【7】使徒オーウェンの恩赦式典――神の怒りの代理――


 そこへ使徒ゼストとランバルトが立ったのを人々は見た。
 ゼストは、ランバルトに一本の銀色の長剣を手渡した。
 ――ゼスペリアの聖剣である。

 ありとあらゆる悪を裁く聖剣であり、黙示録にも出てくるが、最初はゼスペリアを宿したゼストがランバルトに与えたものだとされている。ランバルトが剣を引き抜くと、最初に現実で襲ったものと同じ、黄色と紫色の雷が空に柱のように走った。規則正しく並んでいる部分以外はすべて同じだ。空の色は、噴火による曇天だ。そこへ両手を広げたゼストが祝詞を唱え始めた。それは現実のゼクスの声と非常に強く重なった。すべてが凍りついていく。ゼスペリアの青と同じ色の氷で、磔刑に処された人々が胴体まで覆われていき、周囲には大雪が降り始めた。噴火の灰が雪に変化したのだ。その中で、ランバルトが引き抜いた聖剣を見据えた。その鏡のような表面が拡大されていく。

 すると私腹を肥やしている貴族共が最初に映し出された。卑しく笑いながら金銀財宝に囲まれ、醜く肥えた体で大量の料理を食べ、そして残していく。そうしながら彼らは、食べるものもなく餓死していく民衆を嘲笑っていた。圧政への怒り、暴政への怒りが伝わって来る。違法な行為を繰り返している貴族だと瞬時に人々は理解した。ただ軍法院の人々だけは、通常の刑務所の祝詞ではここまで完璧に再現されることはなく、ゼスペリアの聖剣部分を唱えられる聖職者程度しか見たことがなかった。

 再び聖剣が映し出され、そこには紫色の瞳のランバルトが写っていた。
 若い頃の法王猊下によく似ていた。
 そして再び拡大されると、そちらには、貧しき者に食事を振舞う、正しく誇り高き貴族の姿があった。どこか、英刻院閣下に似ている人物が、ガリガリに痩せこけた布一枚の人々にスープを振舞っている。しかし彼は理解していた。この場にいる人間しか救えないという事実を。涙をこらえて彼とともに善良な貴族は、誇りを持って国を良くしようと奮闘していた。みんなが、きちんと食事をとれるように。彼らは、国を愛していた。

 再びランバルトが剣を見ているイメージに戻る。この、誇り高き人々がいるからこそ、ランバルトは決して許す事ができないのだ。悪を。

 続いて華族が映し出された。こちらも私腹を肥やす者と、善良でまさしく神の血と誇りを受け継ぐ者のどちらかばかりだ。橘宮そっくりだが少し大人にしたような人物が、必死で人々を医術で救っている姿が過ぎっていく。だがそれを見て、馬鹿なことをしていると嘲笑っている華族も沢山いた。こんな事が許されるのだろうか?

 激怒しながら、ランバルトは、ゼストへと視線を向けた。
 世界中の悪意がゼスペリアの与えた苦難だというのならば、ランバルトは信仰を捨てる。はっきりと使徒ランバルトがそう口にした。強い決意が滲んでいた。するとゼストが静かに目を伏せた。そしてゆっくりと目を開く。

「――……ゼスペリアは全てを見ている。決して許されることはない。ランバルトの正当な怒りをゼスペリアは賞賛する。仮にこの怒りを、聖職者が受け取ったならば、その者はゼスペリアの光を永劫手にする事はできないだろう。全ての悪意を、堕天使の権化を、ゼスペリアの器として破壊する。もしも、頭部に頭痛を感じたならば、それはゼスペリアの怒りの瞳が、その者を捉えた証だ。その者は覚悟する事になる。ランバルト、ゼスペリアは決して悪を許さない。そして、平和を願い、怒りという勇気ある行動をした第一使徒を、今後も変わらず生涯の友とする。ランバルトの怒りは、ゼストの怒りであり、ゼスペリアの怒りそのものだ。空が海が大地が、世界の全てが、ランバルトの怒りし時、そのゼスペリアの聖剣に力を貸すだろう――使徒ランバルトの福音書付録ゼスペリアの怒り」

 ゼクスが読み終わった時、空の色は元に戻って快晴になったし、ゼクスが瞬きをすると、濡れて凍りついていた人々の服装や髪が戻った。だが大半が腰を抜かしていて、貴族連中は全員尻餅をつき、後ろにのけぞっている。そうして逃げようとしているらしいのだが、体が動かない様子だった。華族連中は、元々PSY能力が高いから、腰を抜かしている者は半数ほどで、残りは皆、ゼスペリア教徒というわけでもないのに、跪いて両手を合わせていた。それは前方の聖職者全てもそうだ。皆、無表情のゼクスを見ている。民衆も、それまでの優しいイメージしかなかったゼスペリア十九世に対する見方を変えた。違うと気づいたのだ。優しさだけが、ゼスペリアではないのだ。ゼスペリアとは、全てを見通しているのだから、悪意もまた知っている。悪意に気づいているからこそ、平和とは何かを知っているのだと気づかされた。それに気づくことができただけでも、この福音を聞くことが出来て良かったと感動した人間が多かった。きちんと意味があったのだ。そう思えば、刑務所のイメージ等消え去った。勇気があり正義感があり、そして使徒ゼストの一番の友人であったランバルトを皆、心の中で尊敬していた。同時に、本来この祝詞は、人々に悪を罰する勇気を解き、平和とは何かを再確認するものであるのだと認識を改めた。犯罪者を断罪するためのものなどではないのだ。それはただの上辺だけの理解だったのだ。

 さらに、まず名指しされた全員が、腰を抜かしているものも祈っている者も等しく激しい頭痛に見舞われていた。聖遺物まみれのイレイス猊下ですら防ぐことができていないでいるし、PSY防御の服を纏っている橘宮当主の甥ですら吐き気がするほどの激痛を感じていた。福音の言葉――もしも、頭部に頭痛を感じたならば、それはゼスペリアの怒りの瞳が、その者を捉えた証だ。その者は覚悟する事になる。それを思い出し、皆、ゾクリとした。名指しされていない人々の中にも、貴族や華族で自体をニヤニヤ見守っていたり、取り入ることを考えていた人間は、やはり頭痛を覚えていた。聖職者達の中にもそういう者がいた。ゼクスは、しばしの間、無表情で正面を見ていて、それからゆっくりと周囲を見渡した。そして小さく首を傾げた。

「――腐敗を決して許してはならない人々が、ゼスペリアの瞳に捉えられている事が手に取るようにわかる。怒りで大気が震えている」

 ゼクスの声に、周囲がハッとした。確かに空気が振動していたのだ。

「ランバルトの末裔として、そしてゼストの末裔として――なによりも、ゼスペリアの教えを伝えるものとして、俺もまた、決して悪を許さない」

 そう口にし、初めてこの時ゼクスが目を細めて、正面を睨みつけた。
 その場が凍りつき、今度こそ圧倒的な殺気に類似した神聖さが溢れかえった。
 その場にいた人々は、一瞬呼吸ができなくなった。
 胸が凍りついたようになったのだ。まさにゼクスの瞳は、先程のイメージの中で十字架に貼り付けられた人々を凍りつかせたゼストと同じように青く輝いていたのだ。温和や優しさではない、神の怒りの神聖さを正しく伝えるゼスペリアの青の威力は絶大で、悪いことなどしていない人々まで跪き、許しを胸の中で願っていた。その状態がしばらく続き――それからふとゼクスがレクスを見た。するとレクスが頷いた。途端にその場の緊張感が軽くなったが、名指しされた人々のみは動けない状態のままだった。ただし会場中の人びとの頭痛は全て収まっていた。PSY受容体へのOther刺激だと理解していても防ぎようのなかった頭痛の存在に、頭痛を感じた人々は戦いていた。