【9】使徒オーウェンの恩赦式典――背徳者への破門――


 ゼクスの声が響いた瞬間、全員が薄暗い岩壁の教会のような場所を見た。背後では金色の十字架が輝いているとわかるのだが、同時に洞窟のような場所の正面を、金色の瞳をした黒猫が横切っていくのが見えた。これは、闇猫最強の黒い猫面と、金色のカフスのモデルだともされている。断罪者の猫なのだ。その猫を見ている人物が、次第に明らかになった。法王猊下が代々継承している指輪をはめ、同色の宝石製の豪奢な銀枠付きの十字架を下げている、似た赤髪で緑色の青年だ。ヴェスゼストだと、直感的に誰もが理解した。そこは旧世界から存在する、ヴェスゼストが一人で祈る時に訪れる小さな礼拝のための洞窟だった。振り返り、ヴェスゼストは輝いている壁の巨大な金色の十字架を見上げた。

 すると腐敗した聖職者達が、偽りの神を讃える風景が映し出された。

 騙されている民衆、それを利用している聖職者、祀りあげられた哀れな神の化身。漠然とした光景だったから、その祀りあげられている人物が誰なのかはわからないが、おそらくは、ゼスト家の誰かなのだろうと、皆、何とはなしに思った。聖職者達は、まさに今その場に呼ばれた人々のごとく、枢機卿の白い宗教着を来て、その人物を持ち上げている。集まった民衆は、彼らが騙る嘘を嘘とは気づかない。気づいている者も、嘘だと言うことは許されない。絶対的な権力を持つ聖職者の愚かな集団が、民の前でゼスペリアを語っていた。表面上の教えしか読み取れない彼らは、強欲に、数多の聖遺物を身につけて、作り笑いをしている。ヴェスゼストは、友であった使徒や、なによりゼストが残した遺物をそのように使われることが、どうしても許せなかった。

 ――本来は、そこでヴェスゼストは、彼らを糾弾するイメージで終了だ。

 だが、やはりゼクスは違った。完璧に再現していく。ESP知覚情報を得られなくてもPSY知覚情報自体が無理でも、PSY受容体が冬眠状態であっても、ほぼ全ての人間の脳りに映像で再生されていく。こんな芸当は、普通はできない。だが、研究者達ですら、そんなゼクスの能力よりも、ゼスペリアの教えに興味を抱いているのが現状だった。

 許すことができない――けれど。
 彼らを潰すということは、宗教院を、東方ヴェスゼスト派を潰す事にもつながりかねない。信徒は増やすべきであり、友とゼスペリアの教えを広く伝える事こそが自分の使命だと思うからだ。けれど、許せない。だが、自分を信じて布教を託してくれたゼストを思い出すと、どうしていいのかわからない。

 そんな時、苦悩していたヴェスゼストの肩を叩く者がいた。
 金色の十字架越しに醜い聖職者達を見ていたヴェスゼストは我に返り振り返った。
 そこには苦笑している――ルシフェリアが立っていた。
 欠番の第四使徒だ。宗教院には関わらなかったとされているのに、確かに写っているし、誰もがその金色の髪に紅い瞳の人物がルシフェリアであると直感的に理解していた。レクスの髪の色を変えて少し大人にしたら非常によく似ているだろう。

 ルシフェリアは、ヴェスゼストに言った。またここで悩んでいたのか、と。いい加減泣くことを覚えたらどうだ、と。その言葉にヴェスゼストの方が今度は苦笑した。伝承では、ヴェスゼストがゼストを殺したルシフェリアを許さなかったから、ルシフェリアは欠番とされていると言われているのだが、二人は気心が知れた仲であるように見える。だが既にゼストは亡くなっているようだった。

 少しの間二人は談笑していたが、不意にルシフェリアが手紙を差し出した。ルシフェリアは、『ゼストから預かっていた』と言って、ヴェスゼストにその手紙を渡した。遺言だと皆が理解した。驚いたように開封し、ヴェスゼストが中を見る。するとその手紙から、今まさにゼクスが呼んでいる祝詞のように、ヴェスゼストの脳裏に映像が過ぎっていくのがわかった。まず民衆は、優しいゼスペリアの青を連想させられる歌を耳にし、気づくと快晴の空の下に立つ使徒ゼストを見ていた。

 そこでゼストは微苦笑しながら、静かに笑っていた。ヴェスゼストは優しいから、きっと苦労するだろうから、最後にこの手紙を書いたんだと言っていた。背後には、驚くべきことに、最下層に行ったことがある人間のみ見た覚えがあるゼスペリア教会があった。ゼクスの現住所らしき場所だ。全く同じ外見だ。ステンドグラスの窓が特徴的な、ボロい小さな教会だ。ゼストは、今と全く変わらない白い門を開けると、自然に生えている白いかすみ草のような花を見て、屈んで手を伸ばした。

 ゼスペリアの光は、この白い花と同じで、勝手に生えてくるし、どんどん広がっていく。何故ならば、ゼスペリアとは、人間の良心の側面でもあるからだ。そこに、ゼスペリアは宿っているんだから、さらにはそれをヴェスゼストが洗礼で出生時に補強しているんだから、きっとこの新しい世界において、平和を願うゼスペリアの気持ちはみんなに伝わるし、勝手に広がる。だから、ヴェスゼストがやるべき事は、それを阻害しようとする、ゼスペリアの間違った解釈をする人間を止める事だと思うんだ、と、ゼストは微笑しながら、口にしているようだった。

 例えば十字架。シンプルであっても豪華であっても、自分や友人である使徒が残した遺物であったとしても、どれもが等しく同様に、ゼスペリアを信じる正しき心の象徴だ。けれどそれをつけて着飾っているだけで、ゼスペリアを信じないような人物、それはただの背徳者だ。違うか? 例えば、身につけられるからといって、洋服店に入って、勝手に着て、お金を払わず出て行ったら、それはただの泥棒だ。同じように、ゼスペリアの心が宿る十字架を、神の御業を使えるからという理由だけで手に取り勝手に身につけている人は、聖職者ではなく、ただの泥棒だ。ゼスペリアのご加護がある事と、神の御業が使えることは全く別だ。第一、御業が使えるからと言って、泥棒をしていいのだろうか? ありえない。きちんとお金を払い、洋服を買うように、正しい行いをして、ゼスペリアの心を受け取るものとして、聖遺物は身につけなければならない。そうしていない人物を見逃すことこそが背徳であり、ヴェスゼストは、背徳者ではないのだから、泥棒をきちんと追い出さないとならないはずだ。もしもゼスペリアの器を友人であると思ってこの手紙を読んでくれたならば、ゼスペリアを信じて欲しい。この白い花が茂るように、ゼスペリアは世界を見放さないし、一番のゼスペリアの熱心な使徒であるヴェスゼストを苦しませるような未来は来ない。ヴェスゼストは、ゼスペリアあるいはその器である友人を信じるだけで良いし、泥棒を見たら追い出すように、自分の道徳心、ゼスペリアの一つの側面に正しく従うだけで良いんだ。きっと今でも小さな洞窟で祈っているような気がするからはっきり言うけど、教会の建物だってどうでも良いんだ。多くの人が入れる場所なんていらない。一人が、自分の祈る場所を、それぞれ持つだけで良いし、それはこの青空の下のどこでも構わないんだ。それでも教会を建てるのは、背徳者を許してはいけないからだ。ゼスペリア教の意義は、ゼスペリアの教えを、間違った解釈で広げない事なんだ。間違っている人間を正しい道へと戻すことこそが、一番の使命だ。そのためには、一度は破門にして、世界の姿を、ゼスペリアの教えを、身を持って学ばせなければならない場合もあるだろう。けれど、それこそがゼスペリアの与える試練であり、悪に人々が耐えることは試練ではない。悪が生まれし時、それを追放し、その者を正しき道に戻すためにゼスペリアの名のもとに、選ばれたヴェスゼストは破門をするのが、ゼスペリアの器として思うヴェスゼストの使命だ。一番辛い仕事だ。けれどそれが、背徳者への一番の優しさなんだ。ゼスペリアの優しさを誰よりも知るヴェスゼスト以外にはできない御業だ。――見ているだけではダメだ、行動せよ。これは、ゼスペリアの器が使徒ヴェスゼストに学んだ言葉だ。自分自身でそれを実践していかなければならない。違うか? ゼスペリアの器として、最後までヴェスゼストの優しき心と行動力を信じている。だから、断罪者の猫を抱きしめて、使徒ヴェスゼストは、背徳者を破門して行く事を願っている。それこそが、ゼスペリアの教えだ。

 その内に、手紙の上にぽたぽたと雫が垂れた。ヴェスゼストが涙をこぼしていた。
 なんでもっと早く渡さなかったんだとルシフェリアに言っている。
 するとルシフェリアが、苦笑した。ゼストが、できれば渡さないで終えろと言っていたからだと口にした。

 ――本当はこんな事をわざわざ書かなくても、ヴェスゼストはわかっているだろうけど、それでも優しいから、悪事を働いた聖職者であってもきっと追い出せないで悩むだろうから、すごく不安だから書いておくけど、それでもヴェスゼスト自身の判断に全てを任せたい。だって、ゼスペリア教は、法王猊下はヴェスゼストだ。ゼスペリア猊下というのが自分の息子や子孫だとしても、それはあくまでもゼスペリアの心や光の象徴であり、その一番の使徒であり信徒であり続けるのは、法王猊下なんだから、口出しすべきじゃないと思ったんだ。だけど。ゼスペリアの器として、法王猊下が苦悩していたら、放っておけないだろう? そして仮にゼスト・ゼスペリアがゼスペリアの器でない場合であっても、末裔は永久に、ヴェスゼストの認める代理、法王猊下を友とし、生きていく。友情もまた、一つのゼスペリアの側面で、それを教えてくれた使徒全員の代表もまた、ヴェスゼストだから。悩んだ時には、この手紙を渡す前に、まずはみんなで相談にのってあげるように。

 そのようにゼストは言ったのだとルシフェリアは微笑した。涙を拭ったヴェスゼストが、岩壁の天井を見上げた。ゼストには叶わないな、と、それからポツリと呟き微笑んだ。そして一度大きく頷き、ルシフェリアを見た。ルシフェリアも満足そうに笑っている。

 直後、民衆の前にヴェスゼストは向かい、破門を宣言した。
 先程までとは一切異なる冷徹な瞳で、背徳者を糾弾した。
 そして、自分達がいなくなったら困るだろうと笑う者も構わず追い出した。
 本当に追い出されると思っていなかったらしき人々が、後に懇願してきても、ヴェスゼストは、それこそがゼスペリアの与えし苦悩であるからというゼストの手紙を何度も読み返し、決して許す事はなかった。それこそが――優しさだから。

「――優しさだから。よって以後、ヴェスゼストとその代理は、背徳者を破門し、二度と復帰を許さず、ゼスペリアの試練を与えると決めた。その者のために。これを耳にした聖職者は、断罪の猫の裁きを受ける。それはゼストが最後にヴェスゼストに残した友情の証である。猫の爪を受ける前に、ゼスペリアの黒翼によりその命を失う前に、背徳者がヴェスゼストやその代理の前から姿を消すように、ゼスト・ゼスペリアもまた決意している。悪しき背徳者よ、自ら出て行くが良い。そして試練を知り、破門の後に、本当のゼスペリアの心を知れ。優しきヴェスゼストの行動力が発揮される前に、去れ。そうでなければ、その背徳者は、ヴェスゼストを支える全ての使徒と――ゼスペリアの怒りを買うだろう。救済される機会を受け入れて、さぁ、去るが良い。救済無き世界においては、ゼスペリアを二度と理解できなくなるだろう。その前に、ヴェスゼストが友であった信徒を破門する苦悩を変わるのだから、ヴェスゼストの優しさに感謝して、光の道へと戻るのだ。身を清め、悪を浄化し、そして、正しき道、ゼスペリアの本当の教えに目覚めなければならない。それこそが、ヴェスゼストの優しさであり、ゼストの最後の言葉である――……ヴェスゼストの福音書付録背徳者への破門」

 ゼクスの言葉が終わった時、ほぼ全ての人間が泣いていた。今までのイメージとは全く変化してしまった破門の福音。ヴェスゼストの、法王猊下の優しさ、辛さ、苦悩、ゼストの心遣い、ルシフェリアの励まし、そんな、本来のゼスペリア教の姿がひしひしと伝わってきた。東方ヴェスゼスト派の意味を、真実を、存在意義を理解した気持ちになったものが多かった。これまでは単純に腐敗した聖職者を正義感が強いヴェスゼストが追い出しただけだと思っていた人間ばかりだったから、逆転した価値観に、その優しさに涙が止まらなくなった。破門という概念が変化した。感動ですぐに拍手の漣が起きた。さらに聖職者の大半が、自分の矮小さを知った。枢機卿議会のメンバー達ですら、ボロボロ泣いていた。