【7】朱匂宮の若宮


 勢いよく目を覚まして起き上がった時東を見て、周囲が視線を向けた。

「ロードクロサイト議長! 良かったです」

 周囲が歓喜している前で、時東が周囲を見渡した。

「――ゼクスは?」
「兄上なら闇猫の業務に出ている。復活何よりだ」
「レクス伯爵、朱匂宮の方だ」
「副総長なら、華族敷地の匂宮本家だが?」
「っ」

 息を飲みながら時東はベッドから降りて、そして舌打ちした。
 先ほどのは、VR経由で割り込んできたのだと悟った。

「ちょっと行ってくる」
「待ってくれ。起きるのを待っていたんだ。生体兵器討伐の件だ」
「待てない。朱匂宮の貞操の危機なんだ」
「は?」

 レクスが怪訝そうな声をあげた時には、時東は走り出していた。
 急いで華族敷地への転移装置へと向かう。転移装置を使ったとしても、ここから三時間もかかる。ひどい焦燥感に襲われながら、時東は急いだ。


 その頃、匂宮本家で、ゼクスは投げやりな気分で座っていた。
 掛け布団をぎゅっと掴む。
 赤い豪奢な打掛を羽織っているゼクスは、実を言えば十分色気を持っている。
 幼少時のイメージが強いから、時東はそう感じないだけだろう。

「……」

 時東にはああは言ったが、実際にはゼクスには誰かと寝る予定はなかった。
 そんなことができるなら、とっくにやっている。
 根が小心者なのである。一番強気だと思われているが。
 VR接続システムを外して、ゼクスは再び横になった。右の手の甲をひたいに当てる。
 疲れた、気疲れだった。少し休もうと思って目を伏せた。



 時東が使用人達を無視して朱匂宮宅に入り、勢いよく目的の人物の部屋の扉を開けた時――その人物こと朱匂宮若宮は眠っていた。一人で、だ。最初はその事実に、時東はホッとした。続いてすぐに、不法侵入者(時東自身だ)がいるのに寝たままというのはおかしいと気づいた。

「おい、若宮様?」

 声をかけて見たが、ピクリとも動かない。歩み寄ってみると、氷のような美貌がそこにはあった。まるで死んでいるかのように思えて、時東は怖くなった。指先でゼクスの頬に触れたのは、ほぼ無意識のことである。――冷たかった。

「ゼクス……? おい、ゼクス!!」

 頬を叩き、それから首で脈をとりながら、時東は目を細めた。
 寝ているのではなかった。意識がない。ゼクスは寒いのか、体が震えていた。
 特異型PSY?Other過剰症の症状が出ているのだとすぐに気づいた。
 悪化したわけではなく、慢性的なものに近いから普段ゼクスはこの程度だと放っておく。
 だが時東には、まずそれが信じられない。

「ン……」

 その時、ゼクスがうっすらと目を開けた。時東は慌てて抱き起こした。
 そして意識を落としても安全なように、首に手際よく意識コントロールのための点滴の針を刺した。点滴台の展開は既に終わっていた。それがひと段落した所で、時東は改めてゼクスを見た。寝起きだからだろうがわずかに潤んでいる瞳は、気だるそうな空気を放っていた。少しだけ開いている唇が、どうしようもなく艶めかしい。こうして見ればゼクスは綺麗だと、時東も思った。しかし病人に手を出す気は起きない。おそらくそれが、いつも時東側を制止する。

「……目が覚めたのか?」
「俺のセリフだ。ゼクス様よ、さっさと医療院に行け」
「……お前は何でここにいるんだ? 時東こそ目が覚めたのなら、医療院で働いてくるべきだろう」
「!」

 その言葉に、時東は息を飲んだ。その通りだった。何となく衝動でここにきたが、自分の行動理由がいまいち分からない。硬直し、まじまじと腕の中のゼクスを見る。まだぼんやりしている様子だ。――キスをしたいと思った。だが、時東は顔を背けて冷たい顔で告げた。

「お前には関係ないだろう、俺の勤務スタイルがどうであれ。だが、目の前にいる病人に重要な見解を述べるのは、医師免許保持者の当然の行為だ。俺の発言は正しい」
「……」
「ここへ来たのは、お前が有言実行しているかの確認だ。口だけで何よりだ。もうくだらない事を言うな。いくら頑張ろうが、お前には色気なんか生まれない」
「……」
「というか、その……」

 ……これ以上は不要であるし、自分以外に見せる必要はない。
 そう言いかけて時東は言葉を止めた。押し倒してしまいそうになったから、手を離して立ち上がる。そして完全ロステク分煙機を稼働させてから煙草を銜えた。妙な苛立ちがあった。

 ゼクスはといえば、貧血で頭がぼんやりとしていたため、思わずぐさりと突き刺さった言葉に、静かに涙をこぼした。いつもならば堪えるのだが、気づくと頬が濡れていたのだ。

 煙を吐きながら振り返った時東は、それを見て固まった。
 尋常じゃなく悲しそうな顔で、静かにゼクスが涙を流していたからだ。
 急激に胸が痛んだものだから、時東は狼狽えた。言い過ぎた自覚があった。そして言うべきことは言えなかったと理解していた。

「……色気がないことについてそこまで悩んでいるんなら、俺が出してやっても良い」

 そんな訳がないと時東は分かっていた。だが、どうして良いのか分からず、思わずそう口走っていた。するとゼクスが息を飲んだ。どう言う意味かあまりよく分かっていなかった。

「だから……そのためにも早く良くなれ」

 時東はそう言って煙草を吸い込んだ。曖昧にゼクスが頷く。





 その頃、時東が急にいなくなったため、使徒オーウェン礼拝堂で、皆が時東の姿をPSY探索し、PSY融合モニターで見ていた。

「「「……」」」

 全員、時東と朱匂宮の姿を見ていた。二人とも焦っていたり体調不良で気づいた様子はない。レクスは、「貞操の危機」と聞いていたので、最初はヒヤヒヤしながら見ていた。

「……? 両思いだよな? 貞操の危機というのは、ロードクロサイト議長本人が加害者か?」

 レクスの声に、誰も何も答えられなかった。