【1】襲撃事件




 事態が急変したのは、法王猊下と配偶者陛下の舞洲猊下が襲撃されたとの知らせからだった。その件で大至急鴉羽卿のところへ相談に行くと、英刻院閣下と銀朱匂宮総取りが王宮を出た瞬間、敵集団の奇襲を受けたのだ。

 この二名は尋常ではなく強い。

 なのであるが――驚くべきことに、相手はこの二人に匹敵する力量を誇っていたのだ。
 藍洲には五人がかり、銀朱にも三人がかりで、それぞれは闇猫と黒咲の装束姿だった。

 他にも青い修道服の集団が多数王宮に侵入しようとした。
 だが、さすがは二人である。
 すべてを殲滅した。

 けれど――事態に気づいて周囲が駆けつけた時には、戦闘は終わっていたのだが、銀朱の意識は既に無かったし、藍洲も意識を落とす直前だった。そして藍洲は、

『俺の執務室の右奥の金庫、番号は琉衣洲の誕生日……猟犬の首輪を持つものを……探せ、そいつが……使徒ゼストそのものだ』

 そう言い残して意識を喪失した。
 藍洲を抱きとめて、それを聞いたのは榎波だった。
 二人は即座に時東達に応急処置を受けて、医療院に搬送されたが、そのまま意識が戻らない。時東達が居合わせなければ、確実に死んでいた。

 ――意識が戻る保証もない。

 法王猊下も似たような状態らしい。
 かろうじて舞洲猊下が意識を取り戻したものの、こちらも重症で起き上がる事も出来ないらしい。

 また数日前には、クライス・ハーヴェスト侯爵が襲われたとの報告も、この一件の後で、やっと王宮に伝わってきた。

 闇猫にしろ黒色にしろ、情報伝達速度まで遅くなっていたのだ。
 急遽、事態の確認に、ラクス猊下は宗教院へと戻ることになった。
 またレクス伯爵も、ギルドの闇司祭議会の招集を決定した。

 そのため二人が王宮を出た。
 護衛に闇猫と黒色の多数がついていった。

 桃雪匂宮は銀朱の付き添いとして医療院へ行った。
 銀朱には従っている黒咲が多かったから、彼らもまた医療院へと半数ほどが出かけた。

 ――また、本当は行きたいのだろうが琉衣洲は残った。
 その気丈さが見ている者には辛かった。


 このように手薄な状況かつ、英刻院閣下の猟犬以外の仕事も一気に代行することになり、榛名達も、孤児院から通うような状況ではなくなった。移動時間が勿体無かった。なので泊まり込みを決意し、ハーヴェストクロウ大教会に連絡をすることに決めた。



 その日、ゼクスは、法王猊下が襲われたというのを新聞で読んでいた。
 それからは、いつもの通り、礼拝堂へと向かった。

 そして午後のお祈り後、黙示録のページを開いた。何故なのか、昔から、毎日確認をしなければならない気がしているのだ。

 表紙はきちんとあった。
 だが――二ページ目以降が、不思議なことに白紙だった。

 胸がざわりとした。
 嫌な予感がする。
 前に――夢を見たことを思い出した。

 ここのところゼクスは、使徒ゼストの夢を見なくなっていた。同時にその夢が、幼き日の幻想だと考えていたのである。

 だが、この事態が発生したら、ラフ牧師に早急に伝えなければならないというのは、強く覚えていた。何度も夢で言われたからだ。

 そこでハーヴェストクロウ大教会へと向かい事態を伝えると、顔面蒼白になったラフ牧師が、そちらの祭壇の聖書を確認してくると言って出て行った。

 電話が鳴ったのはその時だ。ゼクスが電話応対するのは、よくある事だったので受話器を手にした。レトロな黒電話である。

「もしもし?」

 榛名からだった。

「英刻院閣下が襲撃されたから、しばらく帰れない。けど、心配はいらないから」

 無論非常に心配だったが、それを押し殺してゼクスは言った。

「無理しない程度に頑張れよ」

 声援を送ったのである。
 そしてそれの報告と、自分でも聖書を確認しようと考え、ゼクスはラフ牧師の元へ向かうことにした。ハーヴェストクロウ大教会の礼拝堂へと向かう。すると――牧師達が叫び声をあげていた。

「ラフ牧師!」
「大至急医療院へ!」

 ――血まみれでラフ牧師が倒れていたのだ。
 思わずゼクスは立ち尽くした。
 そうして、開きっぱなしの聖書を見て……黙示録が白紙になっていることを確認した。
 こちらも破られた形跡などはどこにも無い。
 その時、ラフ牧師が、吐血しながらゼクスを見た。

「ゼクス……っ、偽ゼスペリアの手の者だ……っ、逃げ……」

 そこまで言い、ラフ牧師は意識を失った。
 ゼクスは呆然としたまま、ラフ牧師が医療院へと運ばれるのを見ているしかなかった。
 付き添いたかったのだが、聖職者達に止められたのだ。

 五名いた他の牧師達は、二名が医療院に行くから心配するなという。そして二人がそれぞれ長老の緑と赤に知らせに行くと言った。残りの聖職者一名は、現在法王猊下の治療へと向かっていて不在の、ザフィス神父を呼んでくるという。

 彼らはゼクスに言った。自分達が帰ってくるまで、決してゼスペリア教会孤児院から出ず、不審者が来たと思ったら、地下の四階まで下りて、鏡の前でじっとしているように、と。ゼクスは事態が飲み込めなかったが、頷くしかなかった。


 ――最初は、ラフ牧師の件を、榛名達に伝えようかとも思った。
 だが、あちらはあちらで大変そうだからやめた。

 一人診療所へ向かう。そこで、点滴パックが奥に隠すように置いてあるのを知っていたので、その中からゼクスは、在庫の三分の二ほどが入っているトランクを取り出した。キャスターつきだ。何かあった時はこれを持ち、三分の一は残して持っていくようにとザフィスに言われていたのだ。

 それからゼスペリア教会へと戻り、天井裏に置いてあった点滴類を見た。こちらは三分の二を残して三分の一を袋ごと手に取り、トランクの空いているところに入れた。トランクには他に、折りたたみ式の点滴台と、注射針等が入っている。

 ゼクスはよく貧血を起こすので、それ専用の輸血品やら栄養剤の点滴、鎮痛剤や睡眠薬のパックや、直接注射するものもトランクには入っていた。簡易携帯食料のチョコレートクッキーやプレーンクッキー、経口のゼリー類、粉末のお茶やコーヒー、ミネラルウォーターも入っていたので、とても重かった。

 後はここで、大人しく待っていれば良いのだろうか?
 そう考えた時だった。

『ゼクス、偽ゼスペリアが本当に近くにいる。すぐに地下へと降りなければダメだ』

 急に声がした。聴き慣れた声であり、それは夢で見るゼストの声だった。
 今ではゼクスは、これは幻聴であると判断していたのだが、従ったほうが良い気がした。