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 ――時東が残業をしなくなった。

 この驚くべき知らせは、医療院を震撼させた。
 元々、診察や手術は規定の時間に行っていて、それ以外は夜勤か、救急の助っ人だったわけではあるが、時間外の研究や、書類仕事をしなくなったのである。やるべき仕事はすべて定時内に終わらせて、時東はいなくなる。医療院では、『ゼスペリアの医師に恋人出現!?』という噂が広まっていた。

 なお、ギルドに所属するメンバーに限っては、別の思いだった。
 なぜならば、時東はこれまでの残業時間分、フルでギルドにいるのだ。
 こんなことは、余程の緊急事態でなければありえない。

 それこそ黙示録クラスの何かがあるのかもしれない……なにせ、副総長まで帰還しているのだ……。ギルドの人々は、上層部のみが知る、なにか想像を絶する出来事があるのではないかと戦々恐々としていた。

 高砂もその一人といえば一人だった。聞かれる側でもあるが、何も知らない。時東が何か言ってくることもない。なので高砂は、時東をひっそりと観察していた。

 時東は黒い髪に、黒曜石のような瞳をしている。目の大きい狐に似ている。色だけで言うならば、高砂の髪の色は狐色であるが。なお、瞳は緑だ。時東の場合は、両方黒である。評判なだけあって時東は見目麗しいが、タチ同士であるため、高砂は食指が動かない。

 外見には、まず変化が見られない。しいていうなら、最近は術着ではなく、ギルド規定の黒いローブを着ていて、フードをとっている程度だが、それは単純に、ここへと来る前にシャワーを浴びる余裕があるからだろう。フードの着脱は自由だ。

 では、言動は?

 こちらも特に変化はない。無表情というか、気だるげな顔が多く、ただし雑談をすれば笑顔だ。この人あたりの良さというか、話してみると意外と気さくなところも人気の要因である。ギルドにおいて、ロードクロサイト議長ファンは多い。恋する者も多い。しかし時東は、誰になびくでもない。仕事処理速度もいつもどおり、早いし完璧だが、やらなくて良いことはやらない。何か新しい仕事をしている様子があるかと言われたら、それもない。ギルド会館にいる時間が長いから、前よりも雑務をしているが、それだけだ。

 ――単純にいる時間が長くなった以外の変化は見られない。

 高砂は腕を組んだ。そして、喫煙所へと向かい、向きをそれとなく変えた。
 火をつけながら、目的の『ゼクス様』を見る。
 帰還した副総長は、ハーヴェスト派とロードクロサイト議長派双方の古参を一気に掌握して、既に副総長派を築き上げている。あれがハーヴェスト派に合流したらロードクロサイト派は完敗だろう。実力的にもだ。ゼクス様は、やはりやり手だと高砂は思った。

 しかし、掌握して何をしているのかと思えば、自分が不在の間に溜まっていた闇司祭議会の資料整理である。みんな見ぬふりをしてやらなかったものが、ごっそり溜まっていたのを、唖然とした様子で、見つけてしまったゼクス様が処理を始めたのである。怒らなかった。ひきつった顔をしたあと、淡々と始めた。むしろ何か言って欲しかったものである。いたたまれない。レクス伯爵やクライス総長ですら、視線を背けて笑っていた。

 高砂的に、ゼクス様は好印象だった。仕事ができる美人で、口うるさくないタイプが高砂は好みだ。あまり表情を変えない部分も、変えてみたくなる。

 それはそうと、こちらにも、特に緊迫感は感じられない。
 では、なぜ副総長が帰還したタイミングで、時東がギルドに多くいるようになったのか。この二人、特に話をするわけでもなく、むしろ奇妙なほど一定の距離を保っている。しかし同じ空間にいる。見ていると、同じ場所にいることが多い。なのに会話している風景は見ない。避け合っているようには見えないが、非常に慎重に気を遣い合っているような気がしないでもない。

 ――時東は、医師だ。ゼスペリアの医師と呼ばれるほど優秀な医師だ。
 その時東がつきっきりに等しく同じ空間にいる。しかし話しかけない。
 つまり……体調を気遣っている? 要するに病気?

 高砂は、自分の考えに満足した。そこで、率直に聞いてみる事にした。
 喫煙所の前を横切ろうとしたゼクスを見て、煙草の火を消し、外に出た。

「ゼクス様、ちょっと宜しいですか?」
「ん? ああ。どうかしたのか?」
「不躾な質問をお許しいただきたいのですが」
「構わない。無理な場合は回答しない」
「ありがとうございます。ところで、どんなご病気なんですか? 失礼かとは思いますが、こちらとしてもなにか気を配れることがあればと思いまして」
「っ」

 高砂の声に、ゼクスが息を飲んで、驚愕したように目を見開いた。
 バレていないつもりだったのだろうかと、高砂は目を細めそうになった。

「え!?」

 が、直後後ろから上がった声に、思わず瞬きをした。一瞥すると、時東だった。
 なぜお前が驚くんだ、演技にしてもおかしいだろうと、高砂は言いかけてやめた。

「……シルヴァニアライム闇枢機卿、なぜ俺が病気だと?」
「時折ふらついていらして、さらに陽の光にも眩しそうにしていらしたので……そうなのかなと……」
「まさか特異型魔力過剰症か!?」

 後ろからまた声がした。今度は首ごと向けると、時東が愕然とした顔をしていた。だからなんでお前が驚くんだと、高砂はまた言いそうになった。

「シルヴァニアライム闇枢機卿。ロードクロサイト議長のあの不自然な大声は、俺の病名をギルド中に周知させる狙いなのか? 彼の診断か?」
「さぁ? 俺は何も聞いていませんけど」
「そうか……まぁ聞いての通りだ」
「それで王都へ?」
「――いいや。そういうわけではない」
「では、やはり何か進行中なんですか?」
「ん? 何の話だ?」