さて夜は、民族衣装を着てのパーティである。

 さすがは在沼、俺が心配する必要もなく、一人で着た。自分の分を着付けながら、気が重いなと思う。おそらくカダールと黄さんも来る。二度と顔を見たくないというのが素直な心境だ。そんなことを考えていると、正面から在沼に抱きしめられた。

「なにも心配するな。今度こそ俺がずっとそばについているから」
「ありがとうマキくん」

 その体温がどうしようもないほど優しすぎて、不覚にも俺は泣きそうになってしまった。
 俺は山の次に船が嫌いになってしまったけれど、在沼のことはうなぎのぼりに大好きになっていく。もっとずっとその腕の中にいたかった。だがもちろんそんなわけには行かない。

 早く済ませることを済ませて、在沼とともに平和な日本に帰るのだ!
 そう決意した俺は、久方ぶりに菩薩を召喚した。頑張って笑うことにしたのだ。

 するとなぜなのか、在沼の腕が硬直した。見とれてくれてだとかだったら嬉しいのだが――って、何を考えているんだ俺は……。

 会場は混雑していた。
 本当に様々な国の伝統衣装・民族衣装が集まっている。まぁこの人ごみの中では、あのふたりに会うこともないか。そんなことを考えていると、となりに和泉と三葉くんが歩み寄ってきた。やはり本当に良く似合っていると思う。西園寺には着物を着る気はないらしかった。既に料理を取りに回っているのが見える。本日は立食式だ。ここで俺は、数時間を乗り切ればいいのだ。そうしたらまたしばらく部屋にこもろう。うん、それがいいな。

 だがその時、勢いよく俺に走り寄ってきた人がいた。

「誉!!」

 見れば王子様だった。会いたくなかったのにな! 反射的に後ずさり、視線で逃げ道を俺はさがした。そうしている間に、勢いよく――なんとカダールが土下座した。え? 嘘だろ? なんで? あっけにとられていると、周囲が静まり返ったこともよくわかった。

「外交再開の口添えをして欲しくて。僕がしたことが原因なら謝ります」
「え?」

 何の話かわからずにいると、横に居た和泉が小さく息を飲んだ。

「そういえば今朝の新聞にそんなニュースあったな」
「非公式だけど、あの外交樹立に援助してるのって確か……」

 三葉くんが続けてから僕を見た。すると戻ってきた西園寺が苦笑した。

「そこの王子殿下の国と日本の国交――なんでもスポンサーだった大手製菓会社の会長が難色をしめして、頓挫しかかってるらしいな」
「高屋敷家は、政界にも顔が利くからね」

 一人三葉くんが頷き返した。そして事態がわかっていないのは、俺だけになった。要するに、どういうことだ? そこでようやく俺は、父に電話したことを思い出した。だけど、まさか、それだけで外交を取りやめ……? 父にはそんな力があったのか? そしていくら息子の頼みとは言え……え? 呆然とするしかないというやつである。

 そこへカツカツと音がして、チャイナ服すがたの黄さんが現れた。手には丸めた新聞紙を持っている。

「……よくやってくれたな。身元を調べなかったのがうかつだった」
「あ、あの……」
「撤退検討中ということは、まだ検討段階なんだろうな。すぐに撤退を諦めさせてくれ」
「え、えっと……?」

 隣で三葉が新聞を受け取り、開いた。

「高屋敷会長、黄さんの支配地だけ見事にピックアップして撤退地図作ってるね。それにほらこれ、この中華街のおばあさんって……」
「俺の祖母だ」
「昨日の今日で流石だな」

 西園寺はそう言うと、目の前で真っ青になっているふたりを一瞥した。
 僕は今更ながらにわが父の凄さを思い知ったのだった。

 ようするに、ほんとに呆然とするしかないのだが、俺が辛い目にあったから報復として世界規模で話題になる出来事をあっさりと高屋敷家は起こしたのである。めまいがしてきた。

 結局その日のパーティではひたすら王子に謝られ、黄さんにはつめよられ(たが、側にいた在沼が立場が分かっているのか? と言うたびに黙っていた)、俺は疲れた。世界各国の料理を楽しんでいる余裕などどこにもなかった。

 部屋に戻るとどっと疲れが出てきて、俺は着物のまま、ベッドに体を投げた。

 助かった、のか……?

 全身が重い。着物のせいじゃない。紛れもなく気疲れだ。
 しばらくぐったりしていると、在沼も部屋の中に入ってきた。

「高屋敷会長のおかげで、黄と俺の会社の話も白紙になった。助けられたな誉」
「……僕は何もしていないよ」

 うん。本当に。

「? そうなのか? 朝の暗黒微笑を見て、全てはお前の計画だと」
「暗黒微笑? なにそれ?」
「……いや、いい。なんでもない」

 視線をあからさまにそらしたあと、在沼がベッドの上に乗ってきた。
 何となくそう言う気分だったので、俺は自分から在沼に抱きついてみる。
 するとすぐに体に腕が回ってきた。
 それからしばしの間、無言で抱き合う。こんな体温の交換だけでも、確かに癒されていく気がした。その夜俺は、久しぶりに在沼と体を重ねた。在沼の熱が、心地よくて、今度は嬉しくて泣いてしまった俺がいる。 


 こうして――残りの船旅は、楽しんで終わったのだった。
 幸い沈没はしなかった。