【0】伝承




 ――欠番の第四使徒ルシフェリアは、恐れ多くも、名を呼ぶことさえ躊躇われる【暗黙の第十三使徒】であり『ゼスペリアの器』であった使徒ゼストを殺害した。

 それはゼスト自身の預言するところでもあった。それもあり、『欠番』とはされるが、ルシフェリアの名は新約聖書に記載されている。

 しかしながら、紫色の使徒イリスの名は、たった一行しか記載がない。
 ――『使徒ゼストに赦されし、洗礼されし聖娼婦』と記されている。
 姦淫の象徴として、【パプテスマの大淫婦】と御伽噺に出てくるだけだ。
 使徒ゼストを誘惑したという民間伝承がある。

 なお宗教院は、ルシフェリアの福音書は聖典とは見做さないし、紫色の使徒による福音など、偽典としている。

 使徒ゼストは、東方ヴェスゼスト派開祖の第二使徒ヴェスゼスト同様、生涯未婚であったとして描かれている。そして、この世で唯一使徒ゼストの血を受け継ぐゼスト・ゼスペリア家というのは、神の御業により使徒ゼストが賜った、処女懐胎の結果の子息から連なる存在だと公表しているのだ。

 当代ゼスペリア猊下というのは、ゼストと神の末裔という位置づけだ。
 だからこそ、生まれながらにゼスペリア猊下は、使徒ゼストの代理でありゼスペリアの器なのだという。

 それは、ヴェスゼストの代理である法王猊下が、宗教院の代表から選ばれるのとは異なり、誰もがなれるわけでもはない。正しくゼストの血を引く『神の子』のみの称号ということだ。神の子は、宗教院が生涯保護する決まりもある。

 よって――悪魔の力で使徒ゼストを汚そうとしたとされる、大淫婦の血脈などには、決して引き合わせてはならないと、昔から決まっていた。



 一方の、ギルドの教えは違う。

 このギルド――『紫の薔薇結社』とは、そもそもが第四使徒ルシフェリア自身の手により作られたと、ギルドでは説いている。

 何故作られたかといえば、使徒ゼストの子を身ごもった、正式な妻であった紫色の使徒イリスと、宿ったゼストの子供を守るためにほかならない。

 よってギルドとは、イリスとゼストの子供――ギルドから見れば『本当の神の子』および【紫色の使徒の血脈】を守るために存在する。

 ゼスト・ゼスペリア猊下が『神』の子だというのならば、『人』としてのゼストの血脈を守る存在だとでも言えばいいのかも知れない。

 ギルドにも聖典があるが、そちらには正しくルシフェリアの福音書が含まれているし、階梯が上になれば、『紫色の使徒の福音』と呼ばれるイリスの綴った使徒ゼストの記録を閲覧することも可能になる。別段ギルドは、ゼスト・ゼスペリアを否定しない。だが、紫色の使徒の血を絶やそうとする宗教院を快くは思っていないし、常に警戒していた。

 ギルドから見れば、宗教院こそが背徳的な集団である。

 ギルドの伝承によると、イリスとルシフェリアは異父兄弟だった。
 そして使徒ゼストと紫色の使徒、ならびにルシフェリアの血を正しく受け継ぐ、ハーヴェスト家の人間が、ギルドにとってのゼスト家に等しい。

 ギルドとしてもハーヴェストの人間をゼスト家の者と引き合わせる事など論外だった。
 そして歴代のハーヴェストの当主というのは、多くの場合がギルド総長をしていたから、これまでは自分から近づく者もいなかった。

 なおギルドと宗教院に共通して――『ゼストとイリスの血が交わる時、それは黙示録の予兆である』という言葉が残されている事もあり、多くの者は、自発的に関わろうとしてこなかった歴史がある。




 別にこうした古からの決まりや暗黙の了解は、ゼスペリア教に限った事ではない。


 ――例えば、である。
 華族神話と呼ばれる、ゼスペリア教とはまた異なった神の話がある。
 青照大御神の三人の御子である神による世界の創造の逸話だ。

 この内の、長男であり、学識その他を司る【闇の月宮】こと月讀の尊は、華族において美晴宮に匹敵する唯一の家柄の、匂宮家の直属の祖とされる。同時に闇の月宮とは、院系譜万象院家の直接的な祖先であるとも言われる。

 よって、古くは匂宮であり万象院であるものを『鴉羽』と呼んだし、『右副・鴉羽卿』など、歴史上で有名な存在は多い。しかしながら、こちらの伝承にもある。

 ――『終末の世は、鴉羽の血の再来が予兆となる』

 この【終末の世】というのは、ゼスペリア教で言うところの黙示録のようなものだ。
 そのため古くから、匂宮本家である朱匂宮の当主と、院系譜万象院の緑羽万象院家当主の婚姻は、忌避されてきた。

 どうしてもという場合、最低限片方は長男を設けて、再婚という形にしなければならないと決まっていたし、各代の当主もそれを正確に理解していた。そして両者の血を引くものは、鴉羽として、院系譜にも華族にも周知させ、行動を制限した。可能な限りどちらかの当主にも、してはならないと決まっていた。

 これにも理由がある。

 ゼスト家も同じなのだが、ゼスト家よりもさらに厳しく、緑羽万象院と朱匂宮は――特殊なPSY色相を、直系長男のみが受け継ぐためだ。次男でもそれなりに出現する色彩だが、長男のみが正確に受け継ぐ。その色合いを『鴉羽』と言う。ゼスト家ならば『ゼスペリアの青』が遺伝する。

 そして特に朱匂宮家は、絶対に第二子以降でなければ、万象院との婚姻による子供の出産は許されていなかった。これはゼスト家が、今なお宗教院で尊重されて絶大な力を誇るのとほぼ同じ理由だ。

 ゼスト家は、

『黙示録の世において、使徒ゼストの写し身がゼスト・ゼスペリアに生を受ける』

 という救世主についての言及がある。
 それと類似の言葉が、華族神話にも存在するのだ。

『終末の世、世界の平定のため、青照大御神の化身が闇の月宮に現れる。紅玉の嵌りし金冠を指に、朱の扇を持ち、世界を導く』

 と、あるのだ。

 同じ子孫という表現でも、匂宮の場合は、朱匂宮から出現するとはっきりと記載されている。さらに、

『化身が宿りし闇の月宮は、血を同じくする秘匿されし青照大御神のもう一つの血脈、黒曜の虹宮と匂宮の血を正しく引くだろう』

 とも書いてある。
 秘匿されているというし、華族には開始以来の歴史が全て残っているのだが、黒曜の虹宮などというのは一度も出てきたことはない。だが、匂宮は名指しされている。終末がきた場合、ヒントとなるのは匂宮家のみといえる。救いは匂宮だけなのだ。

 これは院系譜である万象院もまた当然よく知る知識だった。


 その院系譜万象院には万象院では、また異なる終末の話が伝えられている。
 こちらには『終末の世、青き弥勒が再来する』と書いてある。
 それは『緑羽の万象院の血を正しく引き、人々を救世する』とのことだ。

 万象院の教えは、根本的に、華族神話は元より東方ヴェスゼスト派とも異なるとされている。正確に読み解くと学術的に理解できる、PSYやロストテクノロジー知識が、経文に教えとして残っているのである。

 だが――この記述に関してのみが、抽象的であり、宗教的だと言って良い。けれど、他の経文に意味があるのだから、この『青き弥勒』にもまた意味がある可能性は高い。

 よって歴代の緑羽万象院は配慮してきた。『血を正しくひく』というのだから、これが長男を指すというのは間違いない。

 ただ、配偶者がどこの誰かなどという記載はない。
 とはいえ元々、院系譜というのは華族におけるゼスペリア教のような存在だったというから、華族神話を尊重して鴉羽の件や、匂宮の第一子の父とならないという配慮は徹底してきたのである。諍いを起こしても、良い事はないからだ。



 ところで――ロードクロサイト家というものがある。これは、かなり古い時代に存在した、ロードクロサイト文明の、皇帝の末裔の家柄である。ロードクロサイト文明とは、PSY融合科学が、最も進んでいた文明だ。

 ロードクロサイト皇族で、最後に確認されているのが、ユエル・ロードクロサイトという人物だ。このロードクロサイト家というのはPSY-Otherが虹色の家系であり、ユエルの父であった最後のロードクロサイト皇帝もまたその色彩を持っていたと考えられている。

 その配偶者だった、ゼルリア教という当時の宗教家の人物は、今で言うゼスペリアの青の可能性が高い、青いOther色相を持っていたとされている。

 なのでロードクロサイト家の古文書には、ユエル・ロードクロサイトが青照大御神である事、および、その実の兄であった人物が――フェルナ・ロードクロサイトが、現在のロードクロサイト家の直接の祖先である事が、事実として記載されている。公にはしていないが、非常に詳細な歴史の記述が残っている。

 ――黒曜宮という名は、その直接の祖先の用いていた名前だと、古文書には記されている。そうであるため、黒曜の虹宮というのはロードクロサイト家のことではないか、と、考えたロードクロサイトの人間がいた。

 案外何人もいたため、こういう記録が比較的多く残っている。

 何故ならばロードクロサイト家というのは、特にPSY医学関連において、神など信じることはなく、学術的研究に力を入れてきた家系だからである。だから、神道の神が地震の祖先の血縁者であり、人間だったという結論を出すことに、畏怖など感じないのだ。

 ただ――ロードクロサイト家の探究者も、ひとつだけ頭を悩ませていることがあった。 ユエルの兄であったという、祖先、フェルナ・ロードクロサイトの手記にも、一部分だけ、さながら万象院の経文のごとく、全く医学的ではないことが書かれているのだ。

『ここまでにロードクロサイトが関知する各歴史階層の滅亡は全て、PSY円環に特定のPK-ESP-Otherが揃った場合にのみ発生している。理由は、その者を『神』とする集団が存在するからだ。確認できた範囲において、原初文明より存在する。しかしながら、その特定の円環の保持者の手により、滅亡後に文明は再興がなされている。よって、救世主であると、破壊的カルト集団が口にするのは、結果的には間違いではない可能性がある』

『虹Otherが優位だったため、第二子継承により、青Other保持者はユエルであり、集団が救世主と唱えたのもまた、ユエルである。どちらにしろこの奇跡的な配列の円環を構築するためには、ロードクロサイトの虹と呼ばれる全補色保有因子の統一ゼクサ型PSY血小板および、Otherの絶対補色青と、PK-ESPの各原色を両立させる混雑型PSY血核球が必要となる。ロードクロサイト長子には青および混雑型は遺伝しないが、ロードクロサイト側の因子は遺伝する。』

『青の能力の一つに『未来予知』があり、仮にそれが世界の危機を予測し、自然とこの配合によって円環が形成されることを『救世主の出現』と呼ぶとするならば、ロードクロサイトは黙示および救世主の存在を科学的に認めるしかなくなるが、決められた世界の滅亡など到底信じがたく、そうである以上、以後逆にロードクロサイトの虹による円環形成を起こさないように希望する。ユエルの子孫との間に血を残す事は推奨できない』

『ユエル側の第一子がユエルと同等のPSY色相を引き継ぐはずである。それがなされた場合、あるいはそれこそが【滅亡の予兆】と言っても良いだろう』

 このように記されていた。

 これはロードクロサイト家の当主のみが閲覧してきた代物であるが、現在までにどの観点からも、最も優れた頭脳の持ち主であるフェルナ・ロードクロサイトの言葉であるから、皆、守ってきた。

 ユエルの子孫とは、匂宮と万象院であると理解していたから、そもそもその二箇所とは可能な限りの関わりを避けてきた。どうしてもという場合でも、両者の直系長男は避けてきた。

 だが――時代が下がるにつれ、旧世界の滅亡の時、ロードクロサイトに伝わる伝承として、『使徒ゼストはロードクロサイトの孫であった』という記述が付加された。その時の当主の記述である。

 けれど、その際には、万象院や匂宮の記述は特に出てこなかった。
 同時に、ユエルの持っていた『青いPSY色相』とは、使徒ゼストが持っていた『PSY-Otherの青』――【ゼスペリアの青】であると正しく把握した。

 それ以後は、ロードクロサイト家は、ゼスト家との婚姻を一番に避けるようになった。




 こうした一連の歴史的な背景が根底にあった。