【21】安全な妖



 こうして、クリスマスは終わってしまった。藍円寺さんの暫定的なお部屋は、無事にローラの研究室がある三階の一角に完成したらしい。僕は、昨日からずっとカフェスペースにいるので、まだ実際には見ていないんだけど、場所は前にローラが藍円寺さんを閉じ込めていた部屋だから、内装も同じだろう。

 ローラは、今度はB級ホラーのような黒い靄は漂わせないらしい。玲瓏院結界で振り払われた一部という事にしてあるようだった。確かにね、結界の効果が無いとバレちゃうもんね、と、思いつつ、ローラが半ば本気で藍円寺さんと暮らしたいらしいというのを、僕は察知していた。そのため、藍円寺さんが過ごしやすく、怖くない家作りを目指すらしい。……僕と火朽さんは、どこに行けばいいんだろう? ローラがお寺に住む方が、まだイメージがわく。僕が一人暮らしをするなんていう展開よりは。

 こうして、二十六日の朝の四時を迎えようとしていた頃だった。
 店の扉が静かに開いた。

「え、っと……今は――しばらくは、閉店する事になっているんですけど……」

 入ってきたのは、北斗さんだった。黒いマフラーを解きながら、こちらを笑顔で見ている。

「そうなのか。明かりがついていたから、営業中なのかと勘違いした」
「看板、もっと見えやすく変えておきます」

 ――彼は、怪しい公務員であり、先日僕に、夏瑪先生について聞きに来た人物だ。昨日は、六条彼方さんの口からも名前が出た。とすると……僕達を除霊に来たのだろうか? 最初に考えたのはそれだったが、無意識とは怖いもので、僕はメニューを差し出していた。

「お、飲んでいっても良いのか?」
「あ、はい……」

 メニューを広げてから、僕は自分が席に促していた事に気がついた。何やってるんだろうなぁ。だけど、悪い人には思えないんだよね。そう考えていると、ソファ席に座った北斗さんが、傍らにマフラーを置きながら、僕を改めてみた。

「この前の珈琲は、三番目だっけ?」
「そうです」
「それを」
「お持ちしますね」

 こうして僕は、注文を取り付けた。藍円寺さんは寝ているとしても、ローラも降りてこないから――危険は無いのだと思う。居住スペース側を確認した限り、すやすや寝ている藍円寺さんを、ローラは腕枕しているだけだ(透視)。まさか藍円寺さんを起こさないために、危険人物を無視するという事もないだろう。

「どうぞ」

 小さなクッキーを添えて、僕は珈琲をテーブルに置いた。すると北斗さんが、細く長く息を吐き、再び笑顔で僕を見た。

「良かったなぁ」
「え?」
「『絢樫Cafeのメンバーは、驚異的な力を保持している存在だが、あの藍円寺享夜が直接見張っている上に、心霊協会の仕事を引き受けた実績もあるため、討伐対象とはみなさない』――新南津市の心霊協会役員会議で決まったそうだぞ」

 それを聞いて、僕は目を見開いた。

「『あの藍円寺さんが、仲間であるけど、念には念を入れて見張っているなんて!』と、俺はここに来るまでの道中で、五十回は聞いた」
「そうだったんですか……」

 ローラは単純に藍円寺さんが心配だから除霊のバイトを手伝っていただけだし、藍円寺さんがここにいるのは、みんなにお祓いされないためだけど――と、考えてから、思わず僕は、唇を手で覆った。

「うん。お前の心を俺は読めるんだ。なるほどな。彼方の調査通り、デキてんのかぁ」
「僕は言ってないけど、読まれちゃったら、言ったのと同じですね……」
「安心してくれ。俺も、お前らが危険じゃないかだけの最終確認で来ただけだし、この国の、俺が所属する庶務零課としては、ブラックベリー博士とは、ぜひ協力関係になりたいと願っている」

 それを聞いて、僕はふと思い出した。

「夏瑪先生は、どうなったんですか?」
「――オロール卿はなぁ、過去の罪も、今回の玲瓏院縲に対する罪状も、酷い、が……過去に関しては一切証拠を残していないし、今回はなぁ、おそらく刻印の関係だが、玲瓏院家が被害届を出さないとしているから、監視付きの無罪となるとは思う。どのみち、結界がある限り、奴は出られなくなったしな」
「僕は、外に出られるんですか?」

 以前ローラに聞いた事を問うと、カップを手にしながら、北斗さんが喉で笑った。

「俺の心を、今も読めるか?」
「え?」

 ――太古の昔から、日本全土に存在する種族、大地そのもの、境のない神の名もまた、八百万に数えられてはいるが――……。

「読めなくはないんですけど、難しくてあんまり読む気がしないというか」
「覚という妖は、妖怪の中のサイコメトリストだと話しただろう? お前の場合は、その関係で、出られる」
「ふぅん。でも、僕より夏瑪先生のほうが、明らかに強そうなのに……」
「その強弱は、人間に対しての脅威だろう?」
「まぁ」
「台風と熊の違いに近いな」
「へ?」

 僕には、北斗さんの言いたい事はよく分からなかった。

「それはそうと、それでも念のため、絢樫Cafeの外にも心霊協会の人間はいる――というよりは、『安全な妖』であるお前らと、藍円寺享夜がいるこの店を基点に、ほかの残った凶悪な妖を排除するためのブースが設置されているんだ。新南津市には、何箇所かある」
「はぁ」
「スーパー魚河岸の第三駐車場が近くにあって、そこに設営しているんだ」
「確かに人間がいっぱいいるテントが近くにありますね」
「だろう? ただ、この大雪だ。下手に建造物に設営すると急襲される可能性があるから外に作ってはいるが――寒いみたいでなぁ。良かったら、珈琲でも差し入れしてやってくれ。お代は俺が置いていくからさぁ」

 北斗さんはそう言うと、分厚い封筒をテーブルの上に載せた。それを見て、僕は慌てた。

「いくら沢山人がいて、何回か配るとしたって、こんなにお金はかかりません!」
「――建前だ。この金を収めて、今後も大人しくしていて欲しいという国からの代理だよ」
「え」
「あの気難しいブラックベリー博士に直接頼んでも、良い未来は想定できない。だからお前に頼んでる。砂鳥だけが、頼みの綱なんだ」
「ローラが気難しい……? なにか僕と違う世界を見ていませんか?」

 思わずそう言うと、北斗さんが吹き出した。

「じゃあな。また来る」

 珈琲を飲み終え、北斗さんがマフラーを再び手にとった。そうして立ち上がり外へと出て行く彼を、僕は扉まで見送る。しんしんと雪が降る闇夜を、北斗さんは歩いて行った。