【3】使徒オーウェンの恩赦式典――疾病――



 ゼクスが完璧に唱え終えた時、人々は恍惚とした表情をしていた。生きていて良かった。これを耳にすることができて良かった。幸せ。誰ともなくそんなことを考えていた。それから目を閉じていたゼクスがゆっくりとひらいて微笑した時、さざ波のように拍手がはじまり、すぐにその音が、その場を埋め尽くした。それは、少しおいてから、再びゼクスが瞬きして微笑すると止まった。そして医療院から見に来ていた入院患者達がハッとしたようにざわめきはじめた。足を怪我していたものは立てるようになっていたし、目に病を患っていたものは見えるようになっていた。

 それだけではない、医療院内の患者の九割以上が完璧に治癒し、残りの一割もほとんど治っているか寛解状態となっていたのだ。それには内部にいた医師達も愕然とした。国内中でも、大騒ぎになり、各地で展開されているこの場の風景を皆が凝視した。ゼクスが想像を絶するOtherの青の治癒回復能力で全てを癒したのだと気づき、後ろに居た三人は呆然として息を飲んだ。民衆はざわめき、難病患者や二度と歩けないと言われていた人々は歓喜で号泣している。

 元々ゼスペリアの青は治癒回復能力が最強のOtherではあるのだが、こんな芸当は、歴代のゼスペリア猊下にもできたという記録はない。最高学府や天才機関、なにより医療院の内部からも多数の人々が会場へと出てきた。彼らは科学的にPSY-Otherの絶対補色の青であると理解している。だが、そうであっても、だ。その場にいる民衆の多く同様、気づけば『ゼスペリア』をその場に感じていた。本物の使徒ゼストの写し身がそこに存在しているかのような感覚になっていた。歓喜に震えて泣いている人間と、膝まづき神聖なゼスペリア十九世の奇蹟に祈りを捧げている人間と、呆然として冷や汗を流している人間しかその場にはいない。

 それまで興味がないと来なかった近隣住人達まで集まりはじめ、会場が大混雑し、その外まですぐに人が溢れかえった。これを神の御業と呼ばないとするならば、他に何をそう呼ぶのか誰もわからないほどだった。何故これまで表舞台に出てこなかったのか、最下層での救済は理解したが、そうでない人々も救済すべきだった。誰もがそう思っていた時、まるでその心を読んだようにレクス伯爵が微苦笑した。

「皆様ありがとうございました。多くの疾患や難病、負傷した方々の回復を、今後もゼスペリア十九世猊下は常にお祈りしていくとの事です――が、根治が困難な病気がいくつか存在します。その一つがゼスペリア十八世アルト猊下、そしてゼスペリア十九世のゼクス猊下も患っておられる血液系の遺伝病です。難病指定を受けており、英刻院家および美晴宮家のお方の善意により輸血提供を受け、点滴をしながら兄上は生活をしております。そのため、中々皆様の前にお顔をお出しできないことをいつも申し訳ないとお感じになっておられるようで……見ているこちらが辛いほどなのですが、そんな兄に生きる希望を与えてくれるのもまた、最下層で暮らす元気な子供達であると言います」

 レクスの声に、ゼクスが悲しそうに微笑した。
 その衝撃的な事実に、民衆は泣きそうになった。ゼクスが病気であると知っていたガチ勢は、詳細を知らなかったので、若干驚いたし、健康だと思っていた闇猫だとかは普通に息を飲んだ。聖職者は、少し安堵した者もいた。今後口出しされないかもしれないという打算的な考えからだ。うるさくされたら、ゼスペリア十九世には誰も逆らえないのはもう明らかだからだ。だが直後レクスは笑顔を浮かべた。

「ですが兄上の体調はどんどん良好になっており、最下層の大自然が良いのではないかと申しているほどです。近くでは、ゼスペリアの医師と名高い時東先生もいらっしゃいます。快癒の日も近いでしょう。クラウ家当主のシルヴァニアライム枢機卿も常に体調に気を配ってくださっているそうです」

 一回もゼクスを診察などした事がない時東だが、レクスから笑って肯けというESPが来たのでそうした。高砂も同じ内容のESPを受け取ったため、微笑して頷いた。しかし二人共冷や汗でダラダラだった。

「さて、兄上でも対応が困難な疾患の一つが、妊娠時の胎児との血液反応の不一致です」

 レクスは、PSY疾患という語は使わなかったが、その場にいた一般国民も含めて、それを理解していた。もうPSYの存在は暗黙の了解のようになっているのだ。

「次期国王陛下であらせられる青殿下の片側父である王妃様も、その病でお亡くなりになりました。本日もいらしていらっしゃるミュールレイ侯爵家出身のミュールレイ王妃陛下です」

 不意に名前を呼ばれて、ミュールレイ侯爵が息を飲んだ。