【3】慈善救済活動
さて、本日は、月に一度の、貴族院による、慈善活動の日である。
時刻は午後一時からと決まっている。
これは、貴族院の筆頭貴族である英刻院大公爵家が代表となり、英刻院家以外は、持ち回りで十二の貴族家から最低一人参加して行われる活動だ。複数くる場合や、家令等の付き人が着いてきたり、場合によってはその人々が代理できたり、場合により様々ではあるが、毎月必ず一度、二十名近い貴族院関係者がやってくる。
貴族院というより、貴族自体の慈善事業だ。絶対必ず来るのは、英刻院家当主の英刻院藍洲大公爵閣下である。ここ数年間は、藍洲の一人息子である英刻院瑠衣洲伴侶補殿下も来るようになった。
ただし、伴侶補になってからは、多忙なので瑠衣洲が来る頻度が減った。英刻院閣下の方は、王宮内の政府宮で宰相をしていた頃も決して休まなかったのだが、伴侶補はあるいは宰相職よりも忙しいのかもしれない。ゼクスは勝手にそう思っていた。
伴侶補とは、次期国王となる王位継承権が、王妃と婚姻するまでの間、伴侶候補として待機している人間で、通常二名選ばれる。その後、王妃が決まったら、王妃及び国王陛下――継承前であれば、第一王子殿下と妃殿下の仕事を補佐するのが仕事である。
王妃候補の準妃という立場なので『殿下』と呼ばれる。第一王子というか、一人きりの現国王陛下の実子、花王院青殿下が次の国王陛下であり、瑠衣洲と、華族院筆頭美晴宮家の美晴宮朝仁親王殿下が、青殿下の伴侶補だ。
華族は美晴宮家の人間を『親王殿下』と呼ぶので、そう広まっている。榛名と副は、瑠衣洲と朝仁の雑用係として、表向きは王宮に勤務しているわけである。ちなみに宰相とは、国王陛下の政治活動を手伝う者の中で一番偉い人だ。
ゼクスは、久方ぶりに、左手に銀の指輪を全て嵌めて、ゼスペリア教会から出た。なにやらこの指輪群が、ゼスペリア教会筆頭牧師の正式な持ち物らしいのだ。ただし、許可が無ければ後任に譲ってはならないとラフ牧師に言われた。
だが、誰が許可するのか聞いたら「法王猊下だ!」と言われた記憶がある。雲の上の存在過ぎて生涯で一度も直接会うことはないと思うので、許可の取りようがないのだが、とりあえず後任どころか孤児もいないので、ゼクスは普段は忘れることにしている。
銀の指輪は、中指にまず二重の指輪が嵌る。銀の細い指輪が二本、僅かな隙間を空けてくっついているのだ。そこに、サファイアそっくりの深い青色のキラキラした巨大な宝石らしきものがくっついているのだが、ゼクスは絶対にイミテーションだと確信している。
が、どこからどう見ても、本物の宝石のサファイアみたいに綺麗だから、たまに本物かなぁと思ってしまうほどだ。無論、本物のサファイアで、しかもこんなに大きいものが最下層の教会の牧師の装備品であるはずはないので、模造品確定なのではあるが、見ている分には綺麗なので良い。
続いて、人差し指の指輪には、銀の細い指輪が一本嵌る。こちらには、水色に近いキラキラした宝石のようなものがくっついている。ラフ牧師は、「アイスブルートパーズというんだ」と言っていたが、そんな名前は初めて聞いたので、きっとこれはただの宝石っぽい石なのだろうと思っている。サファイア的な石よりは、すごく小さい。しかし指輪の宝石としては、十分存在感がある大きさだ。
なお、その左右には、ダイヤみたいな透明な石が指輪の中に埋め込まれるように嵌っている。ちなみに毎日つけっぱなしの小指の指輪にくっついている、こちらも埋め込み型だが一部外に出ている黒曜石に似た光る黒い石よりは、ダイヤは小さい。黒曜石みたいな石は、アイスブルートパーズより一回り小さいだけである。
さて、まず中指と人差し指の指輪を少し緩く半円形に繋ぐ、銀の鎖が存在する。その外側に、今度は人差し指と小指の指輪を接続する長い銀の鎖を付ける。かなり余裕を持たせて緩くしてある。これで、ゼスペリア教会筆頭牧師の証だという銀の指輪群は完成だ。
一応ロステク記録装置に再現手順を入れて、亜空間取り出しを可能にしているので、やろうと思えば(そして忙しい時や急に誰かが来た時は)、瞬時に左手に嵌める事ができる。
しかし普段は、ゼスペリア教会の地下の物置みたいな所の箱に入れていて(そこを亜空間と繋げている)、暇なので自分で地下へ行き、自分で嵌めている。これはロステクPSY融合科学を使用するため、徒歩で降りる方が楽だし、そちらを使うと疲れるからだ。
何故わざわざ銀の指輪をきちんと付けて出迎えるかというと、貴族への礼儀というよりは、英刻院閣下が不機嫌な顔をするからだ。
つけるのをサボっているのが見つかると、非常に不機嫌そうな目をして、お説教が始まるのである。さらに首元の二つの黒いカフスを付け忘れていたりしたら、大激怒するのである。
さて、指輪をきちんとつけ、黒いカフスを二つ、金のボタン型カフスも二つという出で立ちで、孤児院街のメインストリートの広場方向にゼクスは向かった。
本日はラフ牧師が不在なので、ゼクスが一応この場の監督官となる。孤児は一人もいないが、ゼスペリア教会孤児院が、一応、救済孤児院の筆頭教会であり、この孤児院街で一番地位が高い。ただ、孤児がいるハーヴェストクロウ大教会の方が、大きいし食事も出るし、明らかにゼスペリア教会よりも裕福だ。ラフ牧師は現在そちらの筆頭牧師をしている。それでも一応、ゼスペリア教会が、筆頭である。
理由は、ゼスペリア教会が、ゼスト・ゼスペリア猊下直轄の教会で、救済戸籍の『ゼスペリア姓』を認定配布する教会だからである。なお、最下層以外では、『ヴェスレイス姓』が孤児には与えられる。最下層のみ『ゼスペリア』だ。ゼスペリア猊下のご慈悲により、最下層にも有籍が認められた歴史があるらしい。
なので、ゼスト・ゼスペリア家の人間と、救済戸籍のゼスペリア姓の人間以外は、『名前=ゼスペリア』と名乗ってはいけないらしい。無論、ゼスペリア猊下は貴族爵位等もあるため、本名はとても長いようだが、簡略化した場合だそうだ。現在は、ゼスペリア十九世らしい。
救済戸籍のゼスペリア姓の持ち主は、一応、ゼスペリア猊下の特別養子という位置になるそうだ。なおヴェスレイス姓は、法王猊下の特別養子という位置づけらしい。これは、ゼスペリア猊下は、生まれながらに法王と同等の存在で、法王猊下は東方ヴェスゼスト派を開いた、使徒ヴェスゼストの代理として選挙で選ばれるからだそうだ。ゼスペリア猊下の方は直系長男が継承するそうである。
というわけで、ゼクスは、全救済戸籍孤児代表者であり、直轄のゼスペリア教会の筆頭牧師なので、貴族院の慈善活動の際は、必ず顔を出さないとならないのである。よって、絶対に来る英刻院閣下、及び大体来る瑠衣洲とも月に一回程度顔を合わせているというわけだ。慈善活動終了後、代表の英刻院閣下がゼスペリア教会の礼拝堂でお祈りするまでが決まりで、その間に他の貴族院関係者は帰宅するのである。
広場につくと、すでに慈善活動は始まっていた。
開始の挨拶などは無いのだ。各自現地集合した後、まずは集合した孤児達と雑談したりして戯れ、親睦を深める。牧師や神父は見守る係だ。そして季節によるが、花壇にお花を植えたり、植えた花の成長を見たり、お水をあげたりするのが基本だ。その後、貴族院関係者が、持参したクッキーなどを振る舞い、お茶を飲んだりして終了である。
実際には、孤児院街の教会の総合金銭管理をしている左奥の教会に、寄付金を置いていくのが主要な目的であり、遊んだりするのはポーズである。同時に、慈善救済診療所にも寄付されるので、時東も途中から顔を出すのが通常だ。今も、ボロい木製のベンチというか、木の板を台に乗せたもののそばで、タバコを吸いながらみんなを白衣で眺めている。木漏れ日が長閑だ。
「――随分と鴉が騒がしいな」
その時、気づくといつの間にか、右の斜め後ろに立っていた英刻院藍洲が静かに言った。
金で爵位を買った英刻院なんで呼ばれるらしく、びっくりする程の美貌の持ち主である。ゼクスは、藍洲と瑠衣洲をとても綺麗だと思う。
金糸の髪に、白磁の肌、紺よりの紫色の目をしているのだ。もちろん、造形も美しいのだが――無表情でスッと目を細めていると、ちょっと怖い。だが、貴族院の人々の前では大体嫌味にニヤニヤ笑っているため、こういう素の表情の方が、ゼクスは好きだ。
念のため空を見上げてから、ゼクスは首を傾げた。
鴉など一羽も飛んでいなかったからである。
「ゼクス、少し早いが祝詞を聞かせてもらえないか?」
「ん? ああ」
ゼクスが頷くと、英刻院閣下が歩き出した。
その後は、ゼスペリア教会の礼拝堂で、ゼクスは祝詞を読んで終わった。
さて、午後四時となったので、ゼクスは気分を入れ替えて、夕方のお祈りをすることにした。藍洲の前でも散々祈っていたわけだが、これは定例の祝詞なのでまた別だ。
「敬虔なる下僕が夕方の祝詞を捧げる。使徒ヴェスゼストの福音、第五章、第一節、主の紺碧による信徒の黄昏、より――ゼスペリア教会孤児院筆頭牧師、ゼクス=ゼスペリア牧師」
こうして祭壇の前で、つらつらと第一節から第五節までを読み上げて、夕方のお祈りは終わりに近づいた。
「――以上をもって、夕方の祝詞とする。ゼスペリア教会孤児院筆頭牧師、ゼクス=ゼスペリア牧師」
これで完全に終わりだ。六時半を回っている。大体いつもと同じ時間だ。そしてここからは、朝と逆の順序で、奥の何もない部屋で、一日のおしまいの準備をするのである。考えてみるとこれらは、東方ヴェスゼスト派の行いではなくて、先ほど藍洲と話した万象院や匂宮関係の儀式であるような気もする。
「朱匂宮の逢魔ヶ刻の鵺の儀」
思えば完全に、『朱匂宮』と言っている。何故今まで気付かなかったのだろうか。それが黙示録で言うところの「本当は気づいていたが認めなかった」という部分なのだろうか。そんなことを考えつつ、朝と同じように、人差し指と中指を立てて、両手の指先を合わせて三角形を作った。親指の先も合わせ、薬指と小指は折り曲げて側面を合わせたのであるる。文句が違うだけで、これも簡略化しているから、直ぐに終わる。
「御霊が眠りし闇月の訪れ、聖黒なる宵の明星、朱の院、鵺が飛ぶにつき、ここに逢魔ヶ刻の儀とする」
これで終了だ。次で、本日の宗教的仕事自体が終わる。
「夜の勤行」
呟いてから、こちらも朝同様両手を合わせて、合掌ポーズをした。そして黙祷する。朝はこれをやると何故か眠気が消えるのだが、終わりの場合は、なんだか一気に体から力が抜ける感じがするのが常だ。
「恩緑羽万象院のお勤めの終わり」
これも思えば、完全に『万象院』と言っている。十秒くらいで目を開けてから、そう考えて、とりあえずゼクスは立ち上がった。これで全てが完了である。時刻は七時手前だ。これもまた、普段と変わらない。本来は、朱匂宮の儀式の方は夜七時頃、万象院の方は夜八時頃に行うらしい。しかし『頃』なので、ゼクスはいつも一気に行う。大まかに見れば十分『頃』として良いだろうと勝手に思っているし、ラフ牧師も大体こんな感じだった。
そんなこんなで、いつもゼクスは、夜の七時くらいに、ゼスペリア教会孤児院の門を閉じる。以上が、ほぼ無職だと言われている、ゼクスの一日の終わりである。後は眠るだけだ。。
――ゼクスは、昔から同じ夢を繰り返し見る。
そこは真っ青な青空の下で、瓦礫のような廃墟が広がっている場所だ。
もしもこれが夕暮れの夕焼けの中だったら、午後のお祈りを読んでいると度々浮かんでくるイメージに似ているだろう。あれは、旧世界の終末の記録とそこから主であるゼスペリアを宿した使徒ゼストによる救いの記憶であるらしい。ならばこの青空は、救われた後なのだろうかとゼクスは考える事がある。
夢の中には、ゼクスにそっくりの人物が立っている。
背後には、ゼスペリア教会によく似た建物があるのだ。その上、自分と同じ牧師服。
なお、この夢の中の人物は、決まって似たようなことを話しかけてくるのである。
「使徒は見つかった?」
「……」
「ゼクス、使徒探しはどう?」
「どうって……あのな、黙示録なんて起きないし、使徒なんているわけないっていつも言ってるだろ?」
「いやでもほら、俺は使徒ゼストだし、黙示録を書いたけど?」
「自称だろ? お前だってどこからどう見ても俺だし」
「けどゼクスが小さい頃から、俺は、この姿だよね?」
「それは……そうだけど。でも、後ろにゼスペリア教会があるしな。周りは午後のお祈りの風景を夕焼けから真昼間にした感じだけど、どう見てもゼスペリア教会だ」
「俺はゼルリア神殿と呼んでいたし、最下層と呼ばれるここは、本当のゼルリアで、まぁ古ゼルリアか。昔はゼガリアだの是我芦原って呼ばれてたって説明したし、俺が滅亡の時にいた地下の礼拝堂もイリスの礼拝堂も青照大御神大鏡や打掛も、万象院旧本尊も全部確認してまだ否定するの?」
「……そう言われてもな……確かに全部あったけど、俺しか入ってないし、プロに判断してもらわないと本物かわからないけど、自称ゼストのお前が俺以外立ち入り禁止を命じてるんだ。それだけ守ってるんだ」
「大丈夫。俺予測で、絶対この一番重要な夢を誰かが閲覧する」
「なんでわかるんだ?」
「普通夢記憶痕跡を辿る場合、『使徒探し』『黙示録』『ゼスト映像』『旧世界滅亡』とかのキーワードでかける。その他にも本日の俺は、沢山ヒットしそうなワードとPSY色相を放ってる。だから間違いない。七つの大罪には絶対に対処しなきゃダメなんだからね」
「へぇ」
「それで、黙示録はきちんと書いてある?」
「……」
「――とにかく、使徒ゼストが俺だと信じて、ちゃんと使徒を探すように」
「……」
「返事」
「……」
「それと、敵のマインドクラックにはくれぐれも気をつけてね?」
「……」
「マインドクラックっていうのは、偽物の記憶や歴史を頭に刷り込まれるんだ。抜け出す手段は、絶対に本物だと確信できる記録を残しておいて、それと照合する事だけなんだ――だけど、それってすごく、難しいでしょう?」
「……」
「だってゼクスは、俺が記した聖書すら信じてないし」
「――英刻院閣下が書いた聖書だったら、俺、信じても良い。ザフィス神父のカルテなみに正確に書いてありそう」
「ああ、そう。兎に角、使徒を探すのと、黙示録の確認! これだけ!」
ゼクスが頷くと、自称使徒ゼストが苦笑した。
それから彼が瞬きをした瞬間――ゼクスは目を覚ました。もう朝になっていた。