【2】頭痛の種
宗教院における心臓破裂者続出の大惨事から始まった、最早黙示録としか考えられない事態であるにも関わらず、敵集団以外の邪魔者だらけで、王宮の政務宮にいる一同はピリピリしていた。
宗教院とゼスペリア猊下執務院からの避難者がいた王都大聖堂も火災にあったため、枢機卿議会メンバーも王宮にいる。さらに英刻院閣下が重症だからと亡くなった王妃の父であるミュールレイ侯爵が元老院の力を貸すといいはって、もう英刻院にはまかせておけないと居座っているのだ。
貴族の中で英刻院派は最大派閥であるが、これまで第二位であったミュールレイ派が勢力を拡大している。さらには最下層に住み着いていた暗殺者などという怪しい連中を万象院列院などにするからだと言って、ついに万象院以外の院系譜をまとめている橘院と配下の武装僧侶が糾弾をはじめた。
結果、これまで抑えていた緑羽の御院も意識不明だから、万象院列院にも万象院本尊本院の僧侶の一部も、高砂の不信任案まで言い出した始末である。さらには朱の古稀宮をはじめ匂宮の真朱や銀朱総取りはおろか金朱まで意識が曖昧な状態が続いているから、これを期にと匂宮に従わず、最下層出身の復古配下家を馬鹿にする華族や、橘宮家当主を先代の甥にしたい者達が押し寄せている。そんな中、最も頭が痛いのは、前法王猊下のラファエリア猊下の息子でありクラウ・ゼスペリア家の代理をこれまでしていたイレイス猊下が、これまでも度々、自分こそが使徒ゼストの写し身でありゼスペリアの器であると名乗っていたメルディ猊下と手を組んだことである。唆したが正しいかも知れない。
その上、ラクス猊下と次の法王猊下の座をこれまでも争っていた枢機卿議会議長は劣勢だったというのもあり、イレイス猊下と手を組んだ。イレイス猊下も法王猊下の座を狙っているのである。二人で最初にラクス猊下を潰しに来たわけである。こういう時に頼りになる法王猊下と舞洲猊下もまだ意識不明であるし、アルト猊下は過剰症の悪化でやはり集中治療室だ。さらに普段ならば助けてくれるクライス侯爵とザフィス神父は、ハーヴェスト侯爵家を襲撃された際に重症を負い、こちらも意識が戻らないのである。
ラフ牧師も英刻院閣下と襲われた時から意識不明のままである。それを王位を狙っている王弟殿下と第二王子は喜んでさえいるようだ。だがこの二人は上手いこと花王院国王陛下が誘導し、避難という名目で旧宮殿に隔離中だからまだマシである。
王宮メンバーは溜息をついた。
実はもうじき、使徒オーウェンの赦祝祭という、年に一度の行事があるのである。
これは、第三使徒オーウェンが使徒ゼストから『人間』として国の統治を任せた、オーウェンの福音書からの宗教行事であり、国王陛下か第一王子が聖職者から十字架を貰う儀式である。大体の場合は、法王猊下から十字架を賜るのだが、現在入院中だ。ならばゼスペリア猊下はといえば、ゼスペリア十八世であるアルト猊下もそうである。ゼスペリア十九世は所在地不明だとレクス伯爵が最終的に溜息をついた前日の午前中、仕方がないので、法王孫であるし法王候補でもあるから、ラクス猊下が代理で渡すことに決まった。
だが、ラクス猊下にとって、これがかなり辛いのである。
何故ならば、まず最初、向かい側の台で、メルディ猊下とイレイス猊下が祝詞を読むのだが、あの二人は強いゼスペリアの青と強い青系統だがピンクに近いラファエリアの花というPSY-Otherが使えるため、祝詞を読むと人々のPSY受容体を刺激して神聖な感覚や、場合によっては映像を見せるのだ。
ラクス猊下のミナス・アメジストは回復能力が高い青系統Otherであるから、そういう力はあまりないのである。メルディ猊下の自称ですら、ゼスペリアの青の放つ神聖な空気で信じる人間がいるのに、これまで状況を見守り能力を隠していたイレイス猊下の参加は最悪だ。二人が試しに唱和した祝詞に多くの聖職者が現在すっ転んでいて、ラクス猊下派は激減している。一応そちらの派閥のリクス猊下は書類に追われているし、ルクス猊下は闇猫指揮に追われている。
ならばせめてハルベルト・ゼスペリア家のユクス猊下が一緒に立ってくれれば良いと同じ孫だし思うのだが、こちらはレクス伯爵と同じくギルドの黒色指揮に忙しい。さらに本来は、最初は適当な聖職者、二回目と三回目を法王猊下が読むのが通例なのだが、どう考えてもあの二人の後に読むのでは、見劣りする。ラクス猊下の法王猊下候補としての威厳が地の底に落ちるのは見えきっていた。
しかも、あの二人ともう一人の敵である議長は聖遺物をラクス猊下なみに持っていたのだ。どこから手に入れたのか、議長とイレイス猊下は、それぞれ使徒ヴェスゼストの腕輪とカフスを身につけている。さらにイレイス猊下は、ラファエリア家の出自だからなのか、使徒ラファエリアの聖遺物まみれで、その数は、ミナス家のラクス猊下の所持数に並ぶ程だったのだ。他に使徒クラウの十字架まで所持している。この二名と、そちら派に回った議会の大半、さらに複数の聖職者は、その上、使徒ゼストの銀でできた十字架を身につけていたりする。
それを一体どうやって入手したのかは不明だが、その彼らがゼストの写し身だと呼んでいるメルディ猊下はある日から、使徒ゼストの聖遺物である、使徒ゼストの青き光の十字架を首から下げ始めていて、ゼガリア銀でできていて中央にゼストのサファイアがはまったその聖遺物は見るだけで恐縮してしまうほどの神聖さを放っていた。メルディ猊下は、確かにゼスペリアの青の保有量だけは多いのだ。だからなのか、ラクス猊下が二回目を読み終わったら最後の使徒オーウェンの赦祝は自分が読みましょうかとまで言い出している始末だ。
その上、この日、万象院もせっかくだから同席し、こちらも列院総代の変更をすると言い出しているのである。列院の中で高位の僧侶を、本尊本院で緑羽家や分家以外で最も高位の僧侶が、緑羽の御院の代理として指名すると言っているのだ。そして、橘院を副総代とし、彼の武装僧侶を正式に列院僧侶とし、慈善寺院戸籍のガチ勢と、これまで列院総代をしてきた高砂を解任すると言いだしたのである。それに便乗したのが華族だ。
橘宮家の家督を病で寝たきりの現当主甥に継承させると宣言すると言い出していて、橘院とミュールレイ侯爵もそちらを後押ししているし、彼らは第二王子を次の国王陛下にと考えているらしい。なお宗教院は王弟殿下を推している。特にそれは枢機卿議会議長派だ。しかも橘院は伯父であり、橘大公爵の父である軍法院の橘元帥を呼んでいるらしく、その場でガチ勢を拘束する予定であるらしい。
本来行われるはずの王都大聖堂はまだ火災にあったばかりだから、今回は史上初であるが、特別三機関とされる最高学府・天才機関ジーニアス・医療院が並んで立っている敷地の正面で行われることになった。多くの民衆が訪れるため、広い場所がそこしか存在しなかったのである。
宗教行事であるのだが、これに限っては王宮では行ってはならないという規則があるから、そちらの敷地は使用できなかったのだ。この手配だけは、王都特別枢機卿のレクス伯爵が、ギルド経由ではあるが行ってくれた。他の貴族は、これまで英刻院派だったものまで、若干距離を置き始めていて、英刻院の没落を楽しみにしている気配まであった。華族も若いのに多くを掌握している橘宮若宮の排除と匂宮の権威の失墜を楽しみにしている者がいるようで、桃雪もイライラしている。橘宮はおろか匂宮にも、内部指揮者の裏若葉である榎波にも従わない黒咲までいるからだ。その上、桃雪に匂宮の儀式をやれと言ってきている。断るわけには行かないが、それは本来本家の儀式だから、桃雪は完璧には覚えていないのだ。
「とりあえず私は、ランバルト大公爵家の孫で一番年上だから、ランバルト特別枢機卿で出る」
「俺も、どこまで効果があるかは不明だけど、ロードクロサイトの貰ってるゼガリア特別枢機卿の格好をしとく」
「――クラウ・シルヴァニアライム枢機卿の本物として俺も出るけど、列院総代の件があるから何もできなかったらごめん」
「俺もハルベルトで出るし、ラクス猊下のミナスを押しつつ、ゼスト家側からはリクス猊下とルクス猊下、ワイズ猊下とエルト猊下は、ラクス猊下側の位置に立つわけだから、なんとかなる、と思うしかないな」
「それで、誰が最初に読む?」
高砂が言うと、レクス伯爵が溜息をついた。
「もしも誰もみつからなかったら、アルト猊下の次男でもあるし、王都特別枢機卿として俺が読む。俺なら別に、奴らに負けても、宗教院での派閥には特に無関係だから問題ないが、他は今後が危険だ」
一同はそれに頷いた。実は議長達が手を回しているから、左遷やクビを恐れて、現在は本来最初に読むはずの王都在住の聖職者が誰一人同意せず断っている状況なのだ。基本的に一発目は、王都の人間の中で暮らす者が読む規則で、枢機卿のような高位の者は除外なのである。貴族院の招待という形で王都在住の人間が招かれるのが通常なのだ。だが、王都直轄特別枢機卿であるし、現在は有事であるからと理由をつけたならば、レクスならばなんとか対面は保てるだろうという判断になったのである。
こうして各自、準備があるからと、その日は早めに解散となった。
この日、ゼクスの不在に多くが気づいたが、誰もその時は、行方不明だとは思わなかった。