【5】ゼクスとレクスの再会


 ゼクスは、ゼストに「あの扉を開けたら中のソファで寝ても良い」と言われていたので、必死で荷物を引きながら歩いた。

 長い直線をこの三日以上、歩き通したのだ。

 そして疲れきった状態で、扉を開けた。俯いたまま荷物を持って中へと入り、扉を閉める。瞬間、息を飲む気配を感じた。

「兄上、無事だったのか?」
「っ、え、あ、レクス!? どうしてここに!?」
「それはこちらが聞きたい。まずは座れ」

 非常に心配していたし、顔を見てほっとしたのだが、レクスはそれを素直に伝えることが出来るような性格ではなかった。またギルドの副議長としての責任感もあった。だから正面にいるのは確かに兄上でもあったが、貴重な情報源でもあるとみなす。

 一方のゼクスは、寝て良いはずなのにそうはできなさそうで、荷物を壁の棚際によせながら涙ぐんだ。それから、レクスに促されてソファに座った。人生で座った中で、一番座り心地が良い。

 テーブルをはさんでレクスが座り、膝を組む。その上に、組んだ手を乗せた。

 ゼクスもまた、レクスの顔を見て体から力が抜けるほど安心していたが、その瞳が冷たいので眉根を下げた。

「まずは兄上の口から経緯と出来事、なぜここにいるのかを聞かせてくれ」
「……レクス、怒らないか?」
「それは場合によるとしか言えない」
「……俺、眠くて死にそうで、けどそれはなんとか我慢できるけど、喉が渇いたからお水が飲みたい……」

 しょんぼりしたように言う兄に、思わずレクスは脱力しながら指を鳴らした。するとテーブルの上に、アイスティが出現した。

「飲んでいいのか? こんな高級そうなもの」
「好きなだけ飲め。カフェイン入りの眠気覚ましでもある」

 頷きゼクスは一気に飲み干した。そして瞳がもっと飲みたいという風に輝いていたから、呆れ半分、おそらく本当に歩いてきて喉が渇いていたのだろうと判断したのが半分で、ガラスのポットごとレクスは取り出した。

 実際には眠気ではなく、低体温で意識が朦朧としつつあるのだが、ゼクスにはその自覚はなかったし、レクスも気付かなかった。レクスは、ゼクスが時に点滴が必要な程度に病弱であるとは聞いていたが、重い病気であることなど知らない。

 こうして一気にゼクスは二杯半のみ、そこでようやく一息ついた。
 大きく吐息している。

 ゼクスは、睡眠不足でもあったので、少しは目が覚めた気もした。

「それで何があったんだ?」
「あのな、ゼスペリア教会の黙示録が、表紙を残して消えてしまったんだ。昔からそうなったらラフ牧師の所に言いに行かないとダメで、言いに行ってハーヴェストクロウ大教会の聖書を確認してもらっていたら、榛名から電話が来て、英刻院閣下とかが襲われたというから、それをラフ牧師に伝えに行ったら……レクス、ラフ牧師も……それでそっちの黙示録も消えてた……けどそんなことよりラフ牧師……大丈夫かな……」
「ここで心配して助かるのであれば好きなだけ心配すればいいが、現実はそうではない。続きを話せ。できればもっと分かりやすく頼む」

 黙示録の消失が、黙示録の予兆というより開始の知らせの一つ、偽ゼスペリアが迫っている証拠であることを、ギルド伝承で知っていたレクスは、思わず腕を組んだ。

「……ラフ牧師は、偽ゼスペリアの手の者に襲われたと言って、俺に逃げろと言ってそのまま――医療院に運ばれた。そして他のみんなが、最下層の長老達とかに知らせてくるから、危ないから絶対にゼスペリア教会から出ちゃダメだと俺に言ったんだけど、その、ゼストが……」
「ゼスト? 使徒ゼストのことか?」
「本人はそう言っていたけど、俺の夢に昔から出てくる登場人物だ」

 夢に使徒ゼストが出てくる――?
 それは宗教院の高位聖職者や、ゼスペリア十八世であるアルト猊下が時折口にしていることだ。非常に気になることではあったが、今はその先を聞くべきだと判断して、レクスは頷いておいた。

「それで?」
「そのゼストは、たまに夢じゃなく現実でも俺に話しかけるんだ。声が聞こえるんだ。幻聴かもしれないから、俺は病気かも知れない。けどゼストの言う通りにしたほうが良いと、昔ラフ牧師やザフィス神父が言っていたから、俺は声がしたらそうしてる」
「どんな時に声がするんだ?」
「声がする時というのは、大体具体的な行動をする時だ。黙示録が消えたらラフ牧師に言うようにと昔から俺に言っていたのもゼストだ――それで、今回は、偽ゼスペリアがすごく近くにいるから、今すぐ逃げないとダメだと言われて……何故なのか荷物を持たされた」
「荷物……」

 レクスは、先程の敵集団の言葉を思い出しながら、ゼクスが運んできたトランクを一瞥した。その前で、ゼクスが続ける。

「点滴のパックとかはともかく、大至急逃げろというのに、あそこにある赤い大きなスーツケースを持たされた。それで、ゼスペリア教会の地下には色々物置があるんだけど、大至急大至急というのに、そのスーツケースに色々なものを押し込まされて、それでまず四階まで降りたんだ」

 適度にレクスが相槌を打つ。ゼクスは安心したような目をした後、つらつらと語った。

「そしたら五階にロステク兵器の山があって、そこの出口のところから、多分もっとすごそうなロステク兵器が入ってる気がする、あっちの二番目に大きい黒いスーツケースを持っていけと言われて、さらに六階では、今度はPSY融合兵器のショウウィンドウがあって、そこにあるのを全部カバンに詰めろと言われて、その辺から五階と六階は曖昧だけど、リュックと横掛けカバンと一番小さいアタッシュケースも持って、あんまりにも重たいからPSYコントロール装置をいじってPKとかで軽くして、エレベーターに乗ったら、廃棄都市遺跡についたんだ」

 レクスは思案しながら頬杖をついた。

「その後は、ゼストが、とにかくひたすら歩けと言ったんだ。真っ直ぐに歩けとずっとずっと俺に言った。お腹は減らないかと聞くのに、寝てはダメだとずっと俺をたたき起こしながら、こっちまでもう三日くらい歩かせて、そしてそこの木の扉が見たら、中に入ったらソファがあるからそこで寝ていいといったんだけど……俺は今起きている……これ、あんまり眠気覚ましにならないみたいだ……」
「五階と六階には確かにロステク兵器とPSY融合兵器が?」
「うん。上の階には綺麗な色とりどりの扇とか、もっと上では数珠とか色々持ってきた。どれを誰に渡すのかも教わっていて、レクスに渡すのも沢山あるんだ。しかも……青殿下とか、絶対に俺が会えないような人、王宮にいる人々に渡すものばっかりだから、レクスに会えて良かった。レクスから渡してくれ。ゼストは俺から直接渡さないとダメだと言っていたけど、別に良いと思うんだ」
「――ゼストがそう言ったのであれば、そうするべきだと俺は思うが、そうか……」

 とすると、それがゼストの力の可能性もあるが、敵連中が言っていた万象院や匂宮の血脈ロックを抜けてきたということだ。エレベーターが下へと降りたというのは想像通りだった。

「兄上、ゼストの声に従ったそうだが、兄上はここまでずっと一人だったのか?」
「ああ。最近最下層のガチ勢もほとんどが王宮でロイヤルキーパーとかやりながら榛名達の手伝いをしているし、ラフ牧師達もいないし、孤児院街自体、俺一人しかいないようなものだったんだ。孤児が増えないのは良いことだけどな」
「そういう意味ではない。例えば、万象院や匂宮、ロードクロサイトといった関係者や――美晴宮でも良いが、いや、そうではなくて、その……例えばゼスペリア十九世猊下のような人物に心当たりはないか?」
「うん? 確か長老の緑は万象院様と、赤は朱匂宮様と呼ばれているのを見たことがある。ロードクロサイトはザフィス神父が口癖で『ロードクロサイトとしては』というし、その弟の孫なんだから時東も関係者じゃないか? 美晴宮は、確か伴侶補の朝仁様というお方だ。ゼスペリア十九世猊下というのは? ゼスペリア猊下って、宗教院にいる人だよな? 俺も一応牧師だけど、最下層の牧師は研修とか無いからなぁ……」
「では、廃棄遺跡都市までの同伴者は?」
「声だけならゼストだ。他に誰かいたら、荷物を持ってもらった!」
「――隠しているわけではないんだな?」
「何を?」

 ゼクスが純真な瞳で首を傾げているので、絶対に嘘ではないとレクスは確信した。その程度には付き合いが長い。

「なんでもない。もう一つ聞くが、最下層の孤児で、兄上の記憶の中で、ラフ牧師やザフィス神父が特別に目をかけていた者はいなかったか?」
「俺かな? 病弱だから」
「……そういうことではなく、こう、とても強いPSYを持っているとか、神聖だとか」
「なぁ、レクス。俺、もう眠くて限界だし……なんだか、気持ち悪くなってきたから、ちょっと点滴をしたほうが良い気がする……そういえば点滴の日、昨日だった……うっ、それより眠い……」
「そうか。疲れているところに悪かったな。上の客間を用意する」
「いや、ゼストがここのソファ以外で寝ちゃダメだと言っていたんだ。なんでもここは紫色の使徒とルシフェリアの家だから、ここは安全だけど、上の方は偽ゼスペリアの関係者がもう襲いに来たこともあるし、今もなんだか俺を探してこの辺りに来そうだと言うんだ。だけどこの部屋のソファの上は大丈夫だから――ここで以外寝ちゃダメだし、俺がここで寝ていることは、誰かに見られたら絶対に内緒にしてもらえと言われた。だから内緒にしてくれ。それで、もしも薬が足りなくなったら、この上の階に冷蔵庫があって、そこにだけは行っても良いそうだ。二段目のZXという箱に点滴パックが全部あるし、三段目に貧血と、栄養が足りない時とか痛いのがひどい時の用の薬があるから、それを使えと言われたんだけど……ここ、どこなんだ? なんでレクスはここに?」
「ここは俺の家だ。それは確かにゼストが言ったのか? ザフィス神父ではなく」
「えっ、勝手に入ってごめんな……う、うん。ゼストが言ったんだ。ザフィス神父はこの家に来たことがあるのか? そうか、だから、薬があるのか」
「……そういうことになるな。具合が悪いなら、点滴とやらをして休め。俺は黙秘しておく」
「ありがとう!」

 ゼクスが微笑して立ち上がった。そしてそのまま、ぐらりと体勢を崩した。驚いて立ち上がり、レクスが黒色の速度で正面に周り抱きとめる。ゼクスの体はひんやりとしていた。思わず目を見開く。よく見れば、顔色が非常に悪い。この室内は何故なのかいつも明るいのだが、間近で見なければ正確な顔色までは分からない明かるさだった。

「悪い……眠くて」
「兄上!?」
「……」

 レクスは息を飲んだ。そして違うと直感した。

 先程から眠い眠いと言っていたが、これは――違う、意識が朦朧としていて、喪失しかかっているのだ。慌ててソファに横たえるとゼクスが咳き込んだ。その手のひらを見て、さらにレクスは驚愕した。吐血している。

「兄上!? その血は!?」
「ああ……酷い時は、いつもだから、気にしないでくれ……点滴して眠れば治るから」
「薬はどれに入っているんだ!?」
「あの、赤いスーツケースの上の……白い……」

 頷きレクスはそちらに近づき、そして硬直した。体が動かなくなった。そこで初めて、溢れてくる神聖な気配に気がついたのだ。明らかにあの旅行用品にしか見えないスーツケース群であるが――中には、一種異質とさえいえるだろう、なにか聖遺物のようなものが入っていると確信した。

 ゼクスの言葉を思い出してみれば、ギルドのモニター内で、敵集団が紛失を確認していたアイテムに形態が近いものがあった。例えば数珠だ。そしてそれらに囲まれている薬品入りのカバンやケースに手を伸ばすことなど不可能だった。出来そうにもない。

「上から取ってくるから少し待っていてくれ」

 レクスはそう口にし、慌てて上へと戻り、冷蔵庫をあけた。