【1】ZX
救済戸籍のゼスペリア姓の孤児の場合は、正式記録としては公表されず仮名で記載されるのだが――ZXとなっている最下層の子供一名が、IQの国内最高記録を叩き出した。
若干三歳にして、IQ5000以上測定不能の論理・数理・総合の値、およびPSY値もPKとESP――それだけではなくOtherまで10000以上の測定不能値を叩き出したのである。
各種技能評価も十年に一度出るかでないかの免除であり、音楽や美術といった全ての方面においての完璧な天才だと判明したのである。
よって最高学府の入学許可どころか滅多にありえない飛び級、それ以上の、紙テストのみでの資格授与要件が与えられ、三歳から五歳までの間、その人物は最高学府の各学部――どころかありとあらゆる博士号や難関資格を取得し、医療院での勤務許可さえ入手してしまったのである。
無論、誰か教えて引き取らせろという連絡が絶えなかったが、誰も答えなかった。
ゼクスのことだからだ。
――なお、本人にはこうした記憶はほとんどない。
この頃から、ゼクスは、自分が病気だと知っていた。
ゼクスは、アルト猊下と同じ、特異型PSY-Other過剰症の単体、絶対補色・青の過剰という病気だったのだ。
それはただでさえ、英刻院と美晴宮という高貴な家柄の絶対補完補色による輸血形態による治療が必須の難しい病だが、ゼクスの場合、ハーヴェスト家にしかない混雑型PSY血核球による輸血補佐およびOマイナスという生体血液型が災いして、非常に医薬品の入手と生成が難しい状態になっていた。
PK過剰ではないが、そちらの病の方で体内がPKで傷つくことも多いし、ESPも欠乏していないが、Other過剰は身体機能を同じように落とす。
その上、アルト猊下のように後天性ではなく、レクスのように出生直後に処置を受けたわけでもないから、三日に一度は点滴の日々だった。
成長してやっと二週間に一度、月に一度と減ってはきたが、代わりに自己保存のための献血が増えた。
ザフィスがいたからこそ、アルト猊下用の研究のためだと言って医薬品を入手する事や、自己保管手続きが可能だったと言える。早急に治療できたのもそのおかげだ。
赤と緑に関しては曽祖父達が提供可能だったし、血核球はザフィス自身が保有していたのも幸いだった。そしてOマイナス血液は、稀血ではあるが他に比べれば医療院に多数あると言えた。
次第にOマイナス状態の血核球も、ゼクス自身の保存分で少しずつ増えていったから、免疫不適応による拒絶反応的症状が出る頻度も少しずつ減った。
世間の黙示録様相は悪化の一途を辿っていたが、ゼクスの体調は良好になっていったので、皆はそれを喜んだ。