【20】クリスマスの来訪者




「藍円寺、怖いから今日から俺とずっと一緒にいてくれ」
「勿論だ!」
「――そのためには、藍円寺の部屋を用意しないとな」
「あ」

 そこで藍円寺さんが、我に返ったように、一瞬にして顔面蒼白になった。しかし彼は、俯いて一度唾液を嚥下すると、顔を上げて真剣な面持ちで頷いた。強い眼光で、決意が伺える。

 お化け屋敷(本物)が怖いにも関わらず、ローラのためならば我慢するらしい。
 藍円寺さんは、いつもとは違って、今は震えていない。
 それだけローラを守りたいんだろうなぁ……すごいなぁ。

「よし、行くか。何の力もない俺だけど、精一杯おもてなしをするからな」

 ローラが藍円寺さんの法衣の袖に、そっと触れた。弱々しい笑みと指先の力具合だ。しかし伝わってくる内心は、ウキウキワクワクとしか言い表せない。対する藍円寺さんはといえば、脳裏で何故なのか、昼威先生と長兄の朝儀さんの二人を相手に戦わなければならないと葛藤している。

 ――ん? そんな事態になっているんだろうか?

 気になったので、僕は透視の範囲を広げた。昼威先生と朝儀さんは、藍円寺の庭に居る。そう考えていたら――スっと透明な水面のようなものが、僕の透視を埋め尽くした。どこか藍円寺さんの数珠に通じるものがあるが、違う神聖さだ。

『砂鳥か?』

 そう思っていたら、その中央に水咲の姿が現れた。

『御遼侑眞の命で、藍円寺の護衛中なんだ。お前であっても視られるのは問題だと考える』
「あ、ごめん」

 念話のようなもので、遠い場所同士であるが、僕達の声は通じている。どこでもできる事ではなくて、僕の力が水咲の張っている結界に触れたから、可能なやりとりだ。僕は口に出して、答えていた。

『力がそのままで何よりだが――大事はないか?』
「僕は特に何も変化は無いけど、藍円寺……享夜さんが来てるよ?」
『……恋、か』

 水咲は、どこか力なく呟いた。そして、溜息をついた気配がした。

『侑眞が言ったんだ』
「なんて?」
『押してダメなら引いてみろと』
「へ?」
『結果、恋敵が二人現れたように俺には思えた。やはり押すべきだったな』
「何の話?」
『それはそうと、さらしな荘の厨房で働く気はないか?』
「無いけど?」
『……まぁ良い。とにかく、気づいているとは思うが、玲瓏院結界の絡みで騒がしくなるから、気をつけるように』

 やり取りはそこで途切れた。
 ……。
 僕は決して鈍くはない。かつ、水咲が本気でないというのも、伝わってきた――が、水咲が僕と恋愛ごっこをしようとしているのは、よく理解できた。さすがは妖狐だ。タラシだ。

 しかし、恋敵二人には、心当たりがない。
 また、さらしな荘の厨房に至っては、どういう理屈なのか分からなかった。

「何をブツブツ呟いているんだ?」

 するとローラに言われた。顔を上げると、ローラと藍円寺さんが僕を見ていた。小声だったから聞き取れなかっただろうが(ローラは読唇術が使えるから読んでいたのかもしれないが)、僕は曖昧に笑ってごまかすことにした。対藍円寺さん用である。

「クリスマスのメニュー、どうしようかなって」
「明日からは閉店は出来ないか? 客に紛れて、心霊協会の人々が除霊に来るかもしれない……」

 藍円寺さんが、瞳に心なしか不安そうな色を浮かべた。それを見て、僕は慌てて大きく頷いた。

「わ、分かりました!」
「当然だよな、だって俺達、守ってもらうんだもんな!」

 ローラが僕を巻き込んだ。尤も、僕にはもともと自衛能力はないので、守られる側であってはいるのだが。

 ……ということで、稼ぎ時は逃す形になったのだが、僕は看板をcloseに変えた。 
 多くの甘い恋人達のやり取りが見たかったんだけどなぁ。


 ――このようにして、クリスマスが訪れた。
 せっかくのクリスマスなのに暇だ。そう考えつつ、僕はカフェスペースで、イチャラブしているローラと藍円寺さんを眺めていた。昨日の夜は、震えながら藍円寺さんは徹夜で護衛に臨もうとしていたが、藍円寺さんの体を心配したローラが暗示で眠らせていた。

「藍円寺、怖ーい」

 さも怯えた風を装っているが、ローラの演技も崩れかけている。藍円寺さんに抱きついて、顔を隠してはいるが、ニッヤニヤしている。

「ローラ、何も不安はない」

 内心では不安しかない様子だが、おずおずとローラの背に手を回しながら、藍円寺さんが声をかけている。店の外に車がとまる気配がしたのは、その時の事だった。

 あ、昼威先生がいる。それともう一人。

「いらっしゃいませ」

 看板はcloseだが、僕はそう声をかけた。すると入ってきた昼威先生が言った。

「享夜、ちょっとそこの吸血鬼など存在しないが、ローラという名のマッサージ師に話があるんだが」

 まっすぐに、藍円寺さんだけを見ている。僕には片手を上げて、挨拶がわりにしていた。昼威先生は、妙なところで礼儀正しいと思う。

「出て行け、ローラは俺が守る!」
「危害を加えるつもりはない。少なくとも俺は」

 その不穏な言葉に、僕は伴っているもう一人を見た。あ。僕、この人を見た事がある。お化け屋敷(民家)に行った時に、隣の部屋に行ったら、そこにいた人だ。

「お話さえ伺えれば、俺にもそういった意思は無い。そもそも――ブラックベリー博士と敵対して勝利できるとは思っていない」

 呪符を持っていたその人の声に、昼威先生が急にビクリとした。

「え!?」

 目を見開いている。

「ブラックベリー博士!? 誰が!? どこにいるんだ!? 直筆のサインが欲しい! 名だたる心理学者じゃないか!」

 僕は沈黙するしかなかった。だってそれは、ローラの事だ。ローラの筆名だ。霊能学の他に、心理学や精神医学などの本も書いているというのは、ちらっと聞いたことがある。

「昼威、何の話だ? なぜそんなに、俺に金を借りに来るときに似た、キラキラした目をしているんだ?」

 藍円寺さんが、まるでしょっぱすぎる梅干を食べているかのような、複雑そうな顔になった。藍円寺さんは、家族の前だと若干表情が豊かになる気がする。

「享夜! ブラックベリー博士だぞ? 知らないのか!?」

 昼威先生はといえば、キラキラした瞳をしていた。

「知らない……ただ、この店内には、俺を除くと、ローラと砂鳥くんしかいないのは分かる」
「え!? ま、まさか……」

 その時、ローラが藍円寺さんの手に触れた。下ろしたまま、そっとだ。

「で? 藍円寺、怖い。守ってくれ」
「あ、ああ……とにかく昼威! ローラに近づくな! 砂鳥くんにも、だ!」
「享夜、違うんだ。縲さんが行方不明なんだ」

 昼威先生の言葉に、まず僕は、『誰それ?』と思った。まぁ、玲瓏院の人だろう。

「その犯人として、夏瑪夜明という吸血鬼が浮上しているから、居場所を知らないかと思って聞きに来たんだ」

 続けた昼威先生の声に、藍円寺さんが硬直している。内心が、真っ白になっている。お。ローラを守らなければという思考から、ここに来て、初めてちょっと逸れてる。するとローラもそれを察したのか、もう片方の手で、藍円寺さんの背中の服をつまみながら、後ろに隠れるように一歩下がった。

「俺は知らない。怖い……」

 すると藍円寺さんがハッとしたように、ローラへと振り返った。

「ローラ、安心しろ。俺が必ず守るから!」

 そんな二人を、しらっとした目で、昼威先生が見る。

「お前ら、ふざけてるのか? まともに答えてくれ!」

 もう一人の人物も苦笑している。この人は、何者なんだろう? そう思って心を読み――僕は名前を読んで、驚いた。

「え? そ、そうだ……そこにいるのは、六条彼方さん?」
「ん? ああ、そうだけれど」
「あ、あの……北斗さんが来ていって……」
「ああ。俺がこの絢樫Cafeの調査報告を提出した時に、自分で出向くと話していたからね。そうか。その時、夏瑪夜明について、何か伝えていったか?」

 聞いたか聞いていないかで言えば、聞いた。だけど僕はそのことをローラにも話していない。なんと答えようか思案していると、ローラが言った。

「夏瑪は、喰い殺すタイプだからな。急いだほうがいい」

 その言葉に、来訪者二名が表情をなくした。

「あいつの本当の研究室は、大学じゃない。あいつは、駅前の繁華街の雑居ビルの地下に、自分の研究室を持っているらしかったぞ。十中八九そこだが、お前らの力で発見して入れるかって考えると、微妙だなぁ」

 それを聞くと、藍円寺さんが、心なしか眉を下げた。

「縲さんが仮に囚われているならば、助けないと。俺も行って――っ、いいや、それじゃローラが守れない……昼威、俺は行けない。で、でも……縲さんが……」
「藍円寺……俺よりも、そいつが大切なのか?」
「そんなはずがないだろう! だ、だけど……ローラを守って、縲さんを助けるためには、どうしたらいいんだ……」

 藍円寺さん……本当に善良な人だなぁ。悩んでいるのがひしひしと伝わって来る。愛を取った自分を責めている。僕は微笑ましくなったが、昼威先生は呆れ顔だ。それから昼威先生は、ローラの方をじっと見た。

「どうすれば発見できる? かつ、侵入して、縲さんを救出できる?」
「夏瑪だろ? んー、昼威先生が、藍円寺を俺にくれるって誓うんなら、場所の地図くらいは書いてやる」
「それはダメだ」

 昼威先生、即答だった。この人、結構ブラコンだと僕は思う。

「藍円寺と一緒に暮らしたいなぁ」
「ローラ……」
「俺も藍円寺と寺に住みたい」
「け、けど、力がなくなったのに、お寺に入れるのか?」
「そうだなぁ……ダメかもしれないから、藍円寺が俺の家に来てくれ」
「で、でも、俺には朝にお教を読む仕事だとか……」
「それはほら、昼威先生とか朝儀というお前の一番上に兄に頼んだらどうだ? 斗望くんだっているだろう?」
「え……」

 藍円寺さんが真っ赤になっている。ローラが顔を近づけ、長い指先で藍円寺さんの顎を持ち上げようとした。だが、その指が触れる直前で、藍円寺さんが真っ青になった。

「い、い、いや。怖いし……あ、違う……ええと、あ、あの、ローラの家はちょっと……い、いや……だ、だから!」

 本心から怖いみたいだけど、嬉しさも綯い交ぜという藍円寺さんの思考が面白い。そう考えていたら、目を据わらせた昼威先生が非常に呆れたように、二人を見ている事に僕は気づいた。

「縲さんの命の危機なんだ。享夜、そこのローラという存在に、居場所を吐かせろ」

 昼威先生が咳払いをしてからそう述べると、藍円寺さんが我に返ったように、ローラから一歩後ずさった。そしてまじまじとローラを見ながら口を開く。

「……昼威……あ、ああ……あの、ローラ? 知っているなら、教えてくれないか?」
「藍円寺の頼みなら、任せろ!」

 ローラは現金な性格をしている。満面の笑みに変わったローラは、指をパチンと鳴らした。すると羊皮紙が一枚宙を舞った。それは昼威先生の手におさまる。

「場所はそこだ」
「感謝する。しかし、出向いても入れないのでは意味が無い。入る方法は?」
「さぁなぁ。六条彼方だっけ? 縁切りと同じ方法で、夏瑪の構築空間を切り裂けば入れるかもなぁ」

 ローラが嫌そうに言った。非常に面倒くさそうというか――興味が無い様子だ。藍円寺さんと昼威先生に対する態度が違いすぎる。まぁ、ローラから見たら昼威先生は、愛しの藍円寺さんとのひとときを邪魔する小姑といったところなんだろうなぁ。

「感謝します。が、我々がここに来たことは内密に願えますか? 夏瑪教授に」

 その時、六条さんが丁寧な口調で言った。

「んー、俺は藍円寺と過ごすのに忙しいからな。藍円寺以外と今話をする余裕は無い。砂鳥は例外だ。そろそろ火朽も帰ってくるだろうが、こいつらは夏瑪をほぼ知らん」

 するとローラは、やはり投げやりに答えた。
 ――こうして、昼威先生達二人は帰っていった。

 藍円寺さんは、扉の前まで見送ると、心底ホッとしたように肩を落としたのだった。