【3】華族神話
神聖な紫を持つ天皇陛下が世を治めていた時代が、『神聖皇歴』を使用していた『美晴の世』であり、現在の華族敷地が『平安朝』と呼ばれた、当時の王都のような場所だったらしい。王政に等しい『天皇制』であり、『天皇とは神の血を引く存在である』とされていて、その証拠に『皇祖である芦原に暮らす天照大御神の神託を聞くことができた』とされている。
この天照大御神とは、皇室の祖であるわけだが、華族の神様であり、『全知全能の神力』を持っていたそうなので、『高IQである天才技能を保持した強力なPSY能力者』だったと考えられていて、信仰対象として伝わっているのだろうと、科学的歴史研究が行われている。つまり伝承上の神でなく、こちらも実在したと考えられる。
皇族とはその末裔であり、『神託を聞く』というのは、『ESP保持者』であり、これは『絶対紫保持者はESP-Otherの特殊混合色相』を持っているので、他の人々には感受出来ないESP知覚情報を取得できていたのだろうと考えられる。
現在の美晴宮家の直系長子も同様なので間違いないと考えられる。絶対紫なので、PSY-PK-ESP-Otherを全て保有しているので、それこそ東方ヴェスゼスト派における神のゼスペリア同様、神様のように天照大御神は考えられていただろうし、その直系の末裔の天皇家というのは神の血を引くという解釈で間違いはないのかもしれない。
この天皇家は、皇太子である天皇即位前は『美晴宮』と言ったのである。よって天皇家とは『美晴宮家』のことである。次男以降は、別の宮家となったようで、それが中宮家である。男系の直系相続というのもPSY血統遺伝学的に、直系長男にしか受け継がれない因子が存在し、美晴宮の場合の絶対紫もこれに該当するので、不思議なことではない。最も当時は、『天皇家になる者のみ神託を聞ける』という考えだったようだ。
そして、天皇家を支える者――即ち、当時の貴族階級であり、現在も華族として認められている人々というのは、つまり華族血統というのは、『PSY能力者』の事である。ここに来て、この時代に、『強力な(あるいは微弱であっても)PSY能力者による統治時代が復活した』というわけである。持たないものは、一般国民だ。天皇家を頂点とする華族(貴族)階級制度の文明であり、華族以上の人々は、「殿上人」と呼ばれていたらしい。
では、当時広がっていた宗教、現在の院系譜――である『御仏の教え』とは何かと言うと、当時の科学である『ロステク』である。つまり『科学が宗教だった時代』なのだ。よって、華族も含めて全員が進行していた『御仏の教え』とは『残存していたロステク』である。華族の神事や儀典・儀式が『PSY』であり、『御仏の教え』が『ロステク』なのだ。
ただしどちらもここまでの文明知識が混ざってはいるもののレベルは低い。
これは、『前文明が唐突に滅亡してしまったため、僅かに残っているものを維持した』ということであり、天照大御神とはどうやら『前文明時代に生きていた美晴宮家祖先』であり、『美晴宮である天皇家が、混迷を極めていた滅亡後の社会を統治して整備した』ということであるらしい。それが天皇家の始まりらしいが、華族神話にそう書いてあるわけではない。
華族神話では、美晴宮皇族の初代天皇時代以前は、『天照大御神のさらに祖である神々の御代』であり、『その神々は芦原に暮らしている』となっている。
まぁ理解できない完全ロステクやPSY複合科学等は神々といって良いし、『芦原に暮らしている』というのは『生きている人間は到達不可能な場所』つまり『死後の世界』であり『滅亡した文明の社会』なので、あっているといえばあっているのだが、勿論これは、華族の理解ではない。
華族にとって『芦原』は、『神々が住まう場所』なので死後の世界ではないのだ。
まぁ『滅亡した世界』と考えるなら、それもまた正しい。
そして、右副・鴉羽卿と左副・橘紫紺卿が、代々天皇を支えたとされている。
鴉羽卿とは、鴉羽家の人間であり、必ず右副は鴉羽家の人間だったそうだ。
左副の方は、様々な人間が役職についたそうである。
今で言う宰相と副宰相のような存在である。
なぜ鴉羽家が必ず襲名するかと言うと、鴉羽家とは、『月讀尊』の血を引く末裔だからであるとされる。月讀は、天照大御神の異父兄である。更に別の異父弟が素戔嗚尊とされている。
この三名の共通の父親が、華族の神様の中で、一番最初に生まれた創造神である『青照大御神』――アオテラスオオミカミとやらであり、まず月の女神との間に月讀、太陽の女神との間に天照大御神、大地の巫女との間に素戔嗚を設けて、それぞれを治めるように命じたそうだ。
この『青照大御神』に関しては、『ゼスペリア神』と同様に、絶対紫を除く、『絶対補色青・赤・緑』を有していたようだと、華族神話からは読み取れる。つまりこの人(神)は、歴史第三層・PSY複合科学時代の人物なのだろう。
天照大御神の他、兄弟である月讀も素戔嗚もそういう事になる。素戔嗚尊に限っては、『人間の巫女』と結婚し、人間という扱いになる。この血統が、全華族血統の大元で、華族が神力を有するのは、素戔嗚尊の血を引くからという事になっている。そして素戔嗚尊は、人間の祖だが、神の跡取りは天照大御神で、素戔嗚尊は天照大御神という異父兄に忠誠を誓っていたらしく、人間は神に絶対服従であり、皇室にも絶対服従、美晴宮家を頂点に、華族がしたがっているという形だ。
中でも現在の橘宮家がその筆頭であり、素戔嗚尊の血が一番濃いとされているので、橘宮家が華族家をまとめ、美晴宮家に仕えているという形である。また橘宮というのは、『宮』というのは、皇室の皇太子が『美晴宮』であることと同様、ある時代の天皇家の第二子(次男)が、『橘宮』として分家したのであり、元をたどると美晴宮家とは親戚関係であると言える。皇室時代にそうなったのだ。
そんな中、鴉羽家というのは、月讀の子孫であり、『天皇家を除く唯一の神の血統』となる。月の女神の子であり、太陽神信仰ではないので、『原初文明時代の宗教との類似である月信仰』との関連を連想する者もいるようだ。
よって、天皇と、皇太子の『美晴宮』を除き、最初から『匂宮』として存在していた。しかし、天皇になることはない家柄である。だが、華族にとっても特殊で特別な神である。この『匂宮家』が、『万象院』を作り、残ったロステク知識も継承し続けたらしい。
その内万象院本家と匂宮本家と別れ、別れる前のそもそもの匂宮の血筋を『鴉羽』というようになり、『鴉羽家』とは『月讀の子孫』ということになる。別れる前の『匂宮』は、当主を『闇の月宮・鴉羽卿』と呼んだため、その当主が右副になったらしい。
右副・鴉羽卿とは、闇の月宮・鴉羽卿の略なのである。現在、万象院家当主は緑羽万象院、匂宮家当主が朱匂宮と分かれているのだが、本家の本来の匂宮というか闇の月宮は、緑と赤の両方の絶対色相を持っていたため、黒から白まで、平均すると灰色の色相を保持していたと考えられるので、その血統内容を『鴉羽血統』と科学上は言うし、華族でも『万象院と匂宮を合わせると鴉羽の血になる』と伝わっている。
当時は匂宮こと鴉羽家から万象院の総代(つまり宗教上の最強責任者)が出ていて、これが絶対緑の人間であり、現在ではそれが血統相続されている。ESPによるロステク知識継承のためだと考えられる。
一方の匂宮家は、絶対赤色相のPKの人間が残ったので、結果として、現在は赤色相の持ち主が匂宮家となっている。時代が下るにつれ、鴉羽の血の灰色色相は分離して消失したので、闇の月宮と呼ばれることもなくなり、匂宮という当主出自家の呼称のみが残ったのだ。
これは『皇室』や『天皇』という呼称が消えて、『美晴宮家』として残ったのと同じ理由である。とはいえ華族社会では、美晴宮に匹敵するが、天皇家血統ではない特殊な宮家、美晴宮に次ぐ尊重対象である。立場的に橘宮よりも歴史的権威は上だ。
ちなみに華族黒咲の直接の創始者であり神も、右副・鴉羽卿と言われている。そのため匂宮家は華族黒咲冠位の他に独自の冠位も持つという。また、万象院以外の御仏の教えを経文として所持して継承していく寺院の代表者は、血統相続ではない。
ESPを持つ他の華族の出自か、高IQにより知識を理解できた者、あるいは特別な記憶能力のような才能を持っていた人々が、総代(府院)を頂点とした御院や僧侶となったそうだ。今でも万象院総代といえば、院系譜におけるゼスペリア猊下のような、生まれながらの一番偉い府院であるし、御院は枢機卿、僧侶は神父的な存在だ。
とはいえ、今残っている経文にはロステクに関する知識が直接載っていたりしないし(秘匿されているとは言われている)、一般的な経文とは、『心を穏やかにして、精神を集中し、勉強に励め』というような内容を、小難しい言葉で書いてあるだけである。それは華族に継承されている神事にも当時のPSYの再現内容がほとんどなく、単純に踊ったりしているのと同じことである(秘匿可能性はこちらもあるが)。
一応、きちんとした当時のロステク知識を記した経文巻物群は最高学府に収められて研究されているし、華族が所持していたロステクと一部PSYを用いている兵器などは、華族院が管理していたりする。
中には、PSY複合科学兵器や、完全PSY兵器もわずかにあるので、青照神とやらはそれらの管理者であり、引き継いでいたとされる月讀、さらにその月讀が広めたロステク技術を系譜する万象院というのは、かなり昔からの知識を持っていたようだから、華族の独特の暦や長い神の御代も、あながち間違っていない可能性もあるらしい。
実の兄弟だったかはともかく、月讀とは科学者兼技術歴史継承者、天照大御神とは統治者、素戔嗚尊とは政治家だった可能性が示唆されている。
まあ現状では院系譜は、ただの空気的存在で、万象院すら存在はするが目立たないし、目立っているのは他の院系譜寺院で、最近だと橘院である。こちらは橘宮家のいつかの代の人間が総代になってから、ほぼずっと総代をしているため、橘院本家が出来て、別に血糖襲名ではないのだが、橘院本家が橘院を代々引き継いでいるし、院系譜の中ではもっとも影響力がある。
東方ヴェスゼスト派でいうところの法王猊下のような存在が橘院総代であるし、法王猊下もランバルト大公爵家から出ることが多いので、橘院本家は院系譜でいうところのランバルト大公爵家のような存在だ。
ちなみに花王院王家も元々は、花王院という院の総代だったそうで、その後、花王院初代国王となったのが、その時の花王院総代だったため、名前が花王院なのである。この華族全盛期においては、ただの御仏の教えを伝える寺院のひとつ、花王院というだけだったのである。
総代は無論、その時々で変化していたので、別に花王院王家の血縁者とは限らないが、一応、華族や院系譜と王家の血縁関係の象徴ということにはなっている。なので応急の庭の片隅に、ひっそりと仏像がちょこんとある。現在の王宮こそが、花王院という扱いであり、現在の院系譜内に花王院は含まれないが、一応特別指定寺院の一つという扱いでもある。
ただし院系譜は現在、華族すら信仰していないし、盆踊りみたいな、なんというか無形文化遺産として扱われているだけで、建物と総代がいるだけで、博物館というのが正しいし、総代達というのは一応お教を唱えはするが、全方向において特別誰も意識していない存在だ。が、一応この万象院が、緑色の羽の使徒と同一だと考えられているのである。華族全盛期時代は、院系譜で勤めるというのは、今で言う最高学府の学生や卒業生みたいな扱いだったらしいので、今とは違い、非常に存在感があったらしいのではあるが。
なお、右副と左副の制度は、この華族全盛期から、現在の花王院王家の二代目の国王統治時代まで残存していて、三代目から宰相という役職のみが残った。宰相とは、華族全盛期の右副と左副を補佐する中副が、次の貴族全盛期に『宰相』という名前になり、以降続いていて、今も残っている役職である。英刻院閣下がこれだった。宰相は、伴侶補の家族は兼任できないという決まりがあるため今は辞していて、現在は空席である。このまま消滅する可能性が高い。
何故ならば、宰相としての国王陛下の言葉を聞くなどの儀礼的仕事はないが、結局宰相実務は、今も藍洲がやっている状態である。ただまぁその分、前よりはちょっと暇になったようである。兼任できない理由は、国王代理や王妃代理を務める場合がある伴侶補と、国王陛下の職務的代理をする宰相が血族だと、王位を乗っ取る危険性があるためというのが実情だ。無論、公的な書き方には、そうは記されていなくて、兼任できないとしか書いていないのだが。