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「時東、今、いい?」
「ん? おう、高砂、珍しいな」
医療院の自分の研究室で煙草を吸っていた時東のもとに、その日の午後、高砂祐介がやってきた。高砂は、医療院に隣接している最高学府の教授だ。専門はロストテクノロジー兵器である。橙色のインナーの上に白衣だ。時東はといえば、紺の術服の上に白衣だ。
二人が友人であることは、知っている者もいる。
しかし、二人がギルドを経由して知り合った友人だと知っているものはゼロに等しい。
高砂は――シルヴァニアライム闇枢機卿という名前で、闇司祭議会メンバーとしてギルドでは過ごしているのだ。時東にしろ高砂にしろ、医療院や最高学府、加えて天才機関の職員は、爵位を気にせず仕事ができるように、普段は簡略漢字名称を名乗っている。漢字というのは、ロストテクノロジーが通常だった古代の概念だと時東は聞いていた。
「うん。けど、なにせ今日だからね。今しかタイミングが無いと思って」
「今日? 何かあったか?」
「――……ゼクス様が帰ってくるんじゃなかったの?」
「誰だそれ」
「……レクス様の兄上の、ハーヴェスト侯爵家長子」
「ああ。ゼクスって言うのか。確かに今日って話だったな。けど、俺達は何も用意する必要がないってレクス様が直接言っていただろ」
「それはそうだけど」
高砂は、時東ことロードクロサイト議長派のNo2だ。ハルベルト副議長はNo3といえる。時東の右腕は、間違いなく高砂である。ただし『独立派』の集いであるので、高砂が時東を支えているわけではない。自由人達の中で、強い二人というイメージだ。
「――……時東さ、何もしないの?」
「例えば?」
「いや、いいや。うん、なんでもない。別にいいよね。俺的には、今後付き合いが続くかもしれないハーヴェストの家の人だから挨拶くらいと思ったけど、嫌な奴なら追い出すか俺たちがギルドやめればいいわけだしね」
「お、おう。まぁそうだな」
「なんかすごい人みたいだから、一応挨拶くらいは礼儀として、一応、本当に一応すべきかなと思ったけど、別にいいかな」
「おう、別に不要だろう」
「一応俺はしようかと思うんだけど」
「どうしたんだ、高砂。そんなに『一応』を連発して」
「一応ね、時東にも促しておこうと思ったんだけど、まぁ一応話したし、もういいや」
「そうか」
時東が曖昧に頷いた。
訳がわかっていない様子だ。
高砂は目を細めて、自分の煙草を取り出した。
自由な時東は良いのだが、上や下という概念や、伝統などもすっ飛んでいるのが若干高砂は理解できなかった。高砂は常識がないと言われがちだが、実はある。時東は常識を持っていそうだが、あまりない。時東は常識を作り出していくタイプなのである。
「ちなみに、すごいって何がすごいんだ? 頭が良いのか?」
「多分」
「多分ねぇ……期待できねぇな」
「頭の良し悪しは、会ってみないことには。勉強ができればいいってわけでもないし」
「勉強はできるのか?」
「特別三機関完全免除。俺よりも頭良いよ。時東と同じってこと」
特別三機関というのは、最高学府・医療院・天才機関のことである。高IQの場合は、就学免除制度や飛び級制度などがあるのだ。完全免除ということは、大天才ということである。時東は、一応国内第二位の頭脳の持ち主である。
「ふぅん」
「反応薄い」
「医療院にはいっぱいいるからな」
「最高学府にもいっぱいいるけどね」
「大体頭おかしい」
「同感だよ」
こうして二人で煙草を吸ってから、高砂が帰るのを時東は見送った。
その間ずっと、書類に向かっていた。
そうしてこの日も午前四時頃仕事を終え、会議はないが、時東はギルドの第二会館へと向かった。医療院の最寄りのギルド詰所だ。闇司祭議会が大体ここで行われるのは、時東のアクセスの関係である。
「眠ぃ」
あくびをしながら、自動販売機前で時東は呟いた。
自動販売機もロストテクノロジーから復古した製品だ。
ギルドにはこういうものが多い。
「仮眠室には行かないのか?」
「んー、明日休みだからな……今日は帰って寝る――……ん?」
唐突に響いた声に、時東はつらつら答えてから顔を向けた。
聞き覚えのない声だったことと、自分に対して敬語でないことと、毎週決まっている自分の休暇前行動を知らないことから、声を発したギルドメンバーが誰なのか気になったのだ。見れば――明らかに、ハーヴェスト侯爵家の関係者がそこには立っていた。
暗い深紅の貴族服、金の縁どり、家紋入りのカフス。
見間違えるのが無理である。
総長クライスと、副議長のレクス伯爵と、実に良く似たデザインだが、さすがは大金持ちだけあり、ひとりひとり僅かに違う。これは、おそらく、長男専用のデザインだ。
と、いう、服からの特定がまず一つ。
それよりも時東がポカンとしたのは、容姿だった。
美形輩出家として名高い貴族は、ハーヴェスト侯爵家と英刻院大公爵家と言われる。実際クライスやレクスも、尋常ではない美形だ。だが――時東は息が止まるかと思った。自分の顔を鏡で見慣れているせいで、多少の美形では動じない時東だったが、今回、頭の中で、カーンと鐘の音が響いた気がした。
ハーヴェスト家は、チョコレート色の髪と紅い瞳が多いのだが、この人物、そこは違う。流れるような黒髪で、烏の濡れ羽色だった。瞳は青だ――これは、ゼスペリアの青だ。特別な魔力を持っていると、こういった瞳の色になるのである。その不思議な青に吸い込まれそうになった。大きな猫のような瞳である。
整った鼻筋で、唇は薄い。全体的に細身の印象だが、均整の取れた体つきであり、貧弱というわけでもなさそうだ。だが、腰は細い。足が長い。手も長い。指も長い。時東は、瞬時に二度ほど全体を見て、自分の好みではない場所を探していた。
「そうか。ゆっくり休んでくれ。次、良いか?」
「あ、ああ。悪い」
慌てて時東は、カップを手に取り、脇にそれた。
すると麗しすぎる顔で微笑した青年が、自動販売機の前に立った。
「――ゼクス様?」
「敬称は不要だ。ロードクロサイト議長。はじめましてだな。ゼクス=ハーヴェストという。よろしく頼む」
「よろしく」
「医療院で、ゼスペリアの医師と評される優秀な医師だと聞いた。さながら黙示録の最中に、使徒ゼストの再来の片腕として尽力するゼスペリアの医師そのものだと」
「――あの御伽話のヤブよりは有能な自信がある」
「そうか」
「俺の武勇伝をぜひお伝えしたいので、お食事でもどうですか?」
「帰って寝るんじゃなかったのか?」
「一応ご挨拶でもと思って、一応」
「歓迎だ。是非一度話してみたいと思っていたんだ。しかし、本当に日を改めてでも構わない」
「いいや、行こう。眠気が飛んだ、すぐにでも、一応な」
時東はそう言って、コーヒーを一口飲んだ。
味がしなかった。
今のところ好みじゃない部分がゼロだから、一応ご飯だけ食べに行ってみようと思っていたのだが、そちらの味はするのか不安だったが、それでも一応行くことにした、一応。