【3】特別班



 ――結局その日、俺は生まれたという『我が子ら』を、見に行かなかった。理由は簡単だ。エントランスへと向かう途中で、危険な怪異が現れたという一報が入ったからである。そもそも俺は、オロール卿の搜索のために、仏政府より派遣された。よって、それ以外の――吸血鬼以外の怪異への対処は、あくまでも『協力』していただけである。

 この時、見出された怪異は――日本という国では珍しい、まさに、吸血鬼による犯行としか思えないと、惨殺遺体から推測されたものだった。

 連絡を受けて、俺はすぐに現場へと向かった。一緒にいたからなのか、紗衣もついてきた。この時の俺は、彼女の存在を鬱陶しいと思っていたが、同時に『便利』だとも感じてはいただろう。

「うわぁ」

 現場に着くと、彼女が笑顔のままで、そう口にした。平坦な声音だった。
 俺達の目の前には、バラバラになった女性の惨殺体が転がっていた。

 入口の正面に、生首が鎮座していた。左の眼窩から、眼球が垂れている。視神経が見て取れた。右目は潰れていて、濁った血が穴からこぼれ落ちていた。鼻は、無い。ベーコンのように、削ぎ落とされているようだった。

 その少し後ろに、胴体が転がっていた。他は、指、手首、肘、肩で、切断されたらしく、様々な肉片が散らばっている。それらを目視した時、血腥さを嗅覚が訴えた。ポケットから、半透明の手袋と、白いマスクを俺は取り出した。

「完全に、喰い殺されてるね」

 場違いなほど、明るい紗衣の声が谺する。俺はそれを聞いて、目を細めた。

「まずは、死者に祈りを――」
「案外、ルイくんってロマンティストなんだね」
「っ」
「肉片に祈っても、何も良い変化は生まれないよ」

 朗らかに笑いながら、紗衣は手袋をはめていた。彼女と、怪異が起こした事件の現場に来るのは、思えばこの時が初めてだった。遠巻きに、同じ場所にいた事はある。だが、二人きりに等しい状況化で、こうして同じ事件に立ち会ったのは、初めてだったのだ。

 俺は、この時になって初めて、彼女という『個』を意識した。

 緩く肩のあたりで巻いた、色素の薄い髪。少し垂れている大きな黒い瞳。長いまつげ。豊満な胸元を見て、それから予想以上に華奢なくびれに気づいた。背丈はそう変わらないが、彼女の方が、ずっと俺よりも、柔らかく見える。

「ただ、吸血鬼の晩餐にしては、下品だね」
「――こういった、衝動的な遺体の損壊をするのは、成り果てたばかりの吸血鬼が多い。衝動的な犯行だね」
「そうなんだ? だとすると――この事件の犯人を噛んだ、より強い吸血鬼がいるという事になるのかな?」
「恐らくは、ね。そしてその存在は、後任指導をするような、善良な吸血鬼ではなかったんだと判断するよ」

 俺が答えると、彼女は腕を組んだ。その上に、豊かな胸が乗る。スーツ姿の彼女の、シャツのボタンが僕は気になった。漠然と、弾け飛びそうだなんて思ったのだ。

「ルイくん?」
「――オロール卿の関連事件だと考えていたんだ」

 自分の思考を誤魔化すように、俺はそう告げていた。その際初めて、俺は、彼女の柔らかさを認識するだけで動揺する自分に気がついた。甘い香りと柔らかさが、すぐそばにあるだけで、胸が騒ぎ立てる。しかし、いつもは僕にちょっかいを出す彼女は、事件の前では真剣だった。

「仏の専門家がそういうんだもんねぇ。それに今、この国で確認できている吸血鬼は、数少ないからぁ……その中で、簡単に吸血鬼を増やしそうなのも、一人だけだし。オロール卿かぁ」

 彼女はそう言うと、勢いよく俺に振り返り、ポンと俺の肩を叩いた。

「相手にとって、不足なし!」
「――え?」
「ルイくんが追いかけてきた、『敵』だもんね。もっと、専門的なチームを作ってもらおうよ!」

 俺は、最初、その言葉の意味がわからなかった。



 ――招集がかかったのは、その三日後の事だった。

 国際手配書『深緋』の、吸血鬼が日本にいる可能性が高いとして、特別班が編成される事になったのである。玲瓏院紗衣と、俺――だけでは無かった。他に三名いる。

「遅ぇな」

 ぼそっと、俺の前で呟いたのは、俺が入室した時には既に来ていた、兼貞北斗である。彼は、不機嫌そうに、組んだ足の靴底を机に当てていた。ただ……威厳は無い。なにせ、十四歳の俺が言うのもなんだが、彼は幼いのだ。手元の資料を見ると、十歳だと分かる。日本という国は、人手不足なのだろうか? そんな風に考えていると、ノックの音がした。

「遅れてすみません、夕凪望美です」

 入ってきたのは、艶やかな黒い髪を、一本に縛った、生真面目そうな女性だった。どこか凛としている、長身の女性である。手元の資料を見ると、十九歳だと分かった。線が細く、手足が長い。切れ長の瞳をしていて、女性ながらに、格好良いという印象を与えた。少し低い声も、色っぽい。俺が亜細亜人女性に理想を抱くとすれば、まさに彼女のような美は理想的だと思った。決して俺の理想は、紗衣のような柔らかさでは無い。

「あー、遅くなりましたー。遅刻で」

 続いて、一人の少年が入ってきた。視線を向けると、黒い猫毛をゆらしながら、つり目の人物が、口元だけに作り笑いを浮かべて、そこにいた。名乗るわけでもなかったが、手元の資料の写真で、すぐに名前が分かる。

 ――藍円寺朝儀、十七歳。

 俺は、この時は、ただ静かにその情報を脳裏に刻んだだけだった。まさかその後、長い付き合いになるなどとは、全く考えていなかったのである。

「……はぁ」

 それ以上に、俺には気になる事があった。この班の提案者であるにも関わらず、約束の時刻を大幅に過ぎても、紗衣が姿を現さない事である。

 紗衣が顔を出したのは、二時間後の事だった。

「ごっめーん! 本当、ごめん! 寝坊した」

 しかも、至極私的な理由だったものだから、俺は思わず投げやりに言った。

「帰っていい?」

 すると彼女は手を合わせて、首を振った。

「ダメ!」

 このようにして――俺達の、とある吸血鬼に対する特別班は始動したのである。