黙示の解読(5)
「――偽ゼスペリアは、これまでに記した者達以外にも、多数の候補者がいる。実の所、偽ゼスペリアが誰であるかは、問題ではないのだ。偽ゼスペリアを選定する者達こそが、真実の敵である。旧世界においても終末を招こうとし、正しき道を歩んだ使徒ゼストにより人々は生き残り、現在の世界に至ったが、それでもまだ、その者達の教えを継ぐ、古き血脈の昏き使徒の修道会だ。彼らもまた、ゼスペリアを祀る者達であるが、別の側面で主を学ぶ。彼らは終末による神の完全なる顕現、主の休息の終焉、新たなるゼスペリアによる世界の創造を望んでいるのである。偽ゼスペリアはそのための象徴に過ぎず、彼らが重視するのは、我らにとっては闇に堕ちたゼスペリアとその血を継ぐ悪魔の神と絶望の神であるが、昏き修道会にとっては、それこそが真のゼスペリアの姿であり、救いの神の子と希望の神の子であると考えられているようだ。その観点を、黙示を記す上で、否定する事は、神の器たる己には出来ない。正しき側を判断するのは主であるゼスペリアであり、旧世界の後の安寧を求めたのは、ゼスペリアではなく、器でもなく、一人の使徒としてのゼストであるからである。また、この昏き修道会は、原初文明における月の信仰、月の叡智が広がる二日目、青き月を祀る三日目、月の青と叡智が混じった御代、五日目の月讀の系譜、そして六日目における使徒ゼストに宿りしゼスペリアの青を、創世の始まりから現在に至るまで常に継承してきた最古の信徒であり、主であるゼスペリアの全てを知る信徒であるとも言えるのだ。東方のゼルリアにあるゼスペリアの神殿は、元来は彼らが築いた物である。旧約聖書における全ての創世記は、ゼルリア地方に生きた彼らが伝えてきたものである。そしてその記述の通り、彼らにとって、ゼスペリアは唯一の存在だ。契約の子や神の器という概念はなく、人の血肉等持たない。それらは旧世界において不可された逸話に過ぎないのである。よって彼らが望む存在は、神の御業を得ているゼスペリアそのものではなく、『ゼスペリア自体』なのである。ゼスペリアは神であり、破壊と再生、創造を司る、全知全能の存在であるとされるのだ。終末の迫る頃、昏き修道会の系譜は、紫色の薔薇を育てる黒き衣のヨハネと欠番の第四使徒の司る円環の中に紛れている。あるいは、ヴェスゼストの信徒を名乗っているであろう。同時に銀色の舞い散る花弁の中にも宿っている。それは叡智の扇でもあり、安寧の世の全てに根を張り巡らせているとも言える。ゼスペリアによる終末の阻止、回避とは、器である使徒ゼストの御心を、十二の使徒が安寧の世の幸福を説く事と換言でき、だからこそ、十二の使徒を集めなければならないのである」
さて、何故なのか長い上に、敵集団を擁護し、それまで最強の敵のように描かれていた偽ゼスペリアをあっさりと小物風に描いている上、『己』という言葉が出てくるこの部分。ゼクスが思うに、この辺りは、再構成されていない、原文の直訳であるような感じがする。ただこれがゼストの幻視した事実や、知っていた正確な記録であるとしたら、ゼスペリアという神様は最初から存在した上、『昏き修道会』あるいは華族神話に一応出てくる『叡智の扇』という集団もまた、原初文明から存在していて、月讀だって月であるし、青き月は青色相だろうし、月の叡智はロステクだろうし、ずっとゼスペリアを信仰し続けてきたわけである。
なお『叡智の扇』は『闇の月宮を拉致しようとした』だとか『鴉羽卿を拉致しようとしてきた』というような記載があるし、貴族院記録によると『昏きゼルリアの者達がハーヴェストクロウ大公爵を誘拐しようとした』等という記述があるので、これらは存在しただけでなく、ゼスペリア血統を狙い続けて来たと言えるし、ゼスペリアとはどうやら彼らに宿るわけで、もしかするとこの血筋も原初文明から存在していた可能性まで出てくる。だってゼスペリアは一人だけだからだ。
ただ、人間ではないらしいし、血肉を持たないという観点から考えると、ゼスペリアという神というのは『高IQで出現するPSY-Other-PK-ESPを全て有する状態』であるような気がするし、とするとそれが維持できる『混雑型PSY血核球を持っている状態』であるような感じがする。この観点で読み解くと、黙示録における神の器は、『ハーヴェスト血統により混雑型PSY血核球をもち、ゼスペリア血統によりOtherを持っていて、さらにハーヴェストクロウ大公爵家の血統すなわち鴉羽血統の血が入るルシフェリアの末裔とわざわざ記載されているのだから、灰色色相である赤と緑、PKとESPも保持している存在』となり、黙示録における使徒ゼストは、現在はギルドに吸収されているとギルドでも記録されているらしいのだが、『ゼスペリア神』と言って良いのかもしれない。
また宗教院の存在意義は『神が再来した際に手助けすること』で、『神の再来を待っている』状態で、ギルドは『神の復活』が基本理念だと聞いたことがある。よって、両方に『昏き修道会』とやらが混じって習合されていてもおかしくはないし、場合によっては再結成する事もあるだろう。そうなれば、黒色と闇猫の合同集団ができるだろうし、華族神話にも『叡智の扇』として出てくる以上、黒咲も仲間になる可能性がある。無論それぞれ全員ではないだろうが。
まぁなんにしろ、かなり昔の歴史階層から、使徒ゼストの見解的に、および古文書的には少なくとも今を含めると三つ前の華族全盛期より存在する敵集団がいて、それは敵という見解は人間である使徒ゼストのものであり、ゼスペリア神にとっては違う可能性があるという事実は、結構衝撃的である。ただ、PSYが意思を持つとは思えないので、ゼクスはやっぱり、強力なPSYを持つ血筋のことなのではないかと思う。だから、黙示録に記された終末の兆候が現れたら、とりあえず使徒を集めて、その時のゼスペリア猊下に、終末を阻止してくれとお願いすればいいような気がした。
「――不幸中の幸いなのは、昏き修道会の者達に、終末が迫る頃、ゼスペリアの神殿に関する情報が継承されず喪失している事であろう。これは旧世界において、ハーヴェスト・クロウ・レクイエムを響かせし旧約聖書におけるゼスペリアの代理、黒翼の月の御使いが、ゼルリアの地を庇護し、古より伝わる教えを潰えさせ、昏き修道会の記録を全て喪失させたからに他ならない。鴉羽讃歌が唱和される頃、旧世界に終末の鐘が鳴り響いた時には、既に聖地ゼルリアは、昏き修道会の手を離れ、本来の持ち主であるゼスペリアの血脈の庇護下に戻った。よって使徒ゼストの写し身は、十二の使徒の数人と自然と、あるいはゼスペリアの導きにより出会うまで、清貧ながらも健やかに育つであろう。一時、銀の月の賢者が住まう、黒翼の月の御使いの旧神殿にて過ごすのではあるが、ゼスペリアの神殿に戻った後、以後はそこに住まわれる。この聖地においては、花の首飾りをした黒猫と番犬達は牙をむかず、清貧なる老父達や暮らす虚空に属する闇の者も静まりて過ごすであろう」
そこまで聴き終えて、自然と手を組み直した。
「――視よ、叡智の星が零れ堕ちて来る刻、使徒ゼストの瞳が舞い散る黒き御使いの羽を捉え、鴉羽の讃歌が鳴り響くだろう。使徒ゼストが、ゼスペリアの御心をもってして、終末を阻止する事を願う。使徒ゼストの黙示」
その後、複雑な気持ちで帰宅した。
雨の降る日だった。
やらなければならないと思い、執務室でメモを記す。
『――創世記――
■1■聖書
現在――この世界では、黙示録が起きようとしている。
そう、言われていた。根拠は、聖書の記述との一致である。
正式名称は、『東方ヴェスゼスト派正統聖典』だ。
内容は、以下のものである。
【旧約聖書】
・創世記
・歴暦記
・詩篇
――まず主は、『光あれ』と言った。これはPSY知覚刺激による受容体刺激だと考えられている。続いて『光は言葉であった』これは、ESPによる意思疎通能力だと考えられている。最後に、『言葉は神であった』と続いて最初の三行は終わりだ。主がESPにより、全ての生体PSYを持つ、人間や動物に意思を伝えたという意味だと考えられている。無論これらは科学研究上のものであり、宗教院は、ただの言葉だという認識だ。
その後現在も用いられている一週間(七日間と各曜日)を神が決める。
これは歴史階層・地表と第六階層までのことだと考えられている。
無論矛盾する箇所もあるが、科学的見地においても、『創世記は真実を知るした書物』とされていて、かつて広く信仰されていた『旧約聖書』とは、当時の人々に分かりやすく、あるいは詳細は知らないにしろ伝えられてきた各文明の歴史を綴ったものだと位置づけられている。
よって、『主』は『強力なPSYを所持していた原初文明時代に存在した統治者』であり、新約聖書における主、ゼスペリアとは、使徒ゼストが旧約聖書のごとく強力なPSYを保持していたという見解で、実際に使徒ゼストの末裔であるとされるゼスト・ゼスペリア血統は、独特のPSY-Other(絶対補色青)を持つ、研究上の特定指定血統だ。
ただし宗教界や、国民感情的に、非常に神聖で高貴な存在なので、例えばゼクスが所持しているような各種資格が無いと、調べてはならないことになっているし、宗教院は、絶対色相の青を『ゼスペリアの青』と呼び、PSY-Otherは『神の御業』と位置づけているのである。
だから科学的にも旧約・新約、各福音書等を含めた聖書は『科学的事実を理解できる範囲で記載性てる重要な文献』であり、『東方ヴェスゼスト派は科学的にも事実を記載したもの』とされているが、宗教院は『神の奇蹟を綴った記録』と考えているわけで、創世記の最初の一週間も、宗教院見解としては、神様が人間や動物を作った一週間ということになっている。概要をまとめると次のようになる。
――英刻院藍洲』