【19】クリスマス・イブ・イブからクリスマス当日
「それでは、行ってきますね」
十二月二十三日の夜、火朽さんが言った。何でも、今夜中に隣の市の書店で、紬くんの荷物を代わりに受け取って、押さえたホテルに泊まり、イブに合流するらしい。
紬くんは、何やら玲瓏院家のお手伝いで手が離せないらしいのだが、どうしても今日中にその本を受け取らなければならないと話していたそうで、火朽さんが代理になるらしい。
直接書店に届く荷物って、やはり本なのだろうけれど、僕のイメージだと人間の場合は家に送ってもらいそうだから、ちょっと不思議だった。
火朽さんを見送って暫くすると、ローラがニコニコしながら帰宅した。
「早く明日にならねぇかなぁ」
こちらもクリスマス・イブには、藍円寺さんと約束をしているからか、いつもより上機嫌だ。こういう時、僕は思う。寂しい独り身……別に、恋愛ムードに浸りたいわけじゃない、何せ稼ぎ時だ。人肌が恋しいわけでもない。お店の中は空調が万全だ。
そんなこんなで、この日は、眠る事にした。
何せ忙しいのは、明日だ。
◆◇◆
絢樫cafeの扉が乱暴な音を立てて開いた。本日はクリスマスイブなのだが、お経再生装置と仏像放送装置のような袈裟と錫杖……は、餌のためとして、ローラの頼みと本人もローラには心を見られても構わないと心情を吐露して、最近外していた翡翠の数珠をつけたフル装備の藍円寺さんが入ってきた。
表情は非常に険しい。本日も世界を滅ぼしそうな、肉食獣のような……というよりは、THE☆僧侶という面持ちだ。いつもよりも怖い見た目だが、クリスマスだし内心は浮かれているはずだろうなぁ。だけど今はまだ昼だ。話によると約束は夜の七時じゃなかったっけ? こちらも浮かれたローラに聞いた気がする。一瞥すると、ローラも驚いた顔をして、立ち上がっていた。しかしこちらは頬が緩むのが止められていない。恋人と過ごすクリスマスだもんなぁ。
僕はそんなことを考えつつ、本日のオススメの載るメニューを手に取った。
「いらっしゃ――」
「ローラ!!」
しかし藍円寺さんは僕など目に入っていない様子で、僕の隣を半ば走るように進み、ローラの正面に立った。
「頼む、俺と別れて大至急、新南津市から出て行ってくれ!」
藍円寺さんの言葉に、ローラがピシリと固まった。笑顔のまま硬直したが、なんというか周囲には冷気が溢れた。
面白そうだ。不謹慎だが。僕は藍円寺さんの思考にピントを合わせつつ、流れを見守ることにして、それとなく厨房側へと下がった。なお、ローラからは、「心を読め!」と、強い感情がわざとらしく僕に伝わってきたが、言われるまでもない。
「藍円寺……いきなりなんだ?」
「大至急、駅に!! 車で送る!!」
藍円寺さんは、よく見ると非常に焦っているようだった。別れるとか別れないとかよりも、ローラや……僕と火朽さんに対して「大至急逃がさなければ」と考えているようだった。ん?
「頼む、ローラ、早く!」
「いやいやいや、待て。俺は別れるつもりはない」
「ダメなんだ! お願いだ!」
「俺が嫌いになったのか?」
「大好きだ、あ、いや……ええと! と、とにかく!」
たまに本音を勢いで口走る藍円寺さんであるが、それを聞いて、ローラが目に見えてホッとした顔をした。
「早く! 時間が――」
藍円寺さんがそう言った瞬間だった。
ピシリと、まるで水のような風が周囲を走り抜けた。衝撃波とでもいうべきなのか、水をかけられた感覚になる風が、一瞬だけ吹き抜けたのである。
「っ、な、予定より早……」
藍円寺さんが、今度は真っ青になった。それを見たローラが、一歩進んで、藍円寺さんを抱きしめた。すると我に返ったらしく、藍円寺さんが真剣な顔をした。
「ローラ、落ち着いて聞いてくれ」
「無理だ。お前に別れて欲しいと言われたら、落ち着いてなんていられねぇよ。俺も、お前が大好きだ」
「……っ」
「本当は別れたくないよな? 暗示はかからない今、しっかり教えてくれ。お前は俺の恋人だ。そうだろ?」
「ああ。俺は……って、あ、えっと……あ、ああ! そうだな。俺はローラの恋人だ。そうだ、ああ……分かった。ローラの事は俺が守る。今後は決して俺から離れないでくれ」
流れがよくわからないため、僕は首を傾げながら、ローラを抱きしめ返した藍円寺さんを眺めていた。その時、ローラから強い思考が飛んで来た。
『玲瓏院結界が新しく張り直された気配がする』
僕はポカンとした。前も張ってあったらしいが、それほど気にした事はない。ただ、そういえば今日は紬くんが都合が悪いと話していて、火朽さんに、「先に隣の街のホテルに行っていて。そこが近いから夜合流する」という約束があったらしく、火朽さんは不在だ。
『発動すると、基本的に微弱な妖魔は消滅、と、聞いていて実際そうなってる。で、強い妖は出られなくなるらしいし、力も使えなくなるらしいが――俺たちに心配はいらないな。砂鳥でも出られる。夏瑪は出られないかもな。ただあいつでも、出られなくても力は使えそうな代物だ』
実際僕は心が読めているから、問題はない。それにローラが平気だというなら大丈夫だろう。夏瑪先生が出られず僕が出られるのはよく分からないが。僕より強そうなのに。
「ローラ、実は……」
その時、藍円寺さんが玲瓏院結界の説明を始めた。藍円寺さんは、ローラを逃がそうとしていたらしい。紬くんにいたっては、火朽さんを逃がし済みだ。外からは戻れるようだし、どうせ戻ってくるだろうけどね。
「……だから、今、ローラは力を使えなくなってしまったはずなんだ。それに、藍円寺も含めて玲瓏院一門と呼ばれる人間に近づいた強い妖は、特に先に除霊されることが決まっているんだ。それで、俺のせいでローラは先に狙われる。別れたらまだ、無関係だと強く……いいや。いい。俺も別れたくはない。ローラの事は、俺が守る!」
明らかにローラは、力を使える様子だ。しかし、藍円寺さんの言葉に、ローラが嬉しそうに頷いた。そして改めて藍円寺さんを抱きしめた。
「藍円寺、ありがとう。俺、なんの力もないけど、お前が守ってくれるんだな」
「ああ! 絶対に守る!」
力強い藍円寺さんの言葉に、ローラが幸せそうな感情を僕に連打するように伝えてくるので、僕は面倒になって珈琲を飲むことにした。ローラは、無力になったふりをして、自分のために頑張ってくれる藍円寺さんの鑑賞に励むつもりらしい。
――こうして、当初の予想とは違った方面から、ローラの恋心が盛り上がり始めたのだった。