【6】七日目の現在



<七日目(日)>『現:地表・現代の花王院王朝』

 ――そして、安寧の世が訪れ、世界には、主の光が溢れた。

 とのことであり、この安寧の世が、つまり現在の世界、花王院王家の統治する現代社会という理解がなされている。六日目の避難部分が加筆修正でなく、この部分も加筆修正でないとしたら、創世記を記した人は予知能力者と言っていいし、伝わっていた地域もまた予知能力者がいたのだろうということになるし、それは――必ずしも否定できることではないのだ。

 特定指定PSY-OtherのNo.878とNo.9965は、『サイコメトリー』と『未来予知』なので、過去文明をサイコメトリーで読み取れば、記述できるし、未来予知すれば、現在の社会を幻視できるからである。ただ、滅多に存在しない、超特殊能力だ。しかも両方、発動条件がある。

 まずサイコメトリーは、直接皮膚接触しないと、情報取得が出来ない。また接触した物が有する情報は、基本的に短期間で消失するので、ごく最近の過去や現在についてしか読み取ることが不可能なのだ。

 情報を長期的に残すには、特定指定PSY-OtherのNo.94536の『サイコメモリック』を使用するしかないが、これは完全PSY文明時代のロステクで、完全ロステク時代の記録が残っているのは、完全PSY時代の人々が、完全ロステク時代の廃棄都市遺跡や兵器の一部にそれを使用したからである。

 しかしこれは、PSY複合科学時代やロステクPSY融合時代にすら、既にロストされた技術だから、他に完全ロステク時代の直接的な情報を得る手段はサイコメトリーでは存在しない。遺跡研究から推測するしかないのだ。

 原初文明の方が、月信仰をしていた遺跡やらが残っているのでまだわかりやすいし、それに関してはどの文明でも、人は猿等から進化したのだとして教えているため、ずっと残ってきた。これは誰でも知る、どの時代でも共通の知識だといえる。

 PSY複合科学時代は華族全盛期の手前なので、美晴宮家や院系譜の寺院に記録が残っているものから推測できないことはないが、やはりこちらもサイコメトリーは不可能だ。完全PSY時代は、その時代の人々が、自分達の重要な文献や施設、兵器にサイコメモリックをしていたので、これはサイコメトリーが可能である。

 それらが書かれた旧世界に関しては、サイコメトリーするのは、サイコメモリック無しで出来るわけだが、この部分からは、予知したと言うのが正しいわけである。なにせ、終末を書いた当時の黙示録だからだ。

 というわけで未来予知だが、これも基本的に、超短期間のものしかできない。無意識に一瞬後の出来事を予測して回避行動するだけですら、神の御業レベルの難易度なのだ。無意識に勝手に予知するか、予知夢を見る等の場合である形態は、一ヶ月以内に自分が死ぬ場合にしか発動しない。

 視るのも死ぬ一瞬前となり、基本的にいつであるか等は、全くわからない。これが、両親兄弟子供という続柄まで広がると、ちょっと強くなったと言える。さらに、三十分程度前からの光景が視られるようになると非常にすごい。それぞれ別のと口指定のNoを持つが、一般的な未来予知とはこれであるし、これだけでもかなりすごい。

 血縁関係のない他者や、一ヶ月以内の大きな事故・災害の予知になってくるとレベルが違うし、三ヶ月以内・半年以内と、レベルは上がる。だが、半年以上先の出来事は、予知できないと考えられている。

 予知というのは、PSY知覚情報から、『地球や社会、そこに生きている人間を含めた動物の行動を予測する事』だから、半年を越えると、脳による無意識の予測ができなくなるのだ。情報不足という事である。よって、予測であるので、そうならないように行動すれば結果は変えることが可能なのである。

 これが科学的見解だが、宗教院は神の御業により、神は全知全能で全てを見通すことができる、としている。なので人々が信仰心を忘れれば、新約聖書のゼストの黙示録が来るというのだ。

 それはともかく、創世記に話を戻すと、予知であるが、予測であるから精度は落ちるにしろ、その時持っている情報から未来をある程度推測して幻視することは不可能ではないのだ。つまり正確さにはかけるが、大枠を見て取る事は不可能ではないのである。

 よって、なんだか平和に暮らしている現代ののどかな家庭風景でも予知して幻視したならば、安寧の世が終末の後に来たと書く事は不可能ではない。

 だが執筆時期を考えると、そこまで予測予知できるのか疑問であるし、創世記と書いてあるのだから、意識して歴史を書くべく未来を予知した可能性が高いので、その人というのは、『超長期的未来を意識的に予知できた』ということになり、つまりありえないほどのすごいPSY能力者ということになってしまう。

 だからサイコメトリーおよびサイコメモリック、並びに未来予知を駆使すれば不可能ではないが、『加筆修正した』とか『偶然当たった』と考える方が楽だし、しっくりくる。なにせ解釈の問題であり、どうとでも読み取れるのだ。

 安寧の世なんて特にそうで、この部分は完全に『偶然当たった』で良いだろう。そりゃあ文明は、復活するのだ、人間が生きている限り。

 そして大体の場合、一般庶民には、一般庶民なりの平穏があるし、最下層ですら、そこそこ長閑なのである。避難部分は恐らく加筆で、院系譜のお経が歴史と技術の継承をしているのと同様、それとなく歴史を書き足して保持したのだろうし、書き足す位置は他には無いだろう。

 当時の黙示録であるし、完全ロステク兵器による滅亡など終末そのものだからだ。契約の子に関しては、当時広がっていたゼスペリア教の教えに出てきた黙示録にそのままあったのだろう。それを新約聖書で「神の器」や「使徒ゼスト」ということにしたのだと考えられる。

 まぁそんなこんなで、人々は生き残り、初代国王である花王院始祖陛下から続く、現在の花王院王家の統治する現代社会に至ったのだ。

 ――このようにして世界の創造が終わり、主は休息なされた。

 ということで、この花王院王家の時代で世界は完成であり、神様はお休み中のようなので、以後、新約聖書によると、黙示録に描かれている終末まで、神様は働かないらしい。なお、この七日目が休息日ということで、毎週日曜日はお休みだと決まっている。

 なお、終末が到来しないように神様の存在を伝え続けるのと、人々を滅亡から神の御業で守ったゼスト、というか宿って守ったゼスペリアの奇蹟を伝え、教えを広めるのが、東方ヴェスゼスト派という宗教の存在意義であり、さらに終末が来ないように、人々に清く正しく行きましょうと道徳を説くのもまた、この現在の『ゼスペリア教』というわけである。

 昔のゼスペリア教は旧約聖書のみかつ教会などが存在しなかったのが、現在は、宗教院などが出来上がったという形である。大本をたどるならば、ラファエリア王家の始祖の王妃の出身地域の昔話という事である。