【23】銃(※)



 その後、十一時手前になって、藍円寺さんが起きてきた。ローラが用意したらしいパジャマがわりのガウンを着たままだった。なのに手には錫杖を持っているから、なんだか不思議な印象を受ける。

「おはようございます」

 僕が声をかけると、藍円寺さんが目を丸くして頷いた。火朽さんは僕の隣で新聞を広げている。ローラは、藍円寺さんのための席に、キラキラ光るような朝食を並べ始めた。僕と火朽さんに出した時よりも、一層美味しそうである。

「おはよう」
「もう昼に近いですが、おはようございます。藍円寺さん」

 そこへ火朽さんが顔を上げて声をかけた。見れば、言葉とは裏腹に、非常に柔和で人当たりが良さそうな笑みが浮かんでいる。作り笑いだと僕にはすぐに分かった。火朽さんは、誰かと波風を立てるような行動は、基本的にしない。

「あ、ああ……」

 これまでの間にも、ローラと藍円寺さんは、紬くんと火朽さんの二人を交えて四人で話をしている姿は見た。僕のお茶の試飲をしてもらったからだ。しかし紬くんがこの場にいないというのは、なんとなく新鮮だ。

「俺、無力だから、藍円寺のためにできる、料理とかそういう小さい事を精一杯頑張るからな!」

 そこへローラが声をかけた。すると火朽さんの笑みが、心なしか引きつった。どうやら、ローラの無力なふり計画に気づいたらしい。

「心配はいらない、ローラ。俺が守るから」

 藍円寺さんが座りながら言った。僕はそれを聞きながら、もう僕達は討伐対象からはずれたらしいと聞いた話を、するべきか悩んだ。それを話したら、藍円寺さんの不安は消えるだろうけれど、ローラの計画も崩れ去ってしまう。

「――藍円寺さんがいてくださるのなら、安心ですね」

 火朽さんは、ローラの演技に協力する事に決めたようだった。僕はそれを聞いて、黙っていようと内心で誓う。藍円寺さんには申し訳ないが……お店もお休みだし、暇なんだから仕方がない。

「ああ、安心してくれ。絶対に危害を加えさせたりはしない」

 藍円寺さんが断言した。決意が見て取れるし、表情も自信たっぷりだ――が、内心ではやっぱり怯えている。自分にそれができるのかと、不安でいっぱいらしい。いい人だなぁ。

 朝食を終えると、藍円寺さんは着替えに行った。そして自動お経再生装置などを身につけて、戻ってきた姿は、それこそThe僧侶という勇ましさがあった。

 そこからは、四人でお茶を飲む事にした。
 僕は藍円寺さんには、甘い甘いミルクショコラを出して、ローラにはレモンティ、火朽さんにはミルクティ、自分には珈琲を用意した。本当は藍円寺さんがいなければ、全員珈琲だったようにも思うが、それだと藍円寺さんだけ甘いものだと目立ってしまうので、気を使ったのである。火朽さんはミルクティを見て、笑うのをこらえている様子だった。

 そんな絢樫Cafeの扉が開いたのは、十六時過ぎの事だった。既に周囲は暗い。

「享夜!」

 入ってきたのは――初めて見る人物だったが、斗望くんによく似た顔をしていたので、直ぐにピンときた。

「朝儀……それに、縲さんも――っ、無事だったのか!」

 藍円寺さんが立ち上がった。ローラと火朽さんは、何気ない様子で、入ってきたふたりに視線を向けている。僕は鍵を閉め忘れていた事を思い出した。看板だけクローズに変えても意味がないではないか。

「刻印の事で話があるんだよ!」

 朝儀さんはそう言うと、黒光りがしている拳銃を取り出した。え。あまりにも自然な仕草で、僕は唖然としてしまった。その隣では、荒い息を吐きながら、縲さんもまた銃を構えている。しかしこちらは、真っ直ぐにローラへと銃口を向けている。

 僕はそれとなくカウンターの奥へと退避する決意をした。歩いていると、火朽さんは静かに立ち上がると、僕の左側に来た。僕と火朽さんは、彼らの攻撃対象ではなさそうだったが、自発的に避難する事に決めたのである。しかし僕らよりも、藍円寺さんに、それも実の弟に銃口を向けるって、すごいなぁ。

「ローラ、下がってくれ。二人共、ローラは決して危険な存在じゃ……というか、銃刀法はどうした?」
「享夜、あのね、縲が刻印されちゃったんだけど、熱のせいで体が上手く制御できないらしいから――回答によっては、うっかり発砲しちゃうかもしれないけど、それはそれとして、どうにかする方法を知らないか、ローラという吸血鬼と、刻印経験者の享夜に話を早急に聞きたいんだよ」

 朝儀さんが話す隣で、苦しそうに縲さんが吐息している。この人は、紬くんのお父さんのようだ。大学生の子供がいるにしては、若いなぁ。昼威先生と変わらない歳に見える。

「朝儀、っ、悠長に聞いている時間なんか……ッ、ッ」
「縲、大丈夫?」
「大丈夫じゃないから、今ここに来ているんだよ」

 そんな二人を見て、藍円寺さんが錫杖を握り締めた。

「刻印……」

 それからローラをちらりと見た。

「ローラ、何か、縲さんを楽にする方法を知らないか?」

 非常に小声で、藍円寺さんが聞いた。根が優しい。するとローラは、怯えたように藍円寺さんの背後に隠れながら答えた。

「刻印されたら、その相手と体を繋ぐしか、楽になる方法は無い」
「――そうしたら、縲はエクソシストだから、力が使えなくなっちゃうんだよ」

 朝儀さんが言うと、ローラが猫のような瞳を瞬かせた。

「いいや。エクソシストの場合であっても、愛が伴うSEXであれば、力は失われない」

 それを聞くと、縲さんが険しい顔になった。

「愛せるはずがないだろう!? オロール卿は俺の敵だ。彼さえいなければ、紗衣だって――」

 そこまで言いかけて、縲さんは唇を噛んで俯いた。誰かと思ったら、亡くなった奥さんの事を思い出しているらしかった。縲さんからは、とにかく強く、夏瑪先生への憎悪が伝わって来る。そんなに嫌いなのか……すごいな。と、思ったけれど、好きと嫌いは紙一重的な見解から言うと、凄すぎる執着心がそこにはある気がした。

「とにかく、他の方法を」

 縲さんは顔を上げると、真っ直ぐに銃を向けた。今度は、藍円寺さんごとローラをぶち抜く覚悟をしているらしい。朝儀さんの方は、若干本気で撃つつもりではない様子があったが、こちらは本気に思える。

「俺と藍円寺を殺っても何も解決しないだろう? ただ、親切心から教えるならば、夏瑪を殺れば、もうそれこそ、熱から逃れる術は消える。迂闊に動かない方がいい」

 静かな声でローラが言った。刺激しないためだと思う。だが、縲さんは険しい顔で、ローラを睨みつけた。そして引き金に指を掛ける。さすがにまずいと思ったのか、ローラが藍円寺さんを庇うように前へと出る。

「何も知らないのなら、用はないよ」
「縲!」
「っ」

 そのまま、縲さんが引き金を引いた。え。あまりにもあっさりと撃ったものだから、僕はポカンとした。朝儀さんが止める声と、藍円寺さんが息を呑む気配の間で、銃声が谺する。僕には非常に緩慢に、銀色の銃弾が放たれたように見えた。

 ローラは面倒くさそうな顔をしている。避けるなんて容易いという気持ちが、僕の方に伝わって来る。

 その時だった。

「ローラ!」

 藍円寺さんが前に出た。それはそうだよね、好きな相手を守ると言ってここに来ていて、撃たれそうになっていたら、飛び出しもしちゃうよね……。

「藍円寺……っ、馬鹿!」

 慌てたようにローラが藍円寺さんの腕を掴む。
 だが――……一拍遅かった。藍円寺さんの左肩を、銀の銃弾が掠めたのだ。ローラが動揺している。そこへ、二発目の銃声が響いた。

「っ」

 一切の動揺を見せず、縲さんが二発目を放ったのである。ローラが焦るように顔を上げた瞬間、今度は藍円寺さんがローラを庇うように抱きしめた。

 ――誰かに庇われた事なんて無い。初めてだ、と、ローラから強い感情が伝わって来る。僕は動けないままで、正面を見ていた。

 すると、カランと音がして、銃弾が床に落下した。ギュッと目を閉じていた藍円寺さんが目を開く。ローラが、銃弾をその場に構築した妖力で弾き落とした所だった。

「馬鹿、藍円寺、この馬鹿、お前、腕、大丈夫か!? なんで俺を庇ったりした!? 危ないだろうが!!」
「ローラは俺が守ると決めた……っ、く」

 そのまま、藍円寺さんが膝をついた。本当にちょこっとだけ掠った程度であるようだが、血が出ている。

「力がないローラを守れるのは――」
「ああ、もう、ああああ、藍円寺、お前は純粋すぎる!」

 ローラがそう言いながら、指を鳴らして妖怪薬と人間の医薬品をその場に出現させた。そして涙ぐみながら、藍円寺さんの止血を始めた。僕は、朝儀さんと縲さんの方を見る。縲さんは――妖力を叩きつけられて気絶してしまっていた。危険人物だ……けど、彼らは彼らで切羽詰まっていたのだろうし、何とも言えない気分になる。

「享夜、大丈夫そうだけど、一応聞くけど、大丈夫?」

 朝儀さんの方は、銃を下ろすと、一歩前に出た。こちらは、兄として心配しているらしい。しかし藍円寺さんは頷いた直後、ストンと眠りに落ちた。薔薇香の匂いがする。痛み止めにローラが使ったのだろう。

「藍円寺は俺が手当てをするから大丈夫だ。そこのそいつを連れて、さっさと帰れ」

 ローラが朝儀さんを睨みつけた。すると朝儀さんが複雑そうな顔をした。

「俺としては、弟をきちんと守れない吸血鬼のところに置いておくのは不安なんだけど。今の縲の一撃目は、わざと逸らしていたのに、享夜がいきなり飛び出したからとはいえ、冷静に行動していれば、そちらも叩き落とせたんじゃ?」

 冷静なその言葉を聞き、確かになぁと僕は思った。するとローラが俯いた。

「誰かに守られる日が来るとは思ってなかったんだよ。まさか、飛び出すなんて……藍円寺は、本当に俺を守ってくれるつもりだったんだな……馬鹿だよ」 

 ……ローラ、よっぽど動揺していたみたいだ。というより、今もしている。自分のせいで藍円寺さんを失っていたらという恐怖に駆られているみたいだ。こんな事になるなら、力がないフリなどするべきではなかったと強く後悔をしているのが伝わって来る。

「――その顔を見たら、ちょっと安心した。享夜のこと、よろしくお願いします」

 こうして、朝儀さんは気絶している縲さんを抱き起こすと、引きずるように持ち上げて、店から出ていった。