【2】ゼスペリア教会孤児院の朝
ゼスペリア教会の朝は早い。
――現在、午前四時。
毎朝同様この日も、ゼクス=ゼスペリアは目を覚ました。
正直、眠くないといえば嘘となる。
しかしこれがゼスペリア教会孤児院の筆頭牧師としての職務だからと気合を入れる。
まず寝巻きの黒いダボっとした服から、牧師服に着替える。
そして首元に、ゼスペリア教会孤児院の筆頭牧師の証である黒い羽型のカフスを嵌め、金色の十字架を下げ、左右の腕の袖の手首部分に金色のボタン型カフスを嵌める。これが一日の始まりだ。
それからシーツと枕カバーを取り去り、掛けていた毛布を畳んで枕を乗せる。
そうして階下へ向かい、寝巻きと白いシーツ類を手に、洗面所へと向かい、洗濯機に放り込む。そのまま洗濯機を回しつつ、顔を洗って歯磨きだ。ヒゲは生えない体質らしい。
一度、キッチン兼ダイニングの小さな部屋に向かい、木製の簡素な机の上の皿を見る。
ケチャップで汚れたその皿は、誰かがナポリタンを完食した証拠だ。
ここを『ゼスペリア教会食堂』などと勝手に呼んでいる、最下層のガチ勢五籍――即ち、階層階級制度に属さないため本物の戸籍は持たないが、暗殺者稼業で多重戸籍を有している誰か(ガチ勢)が、食事をしていったのだ。
昨夜、就寝前に誰か来た気配(本人は隠しているつもりらしかった)がしたので、ゼクスがテーブルの上に乗せて置いたのである。これも、よくあることだ。その気配の持ち主は、何やら孤児院部分にあたる二階で現在も眠っている様子である。
そこを彼らは『ゼスペリア教会の宿』なんて呼んでいるが、ゼクスは黙認している。
三日に一度は、このようにして誰かが泊まりに来るからだ。これも物心が付いてからずっとであり、前任の筆頭牧師も黙認していたので、引き継いだ伝統である。
――ゼスペリア教会孤児院内及び周辺は、揉め事禁止。
そう決まっているため、臨時避難所でもあり、ガチ勢にとって安心して休める場所の一つとなっているのである。そんな事を考えながら、皿を流しに置いてから、コップを片手に冷蔵庫を開けて、ライチジュースを注いで飲んだ。冷たい甘さが喉を癒し、体に染み渡っていく。
次第に目がきちんと覚めてきて、コップを流し台に置いてから、今度は珈琲を淹れた。そして煙草に火を点けた。無意識に寝起きの一服、いつの間にか二本目は吸っていて、これは三本目となるが、意識的には朝の最初の一服であり、これもいつもの事である。
ゼクスは、いつでもどこでも即座に寝付いて熟睡できるのだが、非常に朝に弱く低血圧なのだ。こうして今度は褐色の熱に癒され、煙草に肺を満たされ、ようやく朝の準備が整った。最後の欠伸をした後、立ち上がり、カップもまた流し台に置く。インスタントの珈琲の粉が入った瓶とポットは、常にテーブル上に出しっぱなしである。
午前五時。
一階の住居スペースの奥に入口がある礼拝堂へと向かう。
本来そこが『ゼスペリア教会』であり、ゼクスが暮らしている場所は、孤児院の一階と二階、ガチ勢の宿泊先は孤児のための部屋だったりする。孤児は誰もいないのだが、ロフトで二段になっているベッド――四人で一部屋の孤児の部屋が二階奥に二部屋あり、逆側奥には筆頭牧師室とゼクスの部屋がある。全部で四部屋しか存在しない。なお孤児の部屋が、『宿』と化している。
礼拝堂の右奥の扉の向こうへ進み、何も無いその部屋で、ゼクスは濃い緑色の薄っぺらい座布団の上に正座した。この座布団は、常時置きっぱなしである。そして左手首につけっぱなしの翡翠色の数珠を見る。別段ファッションという訳ではなく、これは一応きちんとした、数珠である。本当は五本で一つなのだが、普段は一本しかつけていない。
「朝の勤行」
ゼクスはポツリと口にした。本当は、この後、超長々としたお経を唱えるのが正式なのだが、スペシャル簡略により、最低限これだけ言えば良いようだ(という事にしている)。前任の筆頭牧師であったラファエル=ゼスペリア牧師も面倒な時は、こうしていたからだ。
その頃は、座布団がもう一個あって、ゼクスはそこに座っていた。
ラフ牧師は、救済戸籍孤児であるゼクスの育ての親である。
当時は、ゼスペリア教会孤児院にも孤児がいたのだ。ゼクスのみではあるが。
そしてこれが、ゼスペリア教会孤児院の朝の始まりである。
それから両手を合わせて、合掌ポーズをして瞼を閉じた。
黙祷である。
不思議とこうしていると、頭の中が冴えてくる。条件反射かもしれない。
「恩緑羽万象院のお勤めの終わり」
十秒くらい目を閉じた後、そう口にして、最初の儀式は終了した。恩緑羽万象院がなんなのかをゼクスは知らないが、定型句だろうと判断している。きっとこれは、東方ヴェスゼスト派の各流派のどれかの儀式なのだろうと判断している。ゼスペリア教会孤児院が、ちなみにどの流派なのかは、いまいちよく分からない。
それから右手の薬指に嵌めっぱなしの、ピンクゴールドの指輪を見た。小さな黄色い石が嵌め込まれている。トパーズに見えるが、おそらくはフェイク品のただの硝子玉だ。
最下層の教会に、本物の宝石などあるわけがないのである。
ラフ牧師は、「本物だ」と言っていたが、ゼクスは信じていない。
こちらも本当は、小指と親指の指輪もあるのだが、邪魔なので普段はつけていない。
して二番目の朝の儀式ではこれを用いる。一番目は無論、さっきの数珠だ。
「朱匂宮の朝啼鳥」
静かにそう続け、今度は人差し指と中指を立てて、両手の指先を合わせて三角形を作る。親指の先も合わせる。薬指と小指は折り曲げて側面を合わせる。
「清涼なる御霊の宿る澄み渡りし聖浄なる朝の風、朱の院、鴉羽が飛ぶにつき、ここに朝の儀とする」
これもまた、本来は朱色の扇を持って踊りながら、長々と謎の祈りを唱えるのだが、超簡略化し、これで良い事にしてある。この定型句の意味も分からないが、ゼスペリア教会の規則だ。ここまでで、朝の準備は終了となる。
そのまま礼拝堂に戻り、祭壇の前に立った。
木製の祭壇の上には、備え付けの分厚く巨大な聖書が乗っている。
薄い緑と灰色の、ほぼ白に近い聖書には金の模様が刻まれている。
内容は、解説と序章・旧約聖書・新約聖書・注釈と歴史解釈である。
開かずとも、一応頭には入っている。その辺は、さすがは牧師であるし、ラフ牧師の教育の賜物であり、なんというか門前の小僧習わぬ経を読むというようなものである。
まずゼクスは、就寝時も付けっぱなしの、牧師服の中にある自分の十字架に、服の上から触れた。その後、朝になって身に付けた、比較的ゼスペリア教会比では豪華な金色の十字架に触れた。こちらは長い首飾りのようなもので、長い鎖部分も金色だ。
こうして、やっと東方ヴェスゼスト派のイメージに近い、朝のお祈りが始まる。
本来これは、午前中のもっと日が高い頃(他の教会では午前十時頃)に行うのだが、別に時間指定は無いので、面倒だからゼクスは他の二つの朝の準備後、大体そのまま、朝のお祈りを行っている。
「敬虔なる下僕が朝の祝詞を捧げる。使徒ヴェスゼストの福音、第二章、第一節、主の青碧による信徒の目覚め、より――ゼスペリア教会孤児院筆頭牧師、ゼクス=ゼスペリア牧師」
ここからは、一応きちんと、新約聖書内の第二使徒ヴェスゼストの福音書を唱えるのである。第二使徒ヴェスゼストとは、東方ヴェスゼスト派の開祖であり、法王猊下とはヴェスゼストの代理である『人間における最高の信徒』であり『使徒ヴェスゼストの代理』らしいが、あまりよくは知らない。
その後、つらつらと祝詞を唱え、第一節から第五節までの、第二章全部を唱えてから、ゼクスは、右手の人差し指と中指、親指を合わせ、他は折り、左肩・右肩・額・胸の順で十字を切った。胸部分は、金の十字架の少し上、鎖の間である。
「――以上をもって、朝の祝詞とする。ゼスペリア教会孤児院筆頭牧師、ゼクス=ゼスペリア牧師」
最後にこう口にして、朝のお祈りは終了である。
先に行う準備の二つは、十分もかからないが、祝詞は短縮できないので、現在、午前七時手前になってしまた。つまり二時間くらい唱えたのである。
無論、死ぬ程面倒くさい時は、
『ゼクス=ゼスペリアが朝のお祈りをする――黙祷、ゼクス=ゼスペリア牧師』
の一言を口にして、十字を切って終わりと出来るが、それは、ゼスペリア教会孤児院の外にいる場合だけと決まっている。
なおその場合は、事前準備二つは、やらなくて良いと決まっている。右手薬指の金色と、右手首の翡翠色の数珠だけ嵌めていれば良いそうだ。
朝のお祈りの方は、左手小指に付けっぱなしの、銀色の指輪があればいいらしい。そちらには、黒い石が嵌め込まれている。ラフ牧師は「本物の黒曜石だ」と言っていたが、ゼクスはこちらもイミテーションだと確信している。本来はこれも、左の中指と人差し指に嵌める指輪が存在するのだが、普段はつけていない。ちなみに両手に指輪を完全装備した場合、左右対称の銀と金みたいになる。
こうして午前七時頃、小さなキッチンへと戻ると、上の孤児院部分の気配が消えていた。きっとガチ勢の者が帰っていったのだろう。大体の場合、接触する事はない。これは双方の暗黙の了解である。
再びライチジュースを飲んだ後、煙草を加えて、ゼクスは朝食を作り始めた。
薄く切ったベーコンをカリカリに焼き、卵を落として目玉焼きも作る。それを冷蔵庫に入れておいた昨日のあまりのレタス、キャベツの千切り、茹でたコーンを盛り合わせた皿に載せ、メインのおかずとした。野菜は全部、孤児院街の他の教会孤児院からの貰い物であり、ベーコンのみ購入して、薄く切ってちょっとずつ食べている。
購入費は、勝手に宿泊していくガチ勢が宿泊代兼食事代のつもりなのか置いていく、銀貨を貯めたものだ。その結果、最下層の有籍者平均と比較すれば、そこそこ良い食生活を送ることができている。ライチジュース(こちらも貰い物)を一口のみ、非常に薄く切ったバケット(これは自作)と、塗るクリームチーズ(これは購入品)をテーブルに並べた。ラフ牧師がみんなを泊めていたのも、これが理由だとゼクスは考えている。
「パンを預かれる謝意を、主に捧げる――いただきます」
宗教院で決められている、信徒の食事前の祝詞を口にした後、両手を合わせた。食事の開始である。普通の人々は、「いただきます」しか言わないので、ゼクスも外では「いただきます」しか言わないが、ゼスペリア教会孤児院内では、一応言わなければならない。
パンにクリームチーズを塗って噛じり、フォークでおかずを食す。
昔から最下層の孤児やガチ勢(であるつもりは無いがそう認識されている)と比べると、ゼクスは少食で、食べるのがゆっくりだ。外で食べると「遅い」と言われる事が多い。
なので滅多に外では食べない(し、外食する金銭的余裕も無い)。これは、孤児は食べるものがないので、見つけるとガツガツ食べるからであり、ガチ勢はいつ襲われるか分からないから早食いだからである結果だ。
ゼクスも食べる物が無い日々や、危機的状況に陥る場合もあるのだが(何故なのか、腕試しに襲って来る人々がいるのだ)、そう言う場合、現在では『食べない』という選択をしている。
こうして約一時間程かけて食事をし、午前八時を過ぎた所で、再度珈琲を淹れて、また煙草を銜えた。ゆっくり食後の一服をした後は、全てのお皿やコップ、カップ等を洗う。それから、洗濯が終わっているので、庭に乾しに行くのである。
これが朝の日課であり、この時やっと教会の鍵を開けるのであるが、ガチ勢には鍵は有って無いような物であるらしい。それに関しては、物心ついた時からそうなので、ゼクスは慣れきっていた。
その後、古びた大きいジョウロに水を汲み、白いフェンスのそばに自生しているハーブ類にお水をあげる。勝手に生えているのだが、大切な食料でもあるので、昔からお水をあげているのだ。ついでに、雑草と区別がつかないお花にも適当に水をあげる。小さい白い花が沢山咲いているのだ。白詰草で無いことは分かる。かすみ草にちょっと似ている。
それが終わり、ジョウロを定位置の、小さな像についている水道脇に戻してから、白いフェンスの中央、教会玄関の真正面にある門を開けて、ゼスペリア教会孤児院の朝の作業が終了となる。この頃には、大体九時半を回っている。
教会は、午前十時までに開ける規則なのだ。そして本来は、十時から朝のお祈りなのだが、誰も来ないので、これで良いのである。
このようにして、この日もゼスペリア教会にて、ゼクスは朝を迎えた。