【22】朝



「うあ、寒いな」
「もう結界でほとんど消えてるし、俺たちいる意味!」

 朝になって、僕が第三駐車場へと向かうと、心霊協会の人々が手袋をはめた手をこすり合わせていた。

「あ、あの……珈琲をお持ちしたので、よろしければ!」

 おずおずと僕が声をかけると――皆が一斉にこちらを見た。

「「「「「「!」」」」」
「……そ、その……北斗さんに言われて、差し入れを――」

 僕が言いかけたとき、急にその場に声があふれた。

「神!」
「神様だ!」
「うわああああったまるうううう!」
「俺絢樫Cafeの飲み物大好き!」
「砂鳥くんだよね、おはようございます!」
「おはよう、マスター!」

 トレーに乗せていた紙コップを、口々に何か言いながら、人々が手に取っていく。見れば、何人かは常連さん的にCafeに来てくれていた人もいた。大きな歓声に、僕のほうがうろたえてしまう。

 すぐに珈琲はなくなってしまったので、僕は簡易サーバーと紙コップを近くに設置した。これでいつでも飲めるはずだ。

 僕は決して人間が好きというわけではないが、思った以上に好意的な人々を見ていたら、拍子抜けした。それに、喜ばれると嬉しい。こうして配り終えて、僕は絢樫Cafeに引き返す事にした。

 ――すると。

「!」

 歩いていたら、角から手が伸びてきて、グイと手首を掴まれた。狼狽えて視線を向ける。気配など一切なかった。ゾクリとして顔を向けると――そこには、死神の紫信さんが立っていた。

「わ……びっくりした」
「今、その先にはいかないほうがいい」
「え?」

 絢樫Cafeまでは、目と鼻の先だ。あと一本角を曲がれば帰り着く。そう思いながら、ひんやりとした手に視線を下ろすと、紫信さんが首を振った。

「銀の銃弾の気配がする」
「え?」
「どんな魔であっても、当たれば負傷する」
「え、え!? それって、ローラもですか? 誰が一体そんな――寧ろ、一刻も早く帰らないと!」
「……ダメだ。今は、行ってはダメだ」

 しかし紫信さんは、僕の手をグッと引くと、指先に力を込めた。僕はおどおどしながら紫信さんと店の方向を交互に見る。それから少しすると――ダンと音がした。正確には、音ではない。音のように感じる衝撃波のようなものを、僕は感知したのだ。方角は、幸い絢樫Cafeからは離れている、バス停の方らしかった。

「もう大丈夫だ」
「……今のは?」
「――俺が今から迎えに行く相手だ」
「え……」

 それを聞いて薄ら寒くなったが、僕から手を離すと、紫信さんが帽子をかぶり直した。

「砂鳥には、平穏でいてほしい」

 その言葉が響き終わるのとほぼ同時に、紫信さんの姿が消えてしまった。残された僕は、とりあえず、店へと急ぐ事にした。すると、店の前に、火朽さんが立っていた。

「おや、砂鳥くん」
「あ、おかえりなさい」
「――嫌な予感とは当たるものですね。せっかくのクリスマスが台無しになるところでした」

 僕はそれを耳にして、小さく首を傾げた。

「台無しにはならなかったんですか?」
「ええ。しっかり紬くんの所に、イブの内に向かって、今日まで一緒に過ごしてきましたよ。ホテルは駅前に取り直しました」
「そうだったんですね。戻ってくるのに時間がかかっているのかと思ってました」
「あってないようなものですし、僕達にとっては」

 火朽さんはそう言うと、悠然とした笑みを浮かべた。心なしかその瞳が煌めいている。

「ただ、紬くんも困っていますし、夏瑪先生は何やらしでかしてくれたようなので、しばらくは注意した方が良いでしょうね」

 そんなやりとりをしながら、僕達はCafeの中へと入った。するとローラが一人でカウンターに座っていた。

「あれ? 藍円寺さんは?」
「ん? まあ、ほら、寝覚めに愛を確かめあったから? な? うん。寝てる」

 僕は咽せそうになった。火朽さんには、気にした様子はない。

「僕も、もっと確かめ合ってきたいのですが、紬くんは多忙なようなので、ローラが今だけは羨ましいです」
「お前を羨ましがらせられるようになるなんて、いやぁ、俺の愛も進歩したな!」

 その後僕達は、そのままCafeスペースで朝食をとる事にした。珍しくローラが用意しておいてくれたのだ(藍円寺さんに出すものの、残りと試食品らしい。ローラは胃袋でも藍円寺さんを掴む予定でいるようだった)。

 美味しいレタスと玉ねぎのサラダにフォークを刺しながら、僕は二人を交互に見る。
 そうしていたら、紫信さんの言葉を思い出した。

「ねぇ、そういえばさ、近くで銀の銃弾というのが、使われたの?」

 僕の言葉に、火朽さんが驚いたような顔をして、こちらを見た。一方のローラは、興味がなさそうにしている。ローラは茹でたソーセージにフォークを刺してから、退屈そうな顔をしている。

「夏瑪に発砲した人間が、弾き返されて自爆してたな。あれは死んだかもなぁ」
「っ」
「自業自得だ。夏瑪は弾き返しただけで、そのまま逃げたっぽかったしな。ただ、死ぬはずの人間じゃなさそうだったから、死神がどうせ手助けに入って、命を繋ぐだろ」
「死神って、命を奪うんじゃないの?」
「いや、余命が来てない場合、ただしく一生を終えるように介入するはずだ」

 僕は、紫信さんが迎えに行くというのは――助けに行くという意味だったのかと考えて、気づいたらホッとしていた。誰かが死ぬっていうのは、あんまり快いことでもないしね。

「ローラ、夏瑪先生は、人間と交戦するおつもりだと思いますか?」
「いいや。だったら今頃、この新南津市は血みどろだ。単純に、この都市から出られないと困るというだけだろうな。あいつはだいぶ丸くなったぞ」
「ですが、紬くんのお父様に刻印したと伺いました。玲瓏院家は大騒ぎです――それを知る者は。と、言っても、紬くんもまだ知らないようで、送り届けたときに、僕がそれとなく探りを入れてみただけですが」

 火朽さんの声に、ローラはソーセージを噛んでから、小さく頷いた。

「この結界、面白いから解析したんだけどなぁ、玲瓏院の特別な許しがあれば、外に出る事が可能になる、裏技というか穴がある。一部解除だ。夏瑪の狙いはそれだろうな」
「なるほど」

 そんなやりとりをしながら、僕らは朝食を終えた。