――俺たちがアベーユ&アーヘンバッハ社が所持する豪華客船クライノートに招待されたのは、春休みの事だった。

 両親もにこやかに送り出してくれた。
 もちろん、ただ遊びに行って来いという意味の微笑を浮かべられたわけではない。

 そこで主催されるパーティには、世界各国の大富豪や王侯貴族の子息子女が集まり、若年層の会合が開かれることになっていたのだ。招待されるだけで――むしろ乗船出来るだけでも、大変栄誉あることなのだという(もちろん主催者はアベーユ&アーヘンバッハ社だ)。

 出航地はオーストラリアだ。ブリスベン港から出発し、南太平洋を周回するのだという。

 今回参加することになったのは、俺と存沼、三葉くんと和泉、そして無論西園寺だ。
 エドさんとレイズ先生、それから楓さんも乗船すると聞いている。ただ和泉と楓さんはNYから直接行くそうだし、西園寺は家族と行くそうで、三葉くんはバレアレス諸島のイビサから来るそうだった。スペインからだ。カジノだろうな……。そこで日本からは、飛行機で俺と存沼が二人で成田から出かけることとなったのである。現地集合だ。

 雲の波を眺めながら、俺は思わず息を吐いた。
 存沼と付き合い始めて三ヶ月が経とうとしている。

 冬休みが終わってしばらくの間は、放課後を比較的自由に過ごしていたわけではあるが、二月に入ってすぐに習い事のスケジュールは元に戻った。

 その上、ここのところ月曜日になると、放課後俺が休みだと知っている弟が勉強を教えて欲しいと頼んでくるのだ(弟もその日は休みだ)。いつも朝、笑顔で頼まれるたびに俺は頷いてしまっている。弟は本当に可愛いのだ。子供の可愛さとは犯罪だ。それにしても俺と違って勉強が好きなんて、流石である。

 まぁそんなわけだから、存沼とは、放課後一時間ほどサロンで話をするくらいの生活に戻った。あまり付き合う前と変わらない関係に戻ったのだ。いや、付き合いが落ち着いたのだということにしておこう。

 そう思いながら、俺は存沼を一瞥した。

 弟に勉強を教える旨を話したとき、はじめは嫌そうな顔をされた。きっと口からも非難の声が上がるのだろうと思ったら、「応援している」と言われた。嬉しかったが、若干寂しさもあった。やはり存沼は大人になっていたのだと思う。もはや、弟に「嫁にやらない」なんて言ったりしないだろう。

 ちなみに存沼の方も最近は忙しそうなのだ。
 存沼は政治家になるといってはいたが、だからといって会社を継がないわけでもない。少なくとも、名前だけでも就任することになるはずだ。存沼のお父さんが健在なうちは名前だけにしろ、それでも自分の会社を、成人した頃にはひとつ任せられるらしい。その準備に追われているようなのだ。和泉も砂川院の持株会社のNY支店の代表取締役になると行っていたような気がする。俺は、まだ学生の身分ですので、といって全力で父の勧めを断り、会社は経営しないつもりである。

「どうかしたのか?」

 その時存沼が俺の視線に気付いて、顔を上げた。それまで熱心に読んでいた経営学の本らしき洋書を置き、じっと俺を見る。俺も最近では英会話は習得したと自負しているが、洋書の本など読む気にもならない。頑張ってハリー・ポッターだ。それも翻訳解説本を片手にな!

「楽しみだなと思って」

 実際それは本心でもある。どうせ存沼は、ニューカレドニアのラグーンでも見たいと思っているのだろうが、別段俺は世界遺産を楽しみにしているわけではない。純粋に、豪華客船が楽しみなのだ。前世だったら、『豪華客船で行く! 世界一周旅行!』なんて大金持ちの趣味だと思っていたのだが、現実は違った。言葉は悪いが、成金くらいの人々の趣味らしい。忙しない旅など大富豪はしないのだ。世界一周をする時間を使い、ゆったりと避暑地の別荘に行く確率のほうが圧倒的に高いのである。

「ラグーンか?」

 存沼が予想通りの言葉を口にした。確かに船は、ニューカレドニアにも行くのではあるが、いやだから本当に冒険家の夢を押し付けるのはやめろ! ただ強いて言うなら、ほかに言いたいことがある。

「マキ君との旅行がだよ」

 俺がそう言って笑うと、存沼が短く息を飲んだ。驚かせるのに成功した気分で、なんだか嬉しくなる。すると、ちょっと惚れ惚れとしてしまうような微笑が返ってきた。

「俺もずっと楽しみにしていたんだ」

 そんなこんなで、俺たちの旅は、始まったのである。