【24】大晦日
その後、ローラが本格的に手当をすると言って藍円寺さんを連れて研究室の方へと向かったので、僕と火朽さんはカフェスペースのソファでもう少し休むことにした。僕はその前に、お店に鍵をかけた。人間相手には効果があるだろう。
「しかし、良かったです」
火朽さんの言葉に、僕は首を傾げた。
「何がですか?」
「僕が撃たれなくて。てっきり、紬くんを誑かしているとして、僕もまた撃たれるかとばかり。縲さんには、危険視されていないと分かったように思います。無論、それどころではなかったのかもしれませんが」
それを聞いて、僕は小さく頷いた。確かに、何度か玲瓏院家に遊びに行っている火朽さんは、面識だってあったはずだ。
「しかし夏瑪先生もやる事が際どいですね」
「夏瑪先生が刻印ですか……ローラと藍円寺さんとは、やっぱり全然違うっていうか……夏瑪先生って吸血鬼らしい吸血鬼みたいですね」
僕が感想を述べると、火朽さんが苦笑した。
その日の夜からは、ローラは藍円寺さんのお部屋につきっきりでいるようになってしまい、僕はしばらくの間、ローラを見なかった。火朽さんも、日中は紬くんに会いにいくといって出かけるようになってしまったので、僕の仕事はといえば、日に何度か第三駐車場に行って、飲むものやクッキーなどを振舞うことのみとなった。
これが、ちょっと楽しかった。意外と、心霊協会の人々は気さくだ。なんと、年越しそばだとして、僕に箱に入ったそばまでくれた。
こうして、十二月三一日を迎えた。
本日は、大晦日だ。朝、大掃除をすることにした僕は、カフェスペース中をピカピカにすることに決めた。カフェをやるようになってから、僕の掃除の腕前も、少しだけ向上したと思う。掃除に関しては、火朽さんがやる以外は、ローラが家全体に、清潔に保つ不思議な結界を構築してくれていたから、僕はこれまでの間は、ほとんどやったことが無かったのである。掃除の仕方は、掃除の本を読んで覚えた。
「ふぅ」
大方の掃除を終えた頃には、夕方になっていた。満足して清掃用具を片付けて椅子に座った時、店の扉をノックする音が響いてきた。あ、鍵を閉めていたんだった。そう思い出して僕は、扉の前まで向かう。そして念のため、危ない人間ではないか確認しようと、窓を見た。
「あ」
そこに立っていた水咲の姿を見て、僕はすぐに扉を開けた。
「水咲」
「今年は世話になったな。一言挨拶がしたくなったんだ。閉店中か?」
「閉店中だけど、大掃除も終わったし、良かったら入って」
なんだか、随分と久しぶりに会う気がした。久方ぶりに水咲の顔を見たら、不思議と日常が戻ってきたような気分になり、肩から力が抜けてしまった。
「ありがとう」
中へ入ってきた水咲に、僕は注文を聞く前に、緑茶を差し出した。水咲も満足そうにそれを受け取る。もう水咲の好みは、大体僕には分かる。本当はここに、和菓子があれば最高だったんだと思うけれど、店がお休みなので、残念ながら搬入してある品は無い。
「砂鳥も座ったらどうだ?」
「え?」
「今は、営業中では無いのだろう? 俺は一度、お前と茶を飲んでみたかったんだ。同じ席で」
それを聞いて、僕は小さく吹き出してから、自分用にも緑茶を淹れて、水咲の正面に座った。中央には、チョコレートの盛り合わせを置く。
「僕こそお世話になりました」
「来年もよろしくな」
「こちらこそ」
「――藍円寺享夜の具合はどうなんだ?」
すると水咲が声を潜めた。それを聞いて、僕はカップを置いてから腕を組む。
「かすり傷で、もう傷自体も妖怪薬で消えてるんだけど、ローラが心配しちゃってさ」
「なんでも藍円寺昼威も過度に心配しそうだから、耳には入れないことにしたと、御遼侑眞と藍円寺朝儀が連絡を取り合っていた」
なんだか想像がつく気がして、僕は曖昧に笑った。
「俺としては、砂鳥が無事で、本当に良かった」
「ありがとう、水咲」
「その一点では、夏瑪夜明という吸血鬼に感謝しなければならないな」
「え?」
どういう意味だろうかと首を傾げると、水咲がお茶を飲んでから続けた。
「役員会議に出ていたのが玲瓏院縲だったならば、この店も討伐対象に入っていた可能性が非常に高い。顔を出したのが、玲瓏院の先々代のご隠居だったから、難を逃れたといえる。玲瓏院がそれどころではなかったという事だ」
そうだったんだ。知らなかったから、純粋に驚いて、僕は頷くにとどめた。
「もう、人間達のしてまわってる討伐って落ち着いたの?」
「ああ。年内に片付いたと言って構わないだろうな。侑眞も今日や明日は例年通りに近い過ごし方をするようだ」
「初詣の準備?」
「いいや、寝正月だ。御遼神社の毎年の決まりだ。ただし今年は、藍円寺昼威を招いている」
そうなんだと頷きながら、僕はお茶を飲んだ。たまに飲むと、緑茶も美味しい。もっと種類を揃えようかなぁ。
「俺も、妖の神詣があるから、暫くは落ち着ける」
「妖の神詣?」
「ああ。この土地では、弱い魔が強い魔に新年の挨拶周りをする風習があるんだ」
「水咲は詣でられる側?」
「一応な。ただ、対応は、他の妖狐がするから、俺は休んでいられる」
「さすがは将軍様だね」
僕の言葉に、小さく水咲が笑った。
「本来であれば、愛しい相手と並んで応対するものだが、俺は縁を繋いでいる相手がいないからな。繋ぎたい相手は目の前にいるが」
「来年もそうやって僕を口説き落とそうとするの?」
「出来れば今年中に口説き落としたい」
「あと数時間しかないけど」
「新年にお前の顔が隣にあったら、幸せだろうなとなんとなく思っただけだ。気にしないでくれ」
そんなやりとりをした。そういえば、火朽さんは泊まりがけで、紬くんと共に、年越しそばからの初詣に出かけると話していたように思う。ローラは、藍円寺さんのそばを離れないだろう。僕はここに来て、再び寂しい独り身である事を思い出した。
「……水咲ってさ、一体どれくらいの相手に、そう言う事を言ってるの?」
「どういう意味だ?」
「口説いてからかうのって、楽しい?」
「別段からかってはいないぞ。ただ、砂鳥と話すのは楽しい」
「もし僕が真に受けたらどうするの?」
「喜ぶ」
まったく、話にならない。そこで僕は、年越しそばの存在を思い出した。
「ねぇ、暇なんでしょう?」
「挨拶回りの最後に、この店を選んだのは、このあとを暇にするためだな」
「年越しそば、貰ったんだけど、食べていく?」
「良いのか?」
こうして、僕達は一緒にそばを食べる事にした。