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ミュールレイ侯爵が数人の貴族を連れて、王宮へやってきて二週間が経過した。勝手に元老院の部屋を作り、いちいち口出ししてくるから英刻院閣下はイライラしていた。しかしながら、貴族派閥で英刻院派に次ぐ二位であるし、自分よりも歳上なので下手に追い出すわけにも行かない。しかも元老院は自分の祖父の英刻院礼洲が議長だ。
さらに一か月前からは、宗教院が襲撃されたため、ゼスト家関係者が王宮に来ている。その中の、『使徒ゼストの写し身』を名乗るゼスト家の人間、これには王宮中がイライラしていた。しかもそれを持ち上げている枢機卿議会のメンバー、これらラクス猊下をはじめ、働いている周囲の邪魔をする。
邪魔をするといえば、ここ一週間ほど橘院とその連れの橘院武装僧侶が来ていて、ガチ勢などという素性の知れない偽装戸籍を用いる殺し屋集団を、救済寺院戸籍などと名づけて王宮に置くなどおかしいとうるさい。さらには素性の知れない榛名達を匂宮復古配下家にするなど言語道断だと言ってくる。しかもこの人物は、軍法院の橘元帥の弟でその指示できた元猟犬だ。頭が痛いというのはまさにこのことで、ガチ勢も榛名達もイライラしっぱなしだった。
ガチ勢に関しては、緑羽の御院とラフ牧師がかばっている。
そこへある日、勝ち誇った顔をして橘院がやってきた。
「いやぁ、緑羽の若御院は常識のある方のようで、ご本人も軍法院で普段は働いていらっしゃるとか。王宮に偽装戸籍の暗殺者が231名もいるから、本日午後、直接取締に来てくださるそうだ。十分後にはいらっしゃるそうだから逃げる隙もなくて残念だな」
その言葉に、緑羽の御院が小さく息を飲んだ。既に御院は先代であるから、もしも若御院が僧籍剥奪や寺院戸籍の撤廃をすれば、無論ガチ勢はアウトだというのは、聞いていた全員に理解できた。だが、231名というのが、聞いていた人々にはわからなかった。応急には、754人いるからである。つまり、一部が特定されたということなのだろうか?
それを聞いていたミュールレイ侯爵がにやりと笑った。
「それは話ができそうなお方だ。確か、元老院議長の礼洲閣下の曾孫様でもあり、本人も元老院議員。ひとつ話をさせてもらい、不審な輩を庇っておられる英刻院閣下についてもご報告させていただかなければ」
その言葉に、藍洲が息を飲んだ。祖父の名前を出されたからである。
ミュールレイ侯爵を追い出せない理由も、亡くなった王妃の父であり元元老院議員で礼洲の片腕だったというのも大きいのだ。さらに聞いていたメルディ猊下が満面の笑みを浮かべた。
「ゼスペリア十九世猊下のことですか。僕、使徒ゼストの写し身として一度じっくりお話させていただきたかったので、お出迎えに行ってきます。行きましょう、枢機卿議会の皆様」
こうしてメルディ猊下達が玄関前まで出迎えに行くといい、ミュールレイ侯爵および同じく来ているミュールレイ派の高位貴族五名もついていった。なにやら橘院とその配下の武装僧侶は、この政務室までの道中で話をするらしく、万象院列院関係者は来るなという話になっているから、自分達が出迎えると言って出て行った。こうして橘院と150名程度の武装僧侶が出て行った。
それを見送り、残されたメンバーは顔を見合わせた。
すぐに視線が緑羽の御院に集中した。
「――本当に来るそうである。かつ、きちんとした服装をしないのならば、ガチ勢を列院とは認めず、さらには高砂の列院総代の件もやはり認める気にはなれないそうだ」
今から服装を揃える余裕など無いし、既に王宮周囲は何やら封鎖されているため、逃げ道もなかった。だが、それ以上に驚いたことは、高砂を認めないという点だ。この王宮で最もすぐらた武力保持者であることは、既に周知の事実だったからだ。
「なんで高砂を認めないんだ?」
素朴な疑問として榎波が聞くと、高砂があからさまに不機嫌そうな顔になった。
「俺には列院総代の自覚が欠如していて、あと見た目がダメなんだって。五歳からずっと会うたびに、見た目見た目見た目。俺の外見がダメだから、列院総代には認められないそうだよ。話す気も起きなくてここのところ挨拶しかしてないよ」
その言葉にラフ牧師がため息をついた。
「それは俺も言われる。それとなくだけど、もうちょっと寺か華族らしい格好をしろって。ゼクス基準だと朱の父上と真朱様以外だめなんだとさ」
「うむ。服装に非常に厳しいのである」
「けどさ、袈裟だっていうから、袈裟つけてもダメ、着物っていうから高砂の当主服でもダメ、ピアスと指輪と腕輪をなぜ付けないとか言い出すから、もう外見が好みじゃないか、難癖をつけてるのかとしか思えない。きっと俺が嫌いなだろ」
「――高砂は確かに列院総代らしいことはしていないが、確かに朱の若宮はなんともいえない。そうだ、私の列院総代当時の唯一若宮様に、きちんとした格好をしていると言われた時の袈裟を貸します。私も高砂をまだ認めませんが、ちょっとさすがあれは……」
「金朱様……じゃあ俺も緑のピアスだのと言われたものをつけてみます……」
普段高砂にきちんとしろとダメ出しする金朱が高砂に同情したような瞳をした。余程厳しいのだろうなと周囲は深刻さを悟った。すると聞いていたアルト猊下が首を傾げた。
「俺には何も言わないよ。いつも俺と会うと、動物とは心が安らぐよねとか、そういう話をする優しい子だから、厳しいなんて、そうなの? 歴代一温厚なゼスペリア猊下って評判なんだけどなぁ……?」
「アルト猊下、兄上は、俺から見てもゼスペリア教の聖職者やギルド関係者には比較的温厚なんだ。服装についても特に何か言わない。ただ、俺が匂宮や万象院に行くというと、必ずきちんとした格好をしろと言うんだ。あちらには何故なのか厳しすぎる。例えば、桃雪なんて俺から見たら完璧な匂宮和服なのに、全くなっていないというんだ」
「桃雪も朱様のお考えがちょっとわからなくて、いつも困惑しています。可能な限りの桃雪匂宮の衣装を着ているつもりなのですが……」
「俺が思うに、ゼスペリア十九世だから万象院が嫌いなんじゃない? 俺も、ゼクスが若御院で俺が列院総代とかやりたくないレベル。しかも最後に連絡をとった時は匂宮復古家の当主教育は出来てるかとか言い出して、そんな暇はないってブチって電話を切ったよ」
「ちょっと頭が固いのかもしないなぁ……」
ラフ牧師の言葉に、ザフィス神父が腕を組んだ。
「――法律を的確に収めておるから、厳格な部分もあるのであろう。また、医学に関しては、時東と全く同じ学歴と資格を保持していて正しくロードクロサイトであるが、うむ。軍法院では非常に頑張っておるようだ」
「まぁ俺が思うにゼクスは、服飾と裁縫とアクセサリー作りが趣味だから、高砂くんの装飾品が気に入らないとかだろうな。ゼクスは、俺の息子とは思えない程、常識にうるさいからな。そこもまぁ、ハーヴェストのお祖父様を思い出すとハーヴェストだ」
クライスの声に、英刻院閣下が目を細めた。
「服装がそんなに重要なのか? 見た目しか見ない、学歴だけの無能という評価に聞こえるんだが」
「英刻院、そうだな、会えばわかる。ゼクスは、中身が誰よりもハーヴェストらしいハーヴェストなんだ。ゼスペリア猊下や緑羽万象院というより、まさにハーヴェストだ」
クライスがいつもの微笑を浮かべた。それを聞いていた英刻院閣下は橘大公爵を見た。
「軍法院ならば同僚だろう? どんな人間だ?」
「ああ、天才機関ジーニアスで認定されてる天才技能全て認定されていて訓練不要の大天才で、IQは全部国内一、PSY値も国内一、うん、天才だよ。最高学府なんて、時東と医学部が同じもなにも、国内で唯一すべてを収めていて特別三機関の資格も全部持ってて、最高学府では『資格マニア』なんて呼ばれてる。ま、天才っていうのは、ああいうのをいうんだろうなという感じで、かつ、非常に真面目だな。何事にも真剣に取り組む感じ。専門は歴史と建築だって言ってはいる」
「橘の言う通り頭はいいかもしれないけど、それだけにか俺には思えないよ。英刻院閣下の認識でいいだろうし、少なくとも時東と医学に関して語り合えるとは思えないね。かつガチ勢逮捕なら、復古家の三名もどうなるか不明」
その言葉、榎波や時東は、壮絶に頭が固い研究者の鬱陶しいタイプを思い浮かべた。榛名達ガチ勢は震えた。宗教院のラクス猊下や、今回はこちらに混ざったユクス猊下、そして法王猊下と舞洲猊下は、優しい人だけどなぁと不思議に思っていた。
ルクス猊下とリクス猊下は顔を見合わせているし、ワイズ猊下は首を傾げ、エルト猊下は腕を組んだ。宗教院のメンバーからすると、ゼスペリア十九世は、優しい人なのだ。動物が好きというイメージしかない。逆にギルドメンバーは、会ったことがない人ばかりだったが、ハーヴェストらしいハーヴェストという言葉に心を惹かれていた。華族黒咲は匂宮に強く言える寺院物が気になりつつ、自分達も何か言われるのか怯え、緑羽についてきた万象院本尊の僧侶達も自分達の服装を整えた。
クライスとザフィスと橘大公爵のみがいつも通りで、橘はお茶の用意をした。が、その最中でいきなりザフィスとクライスが同時に吹き出した。普段笑わないザフィスが吹き出した事が、一番周囲を驚かせた。さらに直後、舞洲猊下が爆笑しだしたから、皆呆気にとられた。そうしてきっかり十分後、扉が開いた。