。お前ってそういう奴だよな」
「? ローラは、藍円寺さんとのクリスマスが潰れても良いと?」
「良いわけがないだろう」
そんなやりとりをしてから、僕らはそろって居住スペースへと向かい、朝食をとる事にした。本日は、ローラと火朽さんが話し込んでいるので、僕が用意をする事に決めた。むしろ最近では、料理は僕の仕事になりつつあったりもする。今になって火朽さんのありがたさが身に染みるというものである。
準備をしながら、僕はちらりとカレンダーを見た。
本当にあと数日でクリスマスだ。
搬入予定のケーキも、クリスマス仕様のものが増えている。
問題は、クリスマスが終わってからだ。その後の、バレンタインまでの間は、カフェではどんな飾りつけをしようか、何かフェアでもやるべきか、ここの所はそんな事ばかり考えている。
そんな毎日は、とても楽しかった。