【5】使徒オーウェンの恩赦式典――息子への祈り――
こうして、ゼクスの祝詞が始まった。人々は、気づくと明るい日差しが、色とりどりのステンドグラスを透かす小さな教会の中にいた。現在のゼスペリア教には存在しない白い御使いの石像が右の奥にあり、中央の壁一面のステンドグラスの左右には、五本ずつロウソクがたてられるゼガリア白金銀の燭台がある。その祭壇の前に、使徒ゼストがいた。簡素な牧師服姿だ。旧世界の頃は、ゼスペリア教には牧師しか存在しなかったからである。モニターにはそれが流れたが、その場にいた人間は誰も見ていなかった。ただただ、使徒ゼストが、先程までの祝詞の時の姿とは異なり、なにやら祭壇の上で、書いては消して書いては消してを繰り返している姿がはっきりと脳裏に浮かんでいて、他のこと等頭に入ってこなかったのだ。その内、満足そうに使徒ゼストが微笑した。そこに記述されている文字とゼクスの祝詞の声が重なった。
そこには、一人の人間としてのゼストの姿があった。
ゼスペリアの器ではなく、一人の聖職者として、息子のために、息子の幸福を祈るために、何度も何度も聖書の本文を書き直していて、やっと完成したのだというのが伝わってきた。それからゼストは、祭壇の前のカゴへとゼスペリアの青の瞳を向けて、優しい顔をした。そして歌うように完成した祝詞を口ずさむ。その声音が、ゼクスの声とやはり重なる。だから聞いている人々は、息子への愛情が直接頭の中に入ってくるような気持ちになり、子供を持つ者は気づくと心を打たれていたし、親の愛を疑っていた者は、そんな自分を後悔した。さらに孤児達には、その子供は正しくゼスト・ゼスペリアの始祖だから、自分達の祖先であり、ゼストは自分達の父親なのだというような、鮮烈なイメージが浮かんだ。気づくと、誰もが胸を打たれて涙していた。そこには愛があったからだ。
日差しが、ゼストが抱き上げた赤子を優しく見守っている。
ステンドグラスの黄色と濃いピンクや緑は美しい。
御使い像とステンドグラスは、この子のためにゼストが作ったのだと皆は理解した。
燭台は、使徒ランバルトからのお祝いらしい。
そこに、平和な街並みが混ざり込んだ。
初期の花王院王国の姿であり、快晴のその日、赤子を抱いて、ゼクスが外へと出たのだ。相変わらず、完成したばかりの息子への祈りを口にしながら、風景を眺めている。暮らす人びとの活気ある息遣いが聞こえてくるようだった。ゼストの願いが伝わって来る。この新しい世界で、平和な世界で、いつまでもこの子が幸せに暮らせるように、精一杯自分に出来ることをしていきたい。きっと苦労や苦悩もあるだろうから、その時は相談に乗ってあげなければならない。そして間違ったことをしたら教えてあげなければならないが、その逆に、この子が正しいことをいったならば、そこから自分は学ばなければならない。出過ぎるのも良くないかなぁ、だなんてゼストが苦笑しているのが伝わって来る。だがゼストはすぐに微笑に戻り、祝詞を続ける。この子のためならなんでもできる気がした。
守りたいものがある。例えばそれは、この子が生きていく未来だ。
きっと自分の父もそのようにして、己を育ててくれたのだろうと、この時ゼストは気づいていた。とっくに気づいていた。だから自分もまた、この子にそうしてあげるのだ。それは、何も特別なことではなくて、人として親として、みんなができること。ゼスペリアが見守る優しい世界の姿が、在り方が、そうなのだ。ごくごく普通の平和の繰り返し。それこそが、赦しなのだ。ゼストは、この子を抱ける幸福を、ゼスペリアに感謝していた。
聞いていた人々は、家族愛や、今のこの王都の街並み、それだけを思い浮かべるだけでも、何故なのか涙が止まらなくなっていた。普通の幸福。ゼスペリアの赦した癒しの平和が、自分達の元にあるのだと、はっきりと気づいた気がした。そして誰もが、それを守らなければならないと決意した。無神論者の医者達や、それこそ時東や榎波でさえ、そんな思いに駆られていた。涙が止まらないのだ。守らなけれ、絶対に守っていかなければ。子孫のために。それは自分の子供でなくとも良い。この国自体が一個の奇蹟だからだ。そして世界平和のような大義名分は不要なのだ。自然と生きる、それが守るということなのだと理解した。一つ一つの出来事を、失敗も含めて学びとし、時に空を見上げ、青を見る。快晴の青空は、いつだってゼスペリアが見守ってくれている事を教えてくれるのだと人々は理解した。そして人間としての使徒ゼストの姿に感動した。ゼストは最後に、唱えた。
「――……この空が、いつまでもこの子を見守り、そしてゼスペリアがこの国を癒し、平和を赦し、そのためにならば、守り抜こう。末代まで。この新しい世界で、この子と共にゼスペリアの光の下、一緒に永久の別れまで、どうか歩めるように。全ての信徒、家族、友人と共に、生きていく。この想いを、いつかこの子が読んだなら、きっとその時は、彼の息子に語るだろう。ゼスペリアの見守る青空の福音を――使徒ゼストの息子への祈り」
みんな号泣しながら拍手した。耐性があるレクスまで涙ぐんでいた。
たった一人、ゼクスだけが、イメージの中のゼストと同じように微笑している。
ミュールレイ侯爵はもう泣き崩れていて、膝をついていた。
両手で顔を覆い、泣き声を押し殺している。
「――ゼクス猊下、ありがとうございました。なお、ミュールレイ大教会の内部ですが、使徒ゼストが、ゼスト家の始祖のために作った教会より、ステンドグラスと、旧世界の頃のゼスペリア教において用いられていた子供のための祈りの御使い像、並びに二つの燭台を配置しております。ステンドグラスはゼスト家が所有していたものであり、御使い像は、忠実に兄上が復古し、忠実に再現してあります。また燭台は、ランバルト大公爵家の所蔵していたものを、当時の教会のままに置いてあります。今モニターに写っているものがそうです。是非一度、実際に足をお運びください。また、ミュールレイ王妃がご逝去された際に、ミュールレイ侯爵様は、神父の資格を取得なさっておいでであり、兄上はぜひこの大教会の筆頭聖職者をミュールレイ侯爵様にお願いしたいとご希望されておりますので、ゼスペリア十九世の初の勅命枢機卿位を、お贈りさせて頂くこともまた、ゼスペリア猊下執務院では決定いたしております。王妃様のお考えおよび、国民の平和、人間としての使徒ゼスト、親子というものを、ミュールレイ侯爵様は今後、ミュールレイ=ゼスペリア特別枢機卿として大教会にて広めてくださる事を祈っておいます。ミュールレイ侯爵様、よろしければこの場で、枢機卿位を引き受けてくださるか、筆頭聖職者をなさってくださるか、なにより聖人認定を認めてくださるか、お答えいただけるとゼクス猊下が喜びます」
立ち直ったレクスがそういいながら、多くの頭に浮かんだ教会のイメージの祭壇付近とそっくりな、ミュールレイ大教会内部を写しつつそう言った。ミュールレイ侯爵は、涙を拭きながら、ゆっくりと一度大きく頷いた。
「謹んで拝命致します。ゼクス猊下、本当にありがとうございます」
「――俺は当然のことをしただけです。王妃様が、聖人だったと、俺はそう感じただけです。そしてそんなミュールレイ王妃様をお育てになったミュールレイ侯爵様に教会を管理して頂けたならば、使徒ゼストの願う子供達のための平和がより身近なものになると思っただけです。お引き受け頂き、こちらこそ、本当にありがとうございます」
優しい笑顔でそう言ったゼクスに、泣きながら何度も何度も頷き、ミュールレイ侯爵もまた泣きながら笑った。