【4】使徒オーウェンの恩赦式典――ゼストの外典――
「ミュールレイ王妃は、花王院紫国王陛下と現花王院陛下の伴侶補であらせられる美晴宮静仁殿下、そして英刻院藍洲閣下のそばで、お亡くなりになられました。その際、遺言で、命日ではなく誕生日にお墓参りをして欲しいとおっしゃっていたとのことで、親交が深かったハーヴェスト家当主の父クライス侯爵およびアルト猊下が伴い、毎年、王妃陛下のお誕生日に、ゼスト・ゼスペリアからとして、祝詞を唱えさせていただいております」
その言葉に、ミュールレイ侯爵がハッとした。実は月命日に欠かさず墓参りに行くのだが、確かに毎年、誕生月には誰かが花を供え聖水をかけていっているのを記憶していたからだ。しかも王妃のことなどすっかり忘れていると思っていたメンバーの名前に驚愕した。
「最初は安寧をもたらす、使徒ヴェスゼストの福音書付録『ゼスペリアの身許へ』を唱えていたそうですが、アルト猊下が病で出られなかった際、代わりに当家を代表して兄が向かった際、花王院国王陛下からゼクス猊下はお聞きになったそうです。王妃様は、自分の死よりもずっと青殿下や無事に生まれてくるか不安だった第二王子殿下の事を心配していたと。そして、先に逝く父への不幸、ミュールレイ侯爵様への謝罪を繰り返していたとのことでした。非常に心の優しいお方であったと兄上はその時に知ったそうです。また、その際、美晴宮静仁殿下から、ミュールレイ王妃が、使徒ゼストの福音書を探していると伺ったそうです。その理由は、ミュールレイ侯爵家は元々第八使徒ミュールレイの末裔であり、第八使徒の古文書に使徒ゼストの福音書の存在が記載されていたそうで、その中に『親子の絆』について記載されている章があるようだとご解読なさったからであるそうでした。その姿勢に感銘を受けた兄は、以来、アルト猊下がご病気でなくとも同席するようになり、英刻院閣下をはじめ、父上やアルト猊下より、ミュールレイ王妃についての数々の逸話を聞き、ゼスペリア十九世として、初めての『聖人認定』を決意なさいました。法王猊下と舞洲猊下と協議の上、その決定をしたのですが、ミュールレイ侯爵様は、王妃様は聖職者ではなかったから、そのお話は受けられないし、ミュールレイ家は現在は使徒ではなく誇り高き貴族として生きていると仰っておられました。兄上は、貴族の誇りをその時改めて学んだそうです。そのため、ゼスペリア猊下執務院から、ミュールレイ侯爵様と個人的に親交があると仰っていた枢機卿議会議長に、ミュールレイ侯爵様の説得を何度もお願いしていたのですが――花王院国王陛下にお話した際、義父の元には、一度も連絡が来ていないという衝撃的な真実を知り、兄上は非常に胸を痛めておられます」
その言葉に、枢機卿議会議長が息を飲んだ。汗をかいている。
そういえばそのような話もあったかもしれないが、あまりよく覚えていなかった。
ゼスペリア十九世をこれまで軽視していたからだ。
そして今度は、自分を潰しにかかってきたのだと正確に理解した。さらには自分側と比較的言えたミュールレイ侯爵ともこれでは決別だろうから、貴族人脈が致命的に弱くなる。
ミュールレイ侯爵も議長を怪訝そうに見ている。
だがそれ以上に、『聖人認定』は、てっきりミュールレイ派を懐柔するための英刻院派の操作だと思っていたのが、墓参りの話や、まさにゼスペリアの器と言えるようなゼクスの提案だと聞き、混乱していた。これは――逆に断るのが不敬である、という思いもひとつあったが、それ以上に、亡くなった子供のことを覚えていてくれたり、思い返せば花王院陛下は適度に様子を見に来てくれること、どころか、王妃と面識がない人にまで話をしてくれているという事実に、それだけで涙ぐみそうになっていた。
「兄上は、当時は今とは異なり、大変病状が重篤だったため、自分が生きている内に王妃様の功績をなんとしても自分の手で広めたいと言い、既にミュールレイ侯爵領地の近隣にある、兄上自身が継承した英刻院伯爵領地にミュールレイ大教会を建築し、その領地をミュールレイ侯爵領地に、と、何年も前に貴族院に書類で提出しております。後はミュールレイ侯爵様の同意のみなのですが、聖人認定を頑なに拒まれて――というのもありますが、枢機卿議会議長に、ゼスペリア猊下執務院は強い抗議をする事に決定しました。以後、枢機卿議会の皆様は、連絡義務をお守りください」
レクス伯爵がモニターに大教会の映像と、貴族院への提出書類、さらには枢機卿議会議長への打診の書類を表示した。議長は反論できなくなったし、ミュールレイ侯爵は言葉を失った。なにやら豪華な大教会が作られたが使われる気配もない無駄の産物とこれまで思ってきたからだ。しかし外観だけは気に入っていた。あの大教会を見ていると、何故なのか王妃の幼少時を思い出すことが多かったからだ。
「さらに兄上は、現在モニターに表示されている一冊の新しい宗教書を作成いたしました。これは王妃様のような出産時の疾患を減らすこと、および王妃様が熱心に高齢者対策に取り組んでいたことを英刻院閣下からお聞きし、妊娠時の過ごし方が第四章、第五章が高齢者への対応となっております。そして序章は兄上自らが、英刻院閣下達から伺ったミュールレイ王妃様の聖人といえる逸話をまとめた経歴、第一章は、やはり貴族とはおっしゃられますが、使徒ミュールレイの福音書には、王妃様を彷彿とさせる優しさが溢れた記述がたくさんあり、その中から『使徒ミュールレイの福音書第三章第二節ゼスト・ゼスペリアの子へ』を収録しております。そして第二章には、兄上が、王妃様の念願だった使徒ゼストの福音書を翻訳し、『使徒ゼストの福音書第六章第三節父の追憶』を、第三章には『使徒ゼストの外典第二章第七節息子への祈り』を収録しております」
その衝撃的な言葉に、会場中がざわついた。
今、確かに使徒ゼストの福音書と聞こえたからだ。
「ゼクス猊下は、使徒ゼストの十字架同様、ゼスペリア猊下の中でも限られた者しか触れる事ができない神の御業の気配が強く残る古き聖書類にもまた触れる事が可能であり、使徒ゼストが旧世界において使用していた現在の旧約聖書の完全版および、使徒ゼスト自身が編纂した外典も含めて全ての最古の聖書内容が記載されている新約聖書を日々翻訳しておられます。その過程で、王妃様の熱意を知り、使徒ゼストの福音書の内で、王妃様がご覧になりたいと願っていたものを、真っ先に復古翻訳なさり、簡単な医学書とセットにする事で、現在はまだ宗教院においても未公開の使徒ゼストの福音書の一部をミュールレイ大教会においてのみ、国内で配布なさるご予定です。そして国内に王妃様の想いが届く頃には、全文の公開を目指したいとのことです」
レクス伯爵の声に、ゼクスが微笑した。みんな見惚れた。
改めて少し落ち着いてきた民衆は、ゼクス猊下が驚く程の美貌の持ち主であると気がついていた。
「現在モニターに写っているのが、使徒ゼストの実際に使用した二冊の聖書ですが、神聖すぎて兄上以外は本文を見ることも困難なので、映像でお許し下さい。我こそは読めると仰る方は、ゼクス猊下は常々共同翻訳者を募集しておられるので宗教院にお問い合わせ願います。また、続いてモニターに表示している銀色の十字架ですが――こちらは、使徒ゼストの銀の十字架の中央にミュールレイ侯爵家の家紋である桔梗の花を、花王院王家のピンクダイヤの中で最も色濃い鮮やかな宝石で作った『聖人ミュールレイ王妃の十字架』となります」
さらに続いたレクスの言葉に、ミュールレイ侯爵が呆気にとられたような顔をした。
目を見開いている。
「銀の鎖部分は、特に老化した体を元気にする効果が医学的にも保証されている旧世界のゼルリア細工により編みこまれており、十字架自体は、兄上から王妃様の聖なるゼスペリア信仰者への祈りを表し、最後の中央部分には、妊娠時に胎児と母体の反応を安定させる神の御業を放つゼスペリア十九世猊下が復古した使徒ゼストの奇蹟の成分が含まれております。これは、多くの国民を、ミュールレイ王妃の聖書と共に救うと考えられます」
笑顔のレクスは、ゼクスを見て頷いた。ゼクスも頷いている。
完全に仲の良さそうな兄弟であるが、普段の二人はこういう空気ではない。
「そしてこの十字架の収益で老人介護施設および妊婦医療の充実を図ることを決定しとります。またミュールレイ王妃の誕生日を聖人の祝日として国民の休日とし、その日には、多くの妊婦の皆様やご老人の健康促進のための祈りを各地の教会で行うと決定しており、それらをミュールレイ侯爵様に打診していたのですが――議長がお伝えしていなかったとのことで……――ですので、一足早いですが、この場で直接お伝えさせて頂くと同時に、この場にいらして下さった皆様にのみ限定で、この十字架を無料配布、また史上初公開の使徒ゼストの福音書が含まれているミュールレイ王妃の聖書も同時に配布する事とします。ぜひ周囲の皆様も、ミュールレイ侯爵様に、聖人認定を早く認めてくださるようにお願いしてください。では今より、ゼスペリア十九世猊下の神の御業により、皆様の首から十字架が下がり、目の前に新しい宗教書が出現するので、お手に取ってください」
レクスがそういった瞬間には、気づくと会場の外にいる人々まで含めて、みんなが神聖な十字架を身につけていた。銀箔だけでも恐れ多いというのに、本物の使徒ゼストの銀である。銀箔一枚だけでも5000万円以上、小さな塊一個で3億円程度するはずなのだが、モニターには300円で販売しますと書いてある。各地で見ている人向けの表示である。
「そして今この場で、ミュールレイ王妃への想い、青殿下という素晴らしい次期国王陛下を生み出した御心、そして何よりミュールレイ侯爵様にぜひ、兄上は王妃様に代わって使徒ゼストの福音書をお聞かせしてさしあげたいとの事なので――続きまして、ゼスペリア十九世猊下による、使徒ゼストの外典第二章第七節『息子への祈り』をお聞きください」
最早、誰も『次期国王』という言葉など気にしていなかった。
使徒ゼスト自身が綴った聖書を、それもゼクス猊下が復古して読むという事実が、信じられない者続出であったし、なによりもうミュールレイ侯爵自体は、十字架を握り締めて半分涙ぐんでいる。